六車のルーツを探れ_

『六車』のルーツを探れ!

「六車さんって、珍しいお名前ですね。どちらのご出身ですか?」


初対面の人に、必ず聞かれる質問だ。
その度に、両親から伝え聞いた事をザックリ答えるしかできなかった。

いやいや、これじゃいかん。
自分の家のことは、もっと知るべきだ。
というか、知りたい。
私は自分のルーツを探るべく、四国へ向かった。


六車の本家があるのは、香川県。
私は『ろくしゃ』と読むが、本家は『むぐるま』と呼ぶ。
そして香川県には『むぐるま』が多いそうだ。
特に高松の東側、現在のさぬき市大川町に多く、この地に建てられていた
雨滝城の城代も『六車(むぐるま)』姓だったそうな。


町の文献『大川町史』を読んでみると、六車(むぐるま)家のことが記されていた。
私の先祖は、江戸時代に長崎で医学を勉強した医者、六車謙一。
その後、香川に戻り開業した。
以来、医者という家業が代々続くことになる。


私が体のしくみに興味があって、美人塾を始めたことも、
妹が看護師になったことも、血筋なのかもしれないと思った。


家系図を見せてもらうと、驚くべき名前の人が!

『六車 車六(ろくしゃ しゃろく)』だ。

上から読んでも六車車六。
下から読んでも六車車六。

『山本山』か!

いくらなんでも、こりゃヒドイ。
車六は、子供の頃友達から相当イジられただろうなと思いながらも、
私も思わず笑ってしまった。


車六含め、先祖代々『むぐるま』だったわけだが、
どこで『ろくしゃ』になったのか?
そのカギを握るのが、謙(ゆずる)。私のひいおじいちゃんである。


謙は、幼い頃に両親を亡くした。
父、徳太郎は32歳という若さでこの世を去ってしまったのだ。
謙は絶望した。

両親の死後、謙は親戚の家で育てられることになった。
まだまだ親に甘えたい歳に寂しい思いをしたであろう。
その上、『本家の長男』という責任が、小さな肩にのしかかった。

年頃になり、謙は医者になるべく東京の大学へ行った。
慣れない東京での生活。
寂しさばかりが募り、謙はどうやっても馴染むことができなかった。

東京での生活に耐えきれなくなった謙は、思い切った決断を下す。
長男でありながら、家業である医学の道に進むことをやめ、
ひとり京都の地へと移り住んだのだ。
この時、同時に『むぐるま』の呼び方を『ろくしゃ』に変えた。


この時の謙は、どんな思いだったのだろう?

代々続いてきた家業を捨ててしまったと自分を責めたのだろうか?
だから故郷に戻れず、
『むぐるま』を名乗ることもできず、
『ろくしゃ』に変えたのだろうか?

それとも謙は元々、医者にはなりたくなかったのかもしれない。
両親の早すぎる死をきっかけに全てを背負わされることになった謙は、
その状況を窮屈に感じていた。東京に出て、その気持ちが確信に
変わったからこそ、心機一転、京都を目指したのだろうか?
『ろくしゃ』と呼び名を変えたのは、生まれ変わって新たなスタートを切りたかったからかもしれない。

この真相は謙のみぞが知ることであり、生涯誰にも明かされることはなかった。


京都で新生活を始めた謙は、やがてこの地で『かね』という女性に出会い、大恋愛を経て結婚する。
こうして『むぐるま』ではなく『ろくしゃ』の呼び方で、
私の先祖は代々京都に根付くこととなった。


私は、お墓参りに連れてもらった。
六車家のお墓は、山の中にある。
山のふもとに車を止め、お墓があるところまで水と花を運ぶ。
共同墓地で管理人がいるわけではないので、結構タイヘンな作業だ。

墓場に到着すると、先祖代々のお墓がずらりと並んでいた。
物凄い数だ。
こんな古いご先祖様まで遡れるとは、驚いた。

一番古い先祖から順に、お参りをする。
そしてどんな人だったのか、本家の人が教えてくれる話に耳を傾けた。


どの先祖も、それぞれの人生を生きた中で、
人との出会いがあり、人生の岐路があった。
誰と出会い、どの道に進むのか。
その偶然と必然が積み重なって長い年月が経ち、
いま、私という人間がここに存在する。
これは奇跡だ。


謙さん!
よくぞ京都に移り住んでくれたーっ!
もし、故郷で医学の道に進んでいたら、
もし、京都ではなく他の地に移り住んでいたら、
私はおろか、父も祖父も、この世にはいなかった。

謙だけではない。
今、目の前で眠っている先祖の人生があったからこそ、
私はこの世に生まれることができたのだ。

私はなんだか胸がいっぱいになり、涙が溢れた。


これまで、お墓など何の興味も無かった。
お墓もお葬式もいらないし、消えて無くなって、それで終わりにしたい。
そう思っていた。
だが、静かに眠る先祖代々のお墓を目の前にし、
自分が生かされている奇跡を感じた今、少し気持ちが変わった。


お墓は、自分のためにあるのではないかもしれない。
自分をこの世に誕生させてくれた先祖と、
未来を生きる子孫とをつなぐ、
一つの動かぬ証拠になるものなのだ。
ひいては、まだ見ぬ自分の子孫が、自分の存在を確認するために
私のお墓が必要となる日が来るかもしれない。


「あかん!はよ結婚せな!」

彼氏がいない38歳。
心ばかりが焦る、四国からの帰り道であった。


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