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瞬間と永遠のしるし、そして人類の墓碑銘――現代美術家・蔡國強の展示を振り返る

とにかく若い人が多く、活気に満ちている。
音楽業界の側の人間としては、正直、この会場のお客さんが、そのままクラシックのコンサートに来てくれたらどんなにいいだろうと思った。

この夏最も印象に残った展覧会は、「蔡國強(ツァイ・グオチャン) 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」(国立新美術館、8/21で終了)だった。

現代美術家の蔡國強(1957-)については、世界文化賞の受賞者として名を連ねているほど国際的なステイタスが高いこと、火薬を使ったアートが特徴で、北京オリンピック開会式のあの壮大な花火の仕掛け人だったことくらいしか知らなかった。本格的に作品にまとまって接したのは初めてである。

なぜ足を運ぼうと思ったかというと、同じ国立新美術館の「テート美術館展」に行った際、隣の会場で当日券売り場が若い人で大行列になっていて、アジア系の観光客も多かったのが妙に気になったからだ。
会期終了間際にぎりぎり何とか都合をつけて飛び込んだが、大正解だった。

”外星人”やUFOをモチーフにした「未知との遭遇」という遊園地のようなインスタレーションの中を観客は自由に歩き回る。地球的視点で人類の営みを考えようというメッセージが伝わってくる。

現代美術というと、難解で抽象的なものではないかというイメージをつい抱きがちだが、蔡國強の作風にはそういう人を警戒させる難しそうなところは全くない。
北京オリンピックの花火と同じで、大人も子供も、国境や文化の違いを超えて、誰もが楽しめるような面白さと大衆性、奇抜な着想とイメージの壮大さがある。
通常の美術展は「順路」に従って、人々は定められた通りの順番に進みながら作品を鑑賞する。しかし国立新美術館のこの展示は、ひとつの大部屋があるだけで、開放的な空間にいきなり放り込まれる。観る順番は自分で決めて良い。何度も行ったり来たりできる。それが蔡國強の作品の自由な雰囲気とよく合っていた。

この展示にしばしば出現するUFOと外星人(その存在を本気で信じているというよりは、夢想性の方に力点がかかっている)は、鑑賞者が地球的・宇宙的な視野で物事をとらえ、人類の直面している諸問題に対して、できるだけ国境を越えた俯瞰的なイメージを持つための仕掛けである。
それはあまりにもシンプルすぎる子供じみた提案と思えるかもしれない。だが作品のクオリティがそこに深みと真実味を与える。

「銀河で氷戯」(2020年 火薬、ガラス、鏡)。人類が宇宙でアイススケートをしているというロマンチックな魔法の行為を表現したものだという

蔡國強の作風の特徴のひとつが、丹念な工程と準備ののちに計画的に火薬を爆発させて、その燃焼の痕跡をガラスや紙や木製パネルなどの画材の上に留めるというものだ。
火遊びにも似た一見奇異な方法だが、ときには後から筆で描き加えるなど、手作業の要素もある。そうやって出来あがった絵は、神秘的でダイナミックな、そして人をどこか瞑想へと誘い込むようなものとなる。

「ノンブランド 非品牌5」(2019年 火薬、ガラス、鏡)。丹念な準備の末に火薬を爆発させて鏡面上に瞬間と永遠のしるしを定着させる。その精緻で神秘的な色彩には驚かされた。

それぞれの作品からは、火薬の爆発する音が聞こえてくるようだ。瞬間の中の永遠。それはどこか音楽にも通じているという気がする。

とりわけ心を揺さぶられたのが、「人類の墓碑銘」と題された作品である。

「人類の墓碑銘 外星人のためのプロジェクトNo.13」(2020年 火薬、墨、紙、木製パネル)。宇宙空間に漂い続ける人類の棺桶の、何と悲しくてはかないことだろう。愚かだったかもしれないが、美しいものもたくさん生み出した、私たち人類が懸命に生きようとした証しがこれなのだ

1990年に構想されたこの作品は、「有機物や微生物など生命の痕跡を含んだ凍った海水の塊を、墓石あるいは棺桶の形状にして、宇宙空間に漂わせる」ものとして考えられていたという。作品横のプレートには、蔡國強による詩的な一文が添えられていた。そこから引用する。

「真っ白な氷塊は、内に地球の海に漂う生命の構造と歴史を凝縮したコードを秘めて、無限に広がる時空をさまようのだ。
(中略)もし別の文明に侵入しても、手引きを得て、無傷で大気圏に入り、新しい住処に落ち着くなら、その異世界の思想家たちの寵児となることだろう。すべては理解され、何も語られる必要はない。この贈り物を大気圏外に持ち出して、長く波乱に満ちた旅に送り出した友人たちの努力と不安は、その高貴な社会を深く揺さぶることだろう!
もちろん、そんな1兆分の1の可能性が実現しなかったとしても、氷の塊は宇宙線とともに静かに眠り、時折、他の星からのきらめくような挨拶を受け、安らぎを得るだろう」

こうした超壮大なビジョンを見せられることで、愚かな争いごとに明け暮れている人類の営みを、地球という小さな星の有限性とかけがえのなさを、私たちは巨視的な観点から客観視することができる。

コロナ禍による自主隔離の日々、蔡國強はニュージャージー州の田舎に引きこもりながら、20代終わりの1986年から90年代半ばにかけて苦しい生活を続けていた日本滞在期間のスケッチブックを見直すことで、自身の創作のルーツを確認できたのだという。それが今回の展示作品にも反映されている。

別コーナーの展示では、蔡國強が暮らしていた福島県いわき市での活動、進んで協力し応援してくれた地元の人々との、いまも続く心のつながりがドキュメンタリーされていて興味深かった。東京のような大都市でなくとも、土地との結びつきを強くすることで、芸術家は成長できるというひとつの証しを見る思いだった。

いわき市といえば、2011年3月の大震災以来、私も、福島第一原発から最も近い場所にある文化施設として、いわきアリオスのクラシック音楽事業をたびたび取材してきた。以来いわき市には強い親しみを持っているので、蔡國強がデザインし館長をつとめるいわき回廊美術館にも、近いうちにぜひ足を運んでみたい。

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