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知られざる終戦後の物語

先日、8/15ということで戦争について書いたが、実は戦争終結後にも知られざる戦いがあった。

前書きだが、日本の自衛隊には第十一戦車大隊という部隊が北海道にあった。
(現在はないらしいが)

この部隊は十一という漢字を縦にすると士という字に似ていることから「士魂」という文字を戦車に刻んでいる。

実はこの部隊には実在したモデルがいた。
その話から始める。

日本は先に述べたように1945年8月15日を持って昭和天皇の御聖断とともに戦争終結をした。

しかし、北方領土の手前にある占守島という島に突如ソ連軍が攻めてきた。

重ねていうが日本はとっくに降伏している。

本来降伏している相手に攻め込むのは国際法違反である。

現地の部隊はとっくに武器を捨て、戦車の砲塔を外して「男らしく立派に武装解除して投降しよう」と腹を決めていた刹那の出来事である。
そしてこの部隊こそ戦車第十一連隊、通称士魂部隊であった。

ウクライナ侵攻でもわかるようにこれはロシア/ソ連のいつものやり方で、要するに火事場泥棒なのである。

だからわたしはイギリスやフランスのようなキリスト教文化が根付いていたり、日本のように国家神道や仏教がある国とは違い、宗教的倫理観のない露助が嫌いだ。だが多様性()の時代にこの部分は叱られそうなのでカット。

占守島の現場指揮官は池田末男大佐。
統括するトップは樋口季一郎中将であった。

ソ連はそれより前に日ソ中立条約を一方的に破って満州に攻め込んだ際、軍人だろうが民間人だろうが目に入るものは全て虐殺して女性は見つけ次第老若問わず強姦して回った。

一説では日本に逃げ延びた女性の多くに妊娠の跡があったり性病にかかっていたと言われている。

そんなソ連軍の蛮行を見ていたので占守島をどうするかが問題になった。

占守島にはまだ一般市民もいた。

悩み抜いた末、樋口中将の下した命令は「断固反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」であった。

士魂部隊の兵隊達は銃を再び取り、戦車の砲塔を付け直した。

池田末男大佐は戦いの前に兵士達に向かって「諸子は赤穂浪士のように恥を忍び後世に仇を報ずるか、白虎隊となって民族の防波堤となるか」と檄を飛ばした。

もしかしたら我々は戦争犯罪人になるかもしれない。しかし、今は国民の命を守る方が大事だ。
皆そう言って、まさしく白虎隊になることを勇んで選んでいった。

「戦車隊の神」と言われた池田大佐に指揮された士魂隊は押し寄せる大量のソ連軍を何度となく海へ追い落とした。

空からは増援を送るソ連軍の艦艇に体当たり攻撃を仕掛ける航空部隊もいた。

そしてほとんど全軍が玉砕しながらソ連軍を進ませなかった。

その裏で樋口が大本営や政府を通じてアメリカに交渉を実施。

ソ連の日本への影響力を弱めたいアメリカの積極的な介入もあり、ついにソ連はそれ以上の攻勢を断念した。

まさに圧倒的勝利と言っていい戦いであった。

激戦の最中、池田大佐が乗った戦車にも敵の砲弾が炸裂した。

普通なら戦車は一発で走行不能。
中の人間も即死であった。

だが、池田大佐の乗った戦車はその後もゆるゆると走り、敵兵を倒してからようやく止まった。

中を空けると池田大佐含め兵隊達がお互いを守るように折り重なって絶命していた。

彼らの奮闘があったから占守島の住人は逃げられた。

さらに付け加えると実はソ連はそのまま占守島を占領したら北海道から東北の南部まで占領する算段であった。

もしも彼らの奮闘が無ければ、北海道や東北の南部は今だにロシアだったかもしれない。

憲法9条真理教のバカどもには、これが国際政治の現実なのだといい加減気づいてほしい。

占守島を守り抜いた第十一連隊の面々はソ連軍との講和に入るが、戦いでは圧倒したにも関わらず、まるで敗軍の将のように扱われた。

そして「日本に帰してやる」と言われて窓もない列車に詰め込まれ、ついた先は極寒のシベリアであった。

つまり有名なシベリア抑留である。

これと似た話がもうひとつある。

それは樺太というロシアの先の方の地域で、当時は日本領だった場所だ。

昔は今と違って携帯や家電からすぐ相手に繋がるわけではなく、電話交換手さんが間にいて、その人に繋いでもらうシステムだった。

樺太にあった真岡郵便局にはまだ10代の女性達が電話交換手として忙しく働いていた。

当時は空襲があったり、学童疎開があったり、戦争に家族が取られたりで電話でお互いの安否や帰還の報告を待つ人が多くいた。

そんな時にまたしてもソ連が樺太へ侵攻してきた。

人々はパニックになり逃げ惑った。

あそこで別れた妹は生きているのか、母は大丈夫か、本土に嫁いだ娘に報告しなくては…

電話交換手達は非常事態でも必死に連絡を取る市民のために踏みとどまって職務に努めた。

だが、いよいよソ連軍が真岡郵便局にも迫ってきた時、9人の女性がここに残ると言った。

彼女達はまだ若い10代の少女であった。

ソ連兵に捕まったら女は強姦されて当たり前、運が悪ければさらに凌辱されて殺される。

本当にソ連兵の倫理観は欠如しており、今でもウクライナ侵攻で虐殺行為を繰り返しているのを見ると「三つ子の魂百まで」とはまさにこのことと思わざるを得ない。

にもかかわらず、彼女達はギリギリまで職務について、多くの人たちの連絡手段を守り切った。

そして「お父様、お母様から頂いたこの身体を汚されるくらいなら」と毒を飲んで死んだ。

わたしは昨今のトーヨコキッズだとか歌舞伎町で梅毒が蔓延しているというニュースを見るたびに、真岡郵便局の9人の少女達が浮かんで憤りを覚える。

先日も書いたが、特攻隊で亡くなった人の手紙に書かれている内容も「妻〇〇さんへ。あなたに会えないのが本当にさびしいです。でもわたしの心は常にあなたの元におります。身体に気を付けて過ごしてください。娘〇〇ちゃん。お母様の言い付けをしっかり守ってうんと勉強もして、たくさん遊んで元気に暮らして、大きくなってください」という内容ばかりだった。

これほど大事な家族を思いやる人が今の時代どれほどいるか。

「金をくれるパパなら簡単に股を開く」「ヤレればいい」という昨今の連中を彼らはどう思うのだろうか。

特攻隊員は、占守島の部隊は、真岡郵便局の交換手達はこんな国にするために死んだのか。

本当に胸が痛むし、憤りを感じる。

戦後、幸運にも日本は戦争に巻き込まれていないが、万が一戦火が日本に降りかかった時、果たして今のこの国は大丈夫なのだろうか。

それが不安である。

最後に、占守島の闘いや士魂隊、池田末男大佐、樋口季一郎中将についてや真岡郵便局の電話交換手に関する映画や書籍を紹介します。

ぜひとも読んだり観たりして何か考えてほしいです。

いつもの映画紹介ではなく、人間としての本気のお願いです。

また、樋口季一郎中将に関しては「三度の奇跡」と呼ばれる奇跡を起こした人物で、第二次世界大戦中、ナチスドイツと同盟を組んでいた日本軍人にも関わらずユダヤ人からも尊敬されている人なので今度樋口季一郎について書きたいと思います。

では。


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