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【活動報告vol4】親とのモヤモヤに向き合う〜心の中に注文をまちがえる料理店がオープンした〜

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昨日は無事、Open forum2018を開催できました!

東京会場には100人程のお客様が、青森、名古屋、大阪、福岡会場など全国にもお客様がいて、夏から準備してきたイベントが大勢の方のご協力で「無事」できたことにホットしました笑

(一緒につくった学生メンバーのみんなの写真♪)

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さて、昨日のイベントのメインゲストである『注文をまちがえる料理店』発起人の小国さんと、事前打ち合わせで、1時間お話をお伺いし、

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NPO法人GEWEL代表村松さんからお借りした『注文をまちがえる料理店のつくり方』を読み、



心のなかに『注文をまちがえる料理店』ができた!



という話をします。




*そもそも『注文をまちがえる料理店』とは?

ご存知の方は以下を読み飛ばしてもらって構いません。

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一言でいえば、ホールスタッフが全員、認知症のおじいちゃん、おばあちゃんによるレストランです。

認知症の方が注文をとり、お料理を運ぶので、もしかしたら、ハンバーグを頼んだのに、(認知症だから)『まちがえて』餃子をもって来ちゃうかもしれない。

でも、絶対、餃子も美味しいから、そこは、「まぁ、美味しいし、いっか」と、笑顔でみんなで食べよう

というコンセプトのレストラン。


認知症や福祉の実態を知ってほしい、一般の人に触れてほしい、でも、なんとなくそこには隔離や偏見があって、その壁を超え、気軽に、世代や認知症を超えて笑顔をつなぐのが、この『注文をまちがえる料理店』なのです。


社会的に目を向けられていない、”大事”なことを、”一般の人”を繋ぎたい、そういう立場としてのメディアに関わっていきたい

そんな想いをもつ小国さんは、僭越ながら私の社会との関わり方のロールモデルの1人だと感じました。


まちがいも笑顔にしたい、発信してつなぐ立場でありたい


深く共感。Diversity cafe と深いシンパシーを感じました。


Open forum 2018のイベントから帰られる際に、「蔭山さん、またね」と「またね」と言ってくれるところが、注文をまちがえる料理店のような大きなプロジェクトだけじゃなくて、温かさを日常レベルで体現されてるんだなぁと思いました。

(昨日、カッコよく?スピーチさせていただきましたが、日頃で体現してないと意味がないと思ってるので、早速まねしたい)

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さて、本題の、「私の心のなかに注文をまちがえる料理店ができた」話をします。

5分くらい読むのにかかりますが、良い気づきなので読んでくださいね。


ずっとモヤモヤしていました。


お母さんにイライラしていたんです。


お母さんじゃなくて、他の人だったら、それくらい聞くよ〜って聞けるような、日常生活にあるグチも、なぜか、お母さんが私に話すと、「イラ」ってしていたのです。


他の人にもイラっとするような時にイラっとするのは分かるのですが、

どうして、お母さんのグチはこう、「聞きたくない」と感じるのだろう。


自分をメタ認知している頭と、イライラを感じている心、なんでかなぁ、と前から思っていたのですが、小国さんの本を読んで気づかされました。


私、お母さんに「お母さん」を求めていたんだなぁ、と。



私は、お母さんに、娘として、大事にしてもらってきました。

私の記憶なんかない、The 子供の時には、それはそれは、お世話になり、たくさん、お母さんに「お母さん役」をしてきてもらいました。


グチを聞いてもらったり、反抗したり、わがまま言ったり、色々ありました。いや、あります。


そこには、私の子供時代や、思春期や、母と娘の愛とか思い出とか、言葉にならない何かが色々あって、

私はそれが好きなのです。


その好きなものを求めてきたのです。


だから、「お母さんのグチを私がきく」というのは悪くないのに、「私の知っているお母さんとの関係」(私が好きなお母さんとの何か)とは、『ちがう』気がするんです。


いわゆる現状維持バイアスとか、変化を恐れるとか、人は過去のよかった出来事を守ろうとしがち、と聞きますが、そんな感じでしょう。


これまで好きだった関係性が変わる時、人は『まちがい』と感じるのでしょうか?



私が、お母さんに「お母さん」を求めて、その「お母さん像」に当てはまらない行動に違和感を覚えたこと、


この違和感は注文をまちがえる料理店のいう『まちがえる』と同じだと思いました。


子供が、しっかりしていたお母さんという、その子供のなかにあるお母さん像から外れて、「ものを忘れるお母さん」になると、これまで好きだった関係がなくなったような気がして、悲しんだりイライラするって、こういうことなんだな、と。


*私のお母さんは認知症でも要介護でもなく、バリバリ元気です。

お母さんはオシャレなので、服を一緒に選んでもらったり、

今回のスピーチで喋る時に緊張をほぐす方法も教えてもらいました。

なにかとデザインや配色はセンスのいいお母さんのアドバイスを必ずもらっています。




自分のイライラの原因のありかは、小国さんの仰ったことが腹落ちして気づきました。



そこで、心のなかに注文をまちがえる料理店をひらくことにしました。


他の人だったら、これくらいの愚痴は聞いていると思うし、だったら、その人がお母さんになっても、「まぁ、いっか」。


生まれて初めて、お母さんを、お母さんというより「1人の人」として見た気がしました。


なんだかこれまでの好きな関係性がないような寂しさは確かにあるのですが、落ち着きと、人生の色が深まる感覚が確かにそこにはありました。

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時が変われば、人との関係性も変わると思います。


変わらないものなんて、ないのですから。


これまで教えてきた後輩が、上司になるかもしれない。


子供が自分のお母さんになるかもしれない。


関係性の変化を恐れるよりも、お互いが笑顔でいられることを大切にしたい。


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