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悪徳金融業者からビジネスの基本を教えられた話

「学生さんの編集する文芸誌や総合誌、どこよりも安く印刷を請け負います」
ある日、そんな広告をスポーツ新聞の片隅に見つけた。猥雑な広告ばかりのページのなかにポツンとその真面目そうな文字だけが目に飛び込んできた。

1980年代の半ばのこと。
まだ大学生だった私は、ミニコミ誌の編集をいくつかやっていて、そこでいつも頭を悩ませていたのが、安いコストでいかに印刷製本をするかということだった。
藁にもすがるような思いと少しの好奇心で、電話でアポをとり、指定された場所に出かけて行った。

高田馬場駅のすぐ横にある「さかえ通り」という商店街を少し進んでいった右手にある、狭い雑居ビルの2階にその小さな事務所はあった。
その会社の名前は憶えていない。確か「ハッピーローン」とかそんな感じだったと思う。どう考えても怪しげな街金融業者の看板なのだが、そういうところで学生の作るミニコミ誌の印刷を安く請け負うという仕組みが知りたいという好奇心に負けて、勇気を出して私は小さな階段を上がっていった。

目のぎょろっとした、肌のつるんとした、小さな口ひげを生やした40代くらいの男が出てきて、
「ああ、君が雑誌の編集をやっている学生さんか」
と言った。
そして少し笑いながら付け加えた。
「よくここまで来たね。その勇気をほめてあげるよ」。

その男はすぐにこういう条件を出してきた。
「どこよりも安く印刷を請け負うためには条件がある。他の3社から見積書を取ってくること。その3社の中の一番安いところより少し安い値段でうちが作るよ」

どういうことですか、ここで印刷をしているわけではないんですか、と聞くと、男はこう答えた。
「うちは印刷屋じゃなくて、見ての通り、学生や主婦を相手にお金を貸している街金融ですよ。ただ、うちも印刷業者とは長い親しい付き合いがあるんでね。そこに仕事を回す形で、話を請け負うことはできるんです」

とそこまで話したところで電話がかかってきた。

目の前で繰り広げられている会話から察するに、電話の向こうはその街金融から金を借りている女子大生で、返済に困っている様子だった。
「そんなこと言ったってねえ、うちも商売でやっているんで、返してもらわないと。君若いんだからさ、金を稼ぐ方法はいくらでもあるでしょう? たとえば身体を売るとかさ」

「身体を売る」という言葉を発したその男は、いかにも愉快そうに声を上げて笑った。受話器の向こうの女子大生が困り切っているのが目に見えるようだった。

電話を切ると、男は私に目くばせしながらこう言った。
「聞いていたでしょう? 僕たちはお世辞にも褒められた商売はやっていない。悪いことをやっているという自覚もある」

そこで少し真面目になって男はこう言った。
「だから、これから社会に出ようという学生さんのために、少しでも世間を知ってもらおうという、この印刷の話は僕の”罪滅ぼし”なんですよ。最近流行っているじゃないですか、いわゆるメセナってやつ。社会貢献。
 君は出版社を目指しているのかもしれないし、違う業種につくのかもしれない。どんな会社に行ったとしても、他の会社に何かを外注したりすることはあるでしょう。うちみたいにこんな悪いことしている会社でも、印刷屋とはどうしても付き合わなければいけない。そこではまっとうな取引をする。
そういうとき、どうやって安い値段で作るかというと、見積もりを取ることからすべては始まるんだ。そしてこれは僕からの君へのアドバイスなんだけど、必ず3社から見積もりをとること。そうやってコストを下げるのは商売の基本なんだ」

でも、3社からの見積もりよりもさらに安く印刷できるという理由は?と尋ねると、男は答えた。
「その3社の見積もりには、そう無理な値段は書いてないはずですからね。それよりも少し安い値段で請け負ったとしても決して損はない。それにうちは付き合いのある印刷屋に新しい話を紹介してあげられる」
そしてこう言った。
「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』って知っているでしょう? 僕は悪い商売をしているから、地獄に落ちるかもしれないけれど、少しだけいいことをしておけば神様が糸を垂れてくれるかもしれない」

狐につままれたような気分で私はその事務所を出た。
その後3社から見積もりを取ってその男に持っていったかって?
まさか。

でも心には残った。
最低3社から見積もりを取ること。そのアドバイスはいまも忘れられない。

※トップ画像は、アルブレヒト・デューラー「大受難伝」より「キリストの鞭打ち」(町田市立国際版画美術館所蔵)の足もとの犬。ADのサインの傍らにいる毛深い犬は作者デューラー自身を象徴する。捕縛されたキリストの足元でこちらを見ている姿は、苦しむキリストを罵倒し攻撃しようとする悪人たちの醜い様子を、観る者に伝えるジャーナリスティックな目撃者としての矜持を感じさせる。傍らにある茨の冠のちぎれた描写にデューラーのリアリズムを感じる。
下の画像は同じ版画の全体。

アルブレヒト・デューラー「大受難伝」より「キリストの鞭打ち」(町田市立国際版画美術館)。総督公邸に連行されたイエス・キリストを嘲弄し、罵声を浴びせ、口笛を吹く人々の様子が描かれている。その中には子供も混ざっている。「マタイ受難曲」第2部では、人々は「葦の棒でイエスの頭を叩いた」とあるが、デューラーのこの版画をよく見ると、葦をたくさん結んだ束のようなもので叩いている。これで頭や顔を突かれれば、さぞかし痛いだろうし、「血にまみれ傷だらけの頭」になるのも当然だと思われる(むろん、葦の棒を葦一本で描いた絵画もあり、イエスを叩いたこの葦の棒がどのような形状だったのかはわからない。少なくともデューラーは残酷さを際立たせて描いている)。左側に横向きに立っている立派な身なりの無表情な人物は、イエスを十字架にかけるという決定に関して責任を負いたがらなかった総督ピラトだろうか。







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