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わかっている、けれど

 暮れに向かって加速していく思考の波は、物理的に可能な速度を超えてかえって何もできなくなってしまう。さながら、命令を与えられすぎて壊れてしまったロボットのような、そんなイメージがよぎった。

 結局、私は、何にもしなかった。
 何にもできなかった、が正しいかもしれない、けれど、そんなものは言い訳に過ぎない。

 とは言っても、年末まではまだもう少しあるけれど。

 もう何度聞いたかもわからない音楽をかけながら、ひとり、お茶を飲んでいる。

 白い湯気に、白い息が室温を表しているようで、毛布に包まる姿は端から見るとどんなふうに映るのであろう。

 お茶はいい。すべてを忘れられる。

 加速していく思考も、本当は考えないといけないあれこれ雑多なことも、ゆっくり、のんびり、けれど何にもない、無で覆ってくれる。

 解決しないといけないことがある。できれば、新しい年にまだ引っ張りたくない。

 けれど、もう、私にはどうしようもない。

 そうやって問題から目を逸らし、ますます泥沼になっていることはわかっている。

 わかっている、わかっているんだ。
 わかっている、からといって、それができる、なんてことは思えない。

 きっと、このまま、なんにもすることなく、過ごしてしまうだろう。

 お茶を飲む。熱い、液体が喉を通って、胃に落ちる。胸に熱がこもり、鼓動が早く感じられる。

 吐いた息は白く、私の体からもこんな色が出てくるのか、と、思う。どす黒いものしか、胸の内には込み上がってこないというのに。

 そうして、目が覚めると、深夜は三時を回っていた。いつの間にか眠ってしまっていたようだった。このごろは、いつもこんな感じだ。

 体を起こして片づけをする。
 眠るしたくを整えて、布団に入る。

 あぁ、そうして、また一日が始まる。

 変わらない、動けない、そんな毎日に、このまま年末まで、年明けまで、同じなんだろう、という諦念が、横たわっていた。

 けれど、やっぱり、何にも考えず、何にも考えられず、私は今日も、眠りに、ついた。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。