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宛名のない手紙

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僕たちが諦めきれない「ヒーロー」について話そうと思う

そのとき歴史は動いた、と彼女はTシャツの裏に堂々と記した。真っ赤なそれに記された白は誰がみてもまっすぐで、眩しかったに違いない。ヒーローについてわたしが書いたことをふと思い出して、懐かしくなった。 よく言うけれど、大人になってからの日常というのはわりとうまくできていて、まわりの平均値が「自分」になっている。わりとよく、そう思う。だからわたしにとって芸術に触れることはすべての自分の壁を壊すための破壊活動ともいえるし、チャレンジとも言える。だから、わざわざ知らないところを覗いて

証明された猫

「話したら受け入れてしまうみたいで、言えなかった」 すべての景色が、最後に見えた。自分の意思に抗って移動しなければならない事実を、いつまでたっても受け入れられない。ぜんぶ自分で決められるはずなのに、ぜんぜん抗えない。 受け入れることは、もう一つの世界を殺してしまうことに等しいのかもしれない。でも受け入れるしかないの、と話すあの子の目がどうか、死んでいないようにと願うことしかできなかった。 上京を選んだ瞬間にも、帰ることを選んだ瞬間にも、わたしだってなにかを殺しているはず

拝啓、

ひさしぶり、元気ですか。寒くて暑いところに引っ越してきて、もう一年が経ちます。斜め前には和菓子屋があって、朝と夕方には「ひかり号」という幼稚園バスがマンションの前に止まる。ベランダに出ると、朝8時半には幼稚園へ出かける子どもが、わたしに手をふる。行ってらっしゃい、行ってきます。無言の伝言が飛び交う暮らしは、あまりにも日常的で、でも昔見た映画のよう。 ずっと続くのは退屈、でも悪くない、とも思う。 遠く離れた土地できみの活躍を(勝手に)見守ることはさみしくて、すこし羨ましくて。

フィクションの境目

「今」が一番な理由なんて明確だ。経験と知識がいちばんあって、だからこそまだ知らないことが世の中にたくさんあること、それを知れる可能性があることを人生でいちばんわかっている瞬間だから。 好奇心への執着が導いた、輪が少しずつ大きくなりつつある世界は悪くない。 もしかして壁の上にもなにかあったの? でも、そもそも見下ろすことを平気でしてしまえるようになりたくないからと。賢さによる損があるなんて、誰も教えてくれなかったし。それ以上やさしくなろうとしないで、壊れちゃうからと引き止め

すれ違い続ける、という永遠について

精神年齢が高すぎると言われた少年たちは、もういない。自由でいいねと雑な優しさで喩えられたふたりも、知らず知らずのうちにどこかの歯車になっていた。 大して変わっていない気がしている見た目も、わりと変わっていた。あの頃、校則すれすれのスカート、黒タイツにレース、ローファーを履いたわたしたちは無敵だった。 永遠なんてない、と笑いながら物語に魅せられ続けているわたしたちは、多分ずっと永遠を探している。ただ、永遠という言葉にはどこか「ずっといっしょ」とか「となりであるく」とか、そ

罪深い過去

はやく気づけばよかったと思う。ただそんなものは、あの頃に戻っても気づかない。気づかなかったことこそが事実として残り続ける。そこにあるのは繰り返される現実、不可逆性だけだ。 複製されてしまった過去ほど罪深い。一度しか体験できないはずの過去が濃縮されて、思い出す確率が高まってしまうから。でもだからこそ、わたしはいつまでもフィルムカメラを手にしているのかもしれない。 境界線があればまだよかった、と思う。というか、境界線があるということは恵まれていることかもしれない。その先は永遠

きみの夜の端っこ

あれはよかった、と思った瞬間になくしたことを自覚するのかもしれない。身体と感情が交差する瞬間に、冬が合図を出している。 選ぶとか選ばないとか。全部選んだ結果、なんて認識も聞き飽きて。ただ、それは過去という事実、現在という真実、未来と言う真理への連続だから。 そう、正しさなんてどうでもよかった。正義なんてものは人の数だけ存在できるものだから。ただ、やさしい正義が守られないのが嫌なのだ。だからわたしはそれを守りたくて、今ここにいる。わたしは守ると言い切ること、そんな曖昧な責任

親友が24歳になった。

彼女を見ていると、いつもなにかに振り回されていていいなあ、と思う。 北参道で、顔にカレーのルウをつけて笑う彼女に向かって「なにしてんの」って笑いながら話した日に、わたしは改めて、いい友達をもったなあと思ったものだ。 彼女は突然、わたしが通っていた塾にやってきた。10年以上前のことだ。いわゆるお受験コースにやってきたにしては、だいぶ抜けている……。というのが生意気なガキの感想だった。 でも、わたしは彼女の虜だった。だって、持ち物が本当にかわいかったから。どんなものを持って

「つらいけど頑張る」の危うさについて

耐える、頑張る、我慢する、戦う…10代の頃シャワーのように浴びた言葉たちだが、当時わたしを奮い立たせてくれた記憶はあまりない。 特にそれが、何も知らない人からの言葉であればなおさら。 いろいろ定義はあるけれど、わたしにとって大人とは「経済的に一人でも生きていける人」だった。誰でも一度は通る道だろうが、とにかく早く大人になりたかった。 どうしてか。わたしの定義通りの大人になれば、自分はすべての呪縛から開放されて好きに生きていけると思ったからだ。 どうしても早く大人になり

新しい朝、新しい日常。コーヒーマシンと救世主

日常というのは、知らない間にできあがっているものだ。フィットするものというのは、わたしにとって足音のしない、突然そこに存在するなにか。 「コーヒー好きだよね」 友人からの連絡に、もちろんと返事をした数日後に届いたのは、コーヒーマシンだった。 そもそもどうしてここまで関係が続いているのか、なんてことすらよく覚えていない。分かち合った思い出がたくさんあるわけでも、共通の何かがあるわけでもなかった。 そういえばごはんを食べにいったり、わりとしっかりとしたメールのやりとりをし

拝啓、深夜のラーメン店

深夜を駆け抜けていくのは、彼のラーメンをすする音だった。ズズズという不規則なリズムを頬張る姿を、ぼうっと眺めていた。 「麺、のびちゃうよ」 うん、分かってる。そもそもどうして今日わたしたちは、こんなところにいるんだろう。こんなはずじゃなかった、昔のわたしがこんな姿を見たら呆れるに違いない。 誕生日は素敵なレストランで、かっこいいお祝いをしたり、花束をプレゼントしあったり。そういう「特別」を夢見ていた、はずだった。 今日は彼の誕生日。なのに、なぜかいつものラーメン屋にい

青空を味方につけてしまう彼

そろそろセーターをしまっていいよと、季節は言う。それでもたまに寒くなって、いじわるだ。焦らされるほど、訪れたときの喜びがおおきいなんてことを知っている春って、本当にずるい。 わたしは犬が好きだ。ちいさい頃からの口癖は「犬が飼いたい」だった。実家がマンションだったのでそれは叶わなかったけれど、いつか飼うのだと思う。犬のようなひとが好きなのだけれど、過去をさかのぼっても、そうだよなあと我ながら納得する。 そういえば犬のような彼には、春に出会った。 ────── あまり甘え

ロマンチックが離さない

改札をくぐって右、「右側通行にご協力ください」、地上へ出て右へまっすぐ。坂をのぼっていくほど気持ちが高鳴るのは、この坂のせい?それとも、今から行くお気に入りの店が、わたしのすきな“右” をくり返して、やっぱり右側に見えることが分かっているからだろうか。 右が好き、というとほとんどのひとが不思議そうな顔をする。右側に好きなひとをみながら歩くのが好き、というとさらに不思議そうな顔をする。理由なんてない。落ち着く、ただそれだけのこと。 でも多分、本当は理由があるんだとも思う。大

いってらっしゃい、いってきます。突き抜けるほど晴れた日に

いつも通ったコンビニが行きつけじゃなくなる瞬間も、何度も歩いた線路沿いも。日常が、日常じゃなくなる瞬間は突然だ。 バイトに明け暮れた日も、落ち込んで帰った日も、足を運んでしまう場所があった。 わたしの家の玄関を過ぎた先、自分の部屋を過ぎてそこに帰った日は、もう数え切れない。 彼女なしに、この日々を語ることはできない。わたしより、わたしを知ろうとしてくれた。わたしが喜びすぎると現実に引き戻してくれて、冷静でいすぎると感情の渦へと連れ出してくれたひと。 夏の日の