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【書評】そのまま生きてて、いいんやで。〜西加奈子『くもをさがす』

人気小説家西加奈子が、乳がんになった 異国の地カナダで。コロナウイルスが世界中を苦しめた3年間、乳がんの闘病を赤裸々に綴ったノンフィクション。発売後即重版が決定し、各種メディアでも取り上げられている話題の1冊です。

著者の西加奈子さんは、『サラバ!』で2015年直木賞を受賞、多数のベストセラーを生み出しています。順風満帆に思えた日本での生活から離れ、家族と猫と共にカナダのバンクーバーへ移住。子育てをしながらの語学留学中に、乳がんが見つかります。

乳がん発見から寛解までの道のりを、包み隠さずノンフィクションで描ききった『くもをさがす』。日本中に共感と感動の輪が広がっている今、私にとっての『くもをさがす』を綴ってみようと思います。


47歳を過ぎるのが怖かった私

「自分はいつまで生きられるのだろう。」40歳を過ぎる頃から、毎年の誕生日を迎えることが怖かった。47歳に向かってカウントダウンをされているような感覚。年齢を重ねていくことが、こんなにも恐ろしいものなのか。

私の母は、私が20歳の時に47歳で亡くなった。胃ガンだった。スキルス性胃ガンは、まだ若かった母の体をあっという間にむしばんでゆき、ガンであることがわかってからわずか3年であっけなく死んでしまったのだ。

今から30年程前、ガンが不治の病であった頃の話だ。母の場合は、発見が遅かったこともあり、手術をしても病巣を全て取り切ることができなかったのだそうだ。その後、腹膜から全身に転移したガンにより、母は帰らぬ人となった。

私の祖父も、ガンを患って亡くなった。何となくではあるが、「私の家系は、ガンにかかる家系なのだ。」と思い知らされた。

母の闘病中、亡くなってから読んだ小説は、どれも「ガンにかかると最後は死んでしまう」話ばかりだったように思う。

愛する人にガンを告知する場面、抗がん剤で髪の毛がごっそりと抜け落ちる場面。そのうちに痩せ細り、食事さえも取れなくなってしまうのだ。最後は、愛する人たちと別れ、亡くなってしまう結末が待っている。

もう、その通りだった。私の母も、同じように衰弱し、死んでいったではないか。私の中にいる母は、いつまでも47歳であり、それ以上歳をとることはない。私が知っている母の姿は、ここまででしかないのだ。

母の闘病中、一人っ子だった私は父と交代で看病し、付き添った。大学生になったばかりの私は、地元の大学に通いながら、母の入院先の病院へ通った。楽しく大学生活を送る友人を尻目に、私は助かる見込みのない母の看病を続けている。母に嘘をつき続けることも、とても辛いものだった。

病院独特の匂いが、自分に染み付いてしまっているような気がした。付き合っている彼と会うときも、病院の臭いが気になってしまい、会うことも億劫になってしまった。毎日弱っていく母をこの目で見なければいけないことも、治らないことを隠して、励まし続けることも、学校生活がままならないことも、私の心を弱らせていくのに十分だったのだ。

「早く楽にさせてあげたらいいのに。」そんなことを思ってしまう自分が嫌だった。母親の死を願ってしまう私は、なんてひどい子どもなんだ。母に生きて欲しいと願うことと、早く穏やかな死を迎えさせたいという気持ちの間で私はもがき苦しんでいた。

だから、私も同じ目に会うんだろうな、と思い続けてきたのかもしれない。
ひどいことを言ってしまったり、考えてしまった報いが、きっと来るだろうと恐れていた。私も47歳になったら、母と同じ病気で死んでしまうかもしれない。そう考えると、誕生日を迎えることが怖くて仕方なかったのだ。

そんな自分も、47歳を過ぎ、今年で50歳を迎える。姉妹もいなく、祖母も亡くなり、身近に年上の女性がいない中で、私はどう生きればよいのかがわからなくなっていた。


西加奈子『くもをさがす』にハグされた私


西加奈子の作品は、中学生にも人気がある。私は学校図書館の担当者でもあるため、西加奈子作品は、学校図書館に必ず揃えていた。最初に読んだのは、『きいろいぞう』だったと思う。

つかみどころのない小説だな、と思った。何度読んでも、「つま」と「おっと」の最後が腑に落ちなかった。その後の『さくら』『サラバ』『夜が明ける』など、ときどき読んできたが、すごく好きな作家かと言われると、そうでもなかったかもしれない。

でも、である。

今作『くもをさがす』は、試し読みをした直後、買ってすぐ読みたいと思った。電子書籍ではなく、紙の本が欲しかった。すぐに書店へ走り、平積みになっている本を購入し、一気に読んだ。

私は、西加奈子という人が、大好きになった。

ガンになっても、生きていられるという希望。ガンになっても、その人らしくいられるという希望。そして、ガン=負け戦というラストの定説を書き換えてくれた希望。

ガンに罹ったからといって、死ななくてもいいんだ。治る病気でもあるし、自分の人生を、自分らしい生き方を諦めなくてもいいんだ。

私にとって、とてもとても大きな希望と、気づきを与えてくれたのだ。

学生時代に留学したカナダの雰囲気を感じられたことも嬉しかった。カナダの看護師や病院スタッフが関西弁を話すことも「あれ?」と思われる人もいるかもしれない。が、私のカナダでの生活を思い返すと、ごく自然な日本語として捉えることができた。

様々な人種が互いを尊重し、助けあう社会であることを、カナダの人々は誇りにしてきた。大学の授業では、カナダ=モザイク社会、と表現されていた記憶がある。「人種のるつぼ」=サラダボウルという表現に対して、カナダ社会は、文化的モザイクと言われている。ダイバーシティという言葉が聞かれるずっと前から、カナダはそのような社会を形成してきたのである。ひと昔前の日本で見られた助け合いの精神が、カナダでは脈々と生き続けている。日本は「情」、カナダは「愛」。私たちの抱く社会の様々なモヤモヤが、西加奈子節でバッサバッサと片付けられていく。その爽快感たるや、筆舌に尽くし難い。

もし、西加奈子氏が日本で乳がんの治療、闘病を行っていたら、こんな作品にならなかったのではないかと思う。西さんは、私の4つ下の年齢ではあるが同年代の女性であり、子育て中であることも親近感を抱くところが大いにあった。

自分の家族や子どもをどうするか、仕事をどうするか、本当に治るのか、死ななくてもいいのか、闘病した本人にしかわからない経験や心持ちを、正直に、勇気を持って、包み隠さず文章にする。その力強さ、優しさ、そしてユーモア。

西加奈子という人は、本当の物書きなのだ。心の底からそう思った。


生きにくいこの世を、笑って生きてゆくために


「あなたは、あなたでいいんやで。」

読んだ後、私はそう語りかけられた。20歳で母を亡くしてから、ずっと振り払えなかった呪縛を、すっと取り払ってくれた気がした。
西加奈子という人とその周りの人たちの文章から伝わる「愛」が、私を大きくハグしてくれたかのような暖かさを感じたのだ。

年齢を重ねていくたびに、窮屈になっていく私たち。年相応という言葉がある裏で、若見えのために何かを誤魔化そうとしていないだろうか。○○見え、という言葉に、私たちの価値観は振り回されていないだろうか。

それはものの見方、考え方の軸が「他人」にあるということ。「私」はどこにあるのか、ということを見失わないことが、自分自身の幸せに繋がっていくのではないだろうか。

ガンに真正面から向き合い、弱い自分を曝け出し、周りの人の助けをありがたくいただきながら生きていくこと。遠い未来を見て悲観的になるのではなく、「今」この時を精一杯楽しんで生きること。その積み重ねが、年齢を重ねるということなのだということを西さんの魂から生み出された言葉から私は教えられた。

乳がんの闘病記と聞くと、ガンと闘っている方が読むといいと早とちりされてしまいそうだが、この本は、生きにくさを感じている全ての人に書かれた本であると言っても過言ではないと思う。

私のように、ガンに家族を奪われてしまった人、喪失感に苛まれている人にとっても、救いの1冊になると、私は信じている。母を失ったとき、私は何もできない、無力な子どもだった。あのとき、何もしてあげられなかった、助けてあげられなかったと、大人になった私はずっと苦しんできたのだ。でも、事実は違っていた。ガンになるのは、誰のせいでもないと。ガンは単なる病気であり、生きながら治すことができるのだ。

「ガンとは闘わない。一緒に生きるんや。」

乳房を失うことは、怖いことではない。どうせおっぱいなんて、もう使うことはない(笑)という言葉に妙に納得し、勇気をもらった。女性特有のガンを取り去るというのは、女性のアイデンティティを失うことなのかもしれないと私はずっと怖かった。でも、よくよく考えてみれば、もう使わないものだし、それを失ったからといって「私」が「私」ではなくなる訳ではない。

失うことは、怖いことではない。生きることの方が、よっぽど大事。

こんなシンプルなことはない。

それで、いいのだ。



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