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就活についてあれこれ思う 『何者』

日本の大学にいた頃、中退した私は就活をする機会がありませんでした。それでも周りで就活する先輩や同級生たちを横目でみて、大変そうだと思ったものです。どうしてみんな揃いも揃って就活するんだろう?そう思って何度も疑問を投げかけました。

「どうして就活するの?」
「入社したらもう着られないようなリクルートスーツを買ったり、みんなと同じ髪型にするの嫌じゃない?」
「自分のやりたいことをどうして企業が募集している選択肢の中から選べるの?」
「その仕事本当にやりたいことなの?」
「やりたいことが決まっていないなら、たとえば世界一周してから就職するのはダメなの?」
「なんで詩人になるとか、芸術家になるっていう人は1人もいないの?」

嫌味を言っているつもりは全くなくて、本当に心の底からの疑問でした。

若者らしく自分と人生には無限の選択肢があると信じていたから、その無限の選択肢の中からみんなが迷わず疑問も感じず、一斉に”就活”というひとつの選択肢を選べることが疑問だったのです。みんなはどうして就活をする前に、就活をするか・しないかで迷わないんだろう。


そんな私は『何者』に登場する隆良やギンジみたいに、周りからイタい奴だと思われていたことでしょう。世の中を舐めすぎだとか、大人になれよと言われたことがありました。"就活しないだけでみんなと違う自分を演出できると思っている奴"と思われていたかも知れません。





朝井リョウ著『何者』は5人の就活生たちが内定を得るために表面的に協力し合い、こっそり馬鹿にし合い、陰口を叩き合う、心の駆け引きの物語です。

日本独特の採用システムであろう"就活"に追い詰められる就活生たちの心理を荒々しくもリアル感たっぷりに描いた作品で、就活というシステム自体について考えずにはいられなくなります。就活を経験した人ならきっと自身の経験を振り返り、誰かと感想を語り合いたくなることでしょう。まだ就活をしていない大学生には、毒になる小説かもしれません。



果たして新卒一括採用は最良の仕組みなのでしょうか?

たしかに、こういう仕組みに自分を合わせることができ、選抜をうまくくぐり抜けられるタイプの人は、企業にも馴染みやすそうです。そういう意味ではうまく機能しているシステムなのかも知れません。

しかし、あたかも就活以外の選択肢がないかのように思い込み、ここで内定が取れなければ人生が終わりかのようなプレッシャーを受けながら仕事を探す必要があるのでしょうか?大学在学中なのに、就活に相当のエネルギーと時間を奪われるというのも解せません。

さらに内定が取れないから留年しなければならないなんてブラックジョークのような本末転倒なことが行われる。非常に歪んだ社会だなあと思わずにはいられません。

もっと、失敗もやり直しも一旦休みも受け入れられる、しなやかで成熟した社会になってほしいです。


とはいえ、この小説が書かれたのは2012年。就活業界も今ではもう少し成長しているかもしれません。

時代の変化を感じさせるものといえば、『何者』本文中に何度も登場するTwitterが印象的な役割を果たしています。文中に引用されるTwitterのつぶやきによって登場人物それぞれの本心や個性が垣間見えるのですが、心の中で思っていることすら人の目に触れる場所に呟かずにはいられない若者たちの承認欲求は読んでいる側までヒリヒリとします。

この作品が書かれた2012年に読めば、さらに胸を突き刺すような同時代性を感じられたかもしれません。たった10年で、Twitterというメディアが古くなり始めている変化の速さに驚きます。

しかしツールは変わっても、人間の心理には時代によって変わらない部分が多分にあるものです。

就活生を思考停止した危機感のない奴らだと馬鹿にしながら、就活をしないことで”人と違う自分”を演出しないではいられないのに、仲間に隠れてこっそりと就活をするズルさ。内定が取れない焦りから取り繕えない言葉の端々に滲むどうしようもない意地の悪さ。そして他人を分析し批評することでしか自分に安心できない弱さ。

こういう心情は就活生だけでなく誰の心の中にも去来するものなのではないでしょうか。誰もが持っているであろう心の中の醜さをビシビシと描きながら、でもそういう醜さを持って堂々と生きるのが良いじゃん!という全方面を肯定する前向きな姿勢に好感を抱く作品でした。



就活について考えるとき、いつもある先輩のことを思い出します。就活中の先輩にあれこれ疑問を投げかけた時に答えてくれた言葉を今も覚えています。


「どうして誰も芸術家になりたいって思わないんだろうっていうけどさ、Nanaoは芸術家として生計立ててる人に会ったことあるの?」

「あるよ」

「そっか、俺はないよ。周りに詩人もアーティストもいなかった。だから選択肢としてイメージができない。でもうちの両親は公務員だから、公務員のなり方や公務員の生活だったらなんとなくイメージできる。とりあえず今、何がしたいか分からなかったら、自分の周りの大人を見てなりたい職業をイメージして選ぶでしょ。周りに芸術家とか詩人とか旅人の知り合いがいる人は少ないけど、サラリーマンとか公務員ならみんな知っているからイメージしやすいんだよ。みんなそうやってとにかく就活してるんじゃないかな」

「なるほど〜」

「たとえばメニューにハンバーグしか書いてなかったらハンバーグしか頼めないでしょ?でもNanaoのメニューにはハンバーグだけじゃなくてオムライスもステーキもある。それってラッキーなことだよ。就活だけじゃなくて、詩人になるとか世界一周するとかいろんな選択肢があるから悩むんだよね」


いま振り返ると、この先輩はきちんと自分の考えを持って私の質問に答えてくれた、数少ない人だったなあと思います。

みんなが就活をしているからする、という短絡的で消去法的な選択ではなくて、彼のように自分の持っている選択肢を見極めて、理解して選んでいる人は当時少なかったのではないでしょうか。


就活する・しない。何になる・ならない。

いろんな選択肢があります。
どの選択肢を選ぶかは人生の分かれ目で、大切です。

でももっと大事なのは、「みんながしているから自分もする」と思考停止の自動操縦にならず、いちいち面倒くさくても立ち止まって自分の選択肢を自分で考えて選べること。私はその方が好きです。
そのお陰で人生が楽しくなるとは約束できないけれど、少なくとも噛みごたえのある人生にはなるんじゃないか、と思います。


さて、あなたは『何者』を読んで、誰に一番共感しましたか?



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