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不安につながらないように

 私が初めに勤めていた施設では、それこそ様々な障がいと呼ばれるものをお持ちの方がいましたけれど、すべての人が同じフロアで過ごすのではなく、ある程度その種別でわかれておりました。

 重度知的、自閉症、多動
 重心
 軽度知的、精神
 重複、中途
 児童

 大まかにわけるとこのような形になります(正確にはもう少し幅があります)。

 その中でも、重複のグループが一番曖昧なもので、児童を除くその他のグループの特性を持ちながらちょっと違う、このグループっぽいけれど、少し違う、明確にグループわけができないという方が中心のグループでした。

 私はそのグループの職員でしたが、印象としては、障がいと呼ばれるものそのものに等しいような曖昧さがあり、それだからこそおもしろい、というものでした。

 その中でも、中途での障がいをお持ちの方とかかわる機会が一番心に重くのしかかりもし、難しいものだと感じました。

 例えば、幼稚園のころ、例えば、小学校のころ、例えば、大学の卒業間近、例えば、四十歳を過ぎてから。様々な年齢の中、病気や事故で障がいとーーハンディキャップを背負った方が、います。

 それこそ、まったく体も動かせず意識もほとんどない方から、知的にはクリアでお話しもできる方、身体に硬直があり高次脳機能障がいによる感情コントロールの難しい方、本当に、様々な方がおります。

 病気により視覚的、聴覚的に難のある方もおりましたが、中途であるゆえに(特に学校卒業後の年齢の方)、点字、手話等でのコミュニケーションが取れない方もいました。また、もともと知的に障がいのある方で聴覚障がいを重複している場合では、独自の解釈による手話のようなもので会話をする方もおりました。

 その人、独自の解釈、独自の世界によるコミュニケーション。

 それは彼ら自身が考え、伝えたい、という気持ちの中で表現した、生き方そのものにも思えたし、生きる術を見出したようにも感じ、とても学ぶことが多かったです。

 彼らを見て思ったことは、いつでも、自分が同じようにハンデを背負う可能性があること、そして、今の状況がすべてではなく、どう生まれ、育ち、生きてきたか、当たり前のことかもしれないけれど、その人それぞれの自分史があること。それは、中途の方でなくても、そうかもしれないですが。だからこそ、探り当てることもそうですが、過去の記憶を呼び覚ますようなアプローチも、必要なのだと感じています。

 障がい、という言葉そのものだと、その人に難があるようにも感じますが、実際には、ある物事に直面したときに、障がいになりうる、というほうが正しいように感じます。

 例えば、コミュニケーションにおいて、聴覚的に難のある方とお話しする場合、口から発せられるものだと難しく、そこにお互いのコミュニケーションにおける障がいが発生します。が、例えば手話や筆談、文字盤等々、お互いに相互理解し合えるものがある中で、そこに障がいは発生しません。

 そうした視点、視野の広がりを持ちながらかかわりを持つことが、固定観念にはまらない支援のひとつだと思います。

 中途の方で、高次脳機能障がいをお持ちの方は、記憶や注意に難がある場合があります。

 そうした特性のある方が不安を感じずに生活できるために、どんなことができるのか、考えていかなければいけません。

 それには、見通しを持ったわかりやすい方法が望ましいように思います。

 例えば、目で見てわかる方ならスケジュールを貼っておくのもよいと思うし、タイマーをセットするのもひとつかもしれません。

 後○分ですよ、と時間を示す方法もあるでしょうし、これが終わったら次はこれです、と情報を少なくして見通しを持たせるのもひとつだと思います。

 その人にとって、どの方法がわかりやすく、納得しやすく、入りやすく、また不安を感じずに無理なく続けられるか。

 まだまだわからないこともたくさんありますが、少しでもよい生活につながるように。

 考えて、実践して、検証して、改善して、いきたいと、思います。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。