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会話

コミュ力が高い。無駄に、めちゃくちゃ高い。つまり、わたしは弱い。最近はそれを再認識する出来事が立て続けに起こった。

生きる力が、実は全然ない。自由を愛するにも関わらず、ひとりでは生きられない。どこからか漠然とした不安がやってきて、家族のことを思い出しては孤独を感じ、死ぬことに憧れる。
人と話しているとき、その漠然とした不安のようなものはどこかに隠れる。一生消えることのないその不安が。ひとりになればそいつはまた戻ってきて、わたしは再び空虚な空間にひとり投げ出される。肉体の中に一人ぼっち。
いつか、松浦与太郎が書いていた「うまく生きるということは、”不安と孤独” とうまく付き合うことだ」と。つまり自分にはその技術がない。その為に、その漠然とした何か抵抗できない脅威から身を逃すことに必死になる。が、発達したのはなぜが外面のコミュニケーション能力だけで、肝心の、真髄のようなものにはちっとも影響していないのである。

コミュ力というものは確かに役に立つ。喋る仕事なら模範のようにこなせるし、コミュ力をお金の代わりにして物や時間を買うことだってできる。知り合いが増えるから街を歩いても楽しいし、配信でもすれば永遠に喋れる。
が、ときどきメンタルが強い人間だと勘違いされてしまう。実際はその全く逆なのだ。見捨てられるのが怖い。でも、一体どこから?泣きながら生まれたこの世界で、死ぬときはみんなひとりぼっちのこの世界で一体誰から見捨てられると言うのだろうか。ところで、血の繋がりなんてクソ喰らえだ。


【余談】
ガスの開栓に来たお兄さんが、コンロも冷蔵庫も使わないのか、と驚いていた。帰り際にブラックサンダーを一つあげた。


ここ数日はSKRYUさんに脳内ハックされている。

パワ〜!



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