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【退屈な科目を刺激的に〜ライバル校のヘッドになったD教授】

【退屈な科目を刺激的に〜ライバル校の学長になったD教授】

昨年末よりビジネススクール時代の教授や授業で「学んだこと」について取り上げていますが、「教わったこと」ではなく「学んだこと」と書いているのには理由があります。

ビジネスの世界では「教わったこと」すなわち方法論やベストプラクティス、分析手法などはは卒業と同時に時代遅れ、というか現実の方が先を行っている場合が殆どです。

だからと言って無価値なわけではなく、ビジネスに関わる幅広い分野の知識に卒業後短時間でキャッチアップするための土台作り、としての意義はあると思います。ただ、何がしかの分野の「専門家」になりたいと自覚しているのであればMBAなど取らずにその分野に特化して実務経験積む方が良いと思います。

<余談> 起業家志向の方も同様に、起業したいと思いまた取り組みたい課題や作りたい製品が見えているなら創業すれば良いのです。創業者になるのにMBAはあっても良いけど、必要条件ではありません。この話題はさらに語る余地あるのですがここでは本題でないので割愛。

僕はここでは「学んだこと」とは、授業や課外活動の中で教授やゲスト、そして同級生と交流する中で得た洞察や着想のうち、その後の自分のものの見方や考え方、そして行動の変化をもたらしたもの、だと考えています。これまでに取り上げた「授業」はそういう「変化」に繋がったような人や場、とお考え下さい。

前置きのつもりが長くなりました。ここからが今回の話。

現役VCの方もアンディ・グローヴも立場としては「講師」でしたが今回取り上げるのはいわゆる「教授」。MBA1年次の2学期目でのCost Accounting、日本語だと「管理会計」に相当する科目を担当したインド出身のD先生です。

基本的にはこの科目、財務会計を補完するもので、中心となるのは固定費や間接費、場合によっては直接経費を部門間・事業間でどう割り振って経営者として公平な評価判断をするか、について勉強するものです。その意味では「経営会計」とすべきなので以下そう呼びます。

そんな科目なので普通の大学教授が講義形式で教えたら「退屈」な科目です。それこそこれ学びにビジネススクールに来る必要は無い科目(注:個人の意見です)ですが経営判断する上では原理原則は理解しておかないと「数字の罠」に嵌る可能性があるので、スタンフォードも含め当時は必修教科としていたビジネススクールは多かったと思います(今は知らん)。正直、僕も必修でなかったらなんだかんだ理屈つけて取らずに済ませていたでしょう。

ところがこのD教授、「普通の大学教授」ではありませんでした。

まず授業の形式。教科書はあるものの授業はほぼ毎回ケーススタディ。毎回教科書を1〜2章読んで練習問題も解く「予習」をしてからクラスではさまざまな企業が直面した「経営会計」問題の議論。ケースも会計用ではなく普通のビジネスケースで、書かれた情報を経営会計的視点でどう読み解くか、が問われました。

そして生徒の持つ力を最大限に引き出してクラス全体の学びの質を高めようという姿勢。これはどの教授も心掛けていましたがD先生の場合は徹底していて、最初のクラスでまず全員の顔と名前、そしてMBA以前の経歴を頭に入れてきていたのにも驚愕しましたが、毎回のケースで「この会社にいた(あるいは同じ業界にいた)〇〇さんはどう思うかな?」と振ったりそこで返ってきた発言があまりにも楽屋話に過ぎると「それは固定費を配分するときにどう言うバイアスになったと思う?」と深掘りしたり。

こういったディスカッションにより「コスト配分計算の仕方」は予習で済ませ、クラスではその結果に基づいてどんな経営上の判断をするか、判断を誤る余地はどこにあるか、業界や業態はもとより、組織文化や力学次第でバイアスが入り込むか、といったことを「学び」ました。

その後仕事でいわゆるコスト会計をする機会は無かったものの、コンサルタントとしてもスタートアップの財務担当者としても資金調達や経営判断に使う経営計画・予算・業績予測モデルを作る際にはこの授業で得たことはだいぶ役立ちました。その意味では実践的で「生きた」経営会計を学んだ、と言えます。

流石に「日本の銀行」のケースは無かったので僕はそう言う話を振られることはありませんでしたが、いわゆる「原価」の無いビジネス、人件費と固定費の配分だけでコストが決まるようなサービス業のケースの時には「発言期待してるよ」と言われたので頑張りました。

実はその「期待してる」発言も、最初の学期で英語には困らないものの米国での実務経験の無い外国人留学生としてクラスパーティシペーション(ディスカッションへの貢献、成績評価上の重要ポイント)に悩んだことをD先生に早々に相談に行った際に「じゃあ先々こういうケースあるからそこで発言頑張ってご覧」と言う仕込みがあってのことでした。僕の気のせいかもしれませんが「よくやったね」と言う目で見ていただいた覚えがあります。

それまで日本でも、そしてスタンフォードの最初の1学期でも様々な教師・教授に教わってきましたがここまで教育者としてのプロ意識の高い、そして心から生徒の学びに取り組む「先生」はいませんでした。

そう思ったのは自分だけでは無く、その年の学生投票によるDistinguished Teaching Award(最優秀教育者賞)を取ったのはD先生でした。起業論やマーケティング、ファイナンスといった華やかな分野でなく「経営会計」のような一見地味で裏方的な科目教えてこの賞取ったのはそれだけ受講した学生が授業内容と教授の人柄に心底感じ入ったか、の現れだと思います。

教育者でもなく、またこんな人格には到底及びもつかない僕ですが、これもその後社会に出てから仕事で出会う人のバックグラウンドは事前に調べたり、その人が自分と関わったことにより僅かでも何か得るものがあったかどうか、ぐらいの心掛けはさせていただいています。

この体験があったので、その後MBA2年目の春休みにジャパントリップという「日本経営の現状と課題を学ぶ」学生企画による研修旅行の幹事を務めた際に「この人しかいない」と思いD教授(と若手の製造管理の教授)に引率役をお願いし、快諾いただきました。この旅行は非常に有意義なものだったのですが、その話はいずれまた。

そしてその翌年、D教授はスタンフォードを去り「ライバル」のハーバードビジネススクールに移籍しました。非常に残念に感じると共に「あのケース中心の教え方ならD教授、ケースメソッドの総本家ハーバードの方が合ってるよな」と皆で納得したものです。

そして時は流れ、自分がMBA卒業してから25年経った2021年初め。パンデミックの真っ只中で右見ても左見ても陰鬱なニュースばかり、のところに一点の嬉しいニュースとして飛び込んできたのがD教授のハーバードビジネススクールの学部長就任でした。「さすがハーバード、見る目あったんだなあ」と大いに感心して「覚えてくれているかな?」とお祝いのメールを送ったところほんの数日で「ありがとう!」という返事を頂きました。

四半世紀をまたぐ感動、とでも言うべきでしょうか。

そしてこの文を書こうと思い立ってD教授どうしているかな、と思いニュースを検索したところ「ハーバードビジネススクールの変革に向けた大胆なアジェンダ」と言うこの記事を発見しました。その内容については割愛しますが、そこでD教授がガンジーの「人類の繁栄を阻害する7つの罪」のうち三つを「ビジネスが陥ってはいけないもの」として引用していました。

“One of those is science without humanity. Another is commerce without morality. A third is knowledge without character.”

Srikant Datar quoting Ghandi, Harvard Magazine

(人間不在の科学、モラル無きビジネス、そして人格・品性を伴わない智恵)

やっぱりこの人は素晴らしい教育者でありリーダーでもあるんだなあ、と改めて感じ入った次第です。そのせいかこの文章も一段と長いものになってしまいました。

「ライバル校を褒めてどうする」などという声もあるかもしれませんが、優れたものを褒めるためなら問題ではありません。

D教授、いやスリカント・ダタール教授、あなたから教わったこと、学んだこと、そして今も学んでいること、自分の中で生きております。

本当にありがとうございます。

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