固定観念から解放される為の鍵は「誰も否定しない」。

固定観念と同調圧力

社会にある固定概念、その多くは前世代からの価値観の押し付けで、そこにあるのは、いわゆる同調圧力。

もちろん固定観念を広く解釈するなら、慣例であり、文化であり、マナーである部分も含むかも知れないし、そういった意味では全ての固定観念を間違いだと断じたい訳ではない。

ただ、だからこそ線引きの面倒さに思考停止する弱さや、アップデートされないまま化石化した常識や不適切な固定観念に苦しむ事の愚かしさったらないと思わずにいられない。

そしてそれらは、社会生活を営む上のあらゆる場面で顔を出し、自分という個人の生き方やアイデンティティに疑いを持ってしまう程にボクらを取り囲んでいる。

しかも大抵の場合、それらは「一致団結」とか「一丸となって」とか、「和の心の素晴らしさ」だとか「忍耐力」だとか「場の空気」だとか、思わず何よりも大事ですよねと同意せざるを得ないような言葉の響きと圧で幾重にもプロテクト・・・いやプログラムされていて、気付けば「学校のお勉強で良い成績を取らねばならない」とか「母親とはこうあるべき」とか、架空の世界でしかで見たことがない理想像と比較して「べきねば」が出来ない自分を責めるよになっていたり、自分の気持ちを後回しにする自己犠牲の精神性こそ美徳であるかのよな呪縛に支配されている。

気付けば足下に広がるのはディストピアとマインドコントロールに満ちた世界


そして知らぬ間に足を踏み入れていたのはディストピアとマインドコントロールの世界。

例えに育児1つとっても、本屋とネットで乱立する正解節とマニュアルは数多あれど、OJTなしで始まる育児、言葉の通じない我が子への正解が見えない子育て、何一つ思い通りに行かない精神疲労や時間的制約、慢性的な寝不足による身体的疲労、それらに追い詰められてコントロール不能な状況がもたらす自己嫌悪の波、心身両面の自由の無さによる孤立感、それでも心に棲まう強烈な責任感、これらを抱く万人の特効薬を見たことがない。

固定観念と同調圧力の荒波が平時となった社会に生きる孤独な大人たち。

この固定観念からの解放の鍵は、ボクらの国でもようやくフレーズだけは市民権を得てきた多様性を象徴する言葉。

「誰も否定しない」。


誤解を避ける為に補足として言い換えるなら、誰も否定しないという言葉は、他者な向けて放つ一人称のセリフじゃない。

「他人を否定しない。そして同じように、自分も否定しない」ということ。

もちろんこの言葉の違い、読んで字の如くの明確さを伴った「自分も否定しない」という後半の補足文だ。

これを理解し、かつ大事にしないと

「他人を否定しない=自分を否定する」になってしまい、辛くなる。

苦しくなったり余裕がなくなってしまう時は、「誰も否定しない」の解釈が「誰も否定してはいけない」になっていたりするから。

また、そしてこれらの落とし穴というか罠にハマりやすい時には割と共通していえる状況があり、それも簡単な言葉で言い表せる。

他人軸で物事を考えてしまっている時だ。

まず他人を、誰かを大切にしなくては、となってしまうと、必然的に自分が疎かになるし、「他人を尊重する→自分を否定する」に陥りがちになる。

では、この罠に堕ちずに固定観念から解放される為の大事なポイントは何か?
これも字面に対義語を当て嵌めれば簡単な答えに思い当たる。

そう、必ず自分軸で考える、という事だ。


他者を否定しない。そして同じように自分のことも否定しない。


ベクトルだけ変えるんだ。

それを理屈ではなく実践で体現しているHUCというコミュニティも知っているけれど、社会全体がそうなるにはまだ時間が掛かるかも知れない。

だけどこれが、固定観念から解放され、尚且つ自分勝手な人(自分だけ良ければいい人)にならずに、さらに社会に対して好ましい働きかけに繋がる、そんな気持ちの良い生き方の1つの正解ではないかと思う。


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「誰も否定しない」を唯一のルールに掲げ100人100通りのありかたを認め合い個人も社会もアップデートさせ続ける、母親アップデートコミュニティ。

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不登校に関しても固定観念が根強い。

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多様性という言葉を聞くようになっても現場に蔓延るのは同質性を重視する文化。

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女性の社会進出をと言いながら比較にならない程に目にする事が無かった男性の家庭進出。


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多様性を考える

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。