ヨルダン__33_

後藤健二さん、湯川遥菜さんの事件から、5年

後藤健二さん、そして湯川遥菜さんがIS(過激派組織”イスラム国”)に殺害されたとされる映像が流されてから、5年という月日が経ちます。後藤さんの殺害映像がISによって公開されたのは、2015年2月1日のことでした。当時のことは昨年の投稿でも書かせてもらっています。

翌2月2日、私はシリアの隣国、ヨルダンにいました。「大丈夫か?」と、この国に逃れてきていたシリアの人々が何度となく声をかけてくれたたのを覚えています。彼らの中に友達、親戚を殺されたことがない人はいないくらいほど、シリアの戦禍は熾烈な状況でした。「なぜそれでも国籍の違う人を悼んでくれるの?」と尋ねると、はっきりとした答えが返ってきました。「ジャーナリストだって市民の一人じゃないか」と。

温かな言葉をかけてくれた人々に感謝するとともに、日本の空気感とのあまりの違いに戸惑っていました。

後藤さんたちの事件に限らず、ジャーナリストが現場で事件や事故に巻き込まれる度に、日本でわき上がるのが「自己責任論」です。

ジャーナリストは聖人でも英雄でもないと私は思っています。この仕事を美化するつもりはありませんが、こうしたぎすぎすとした空気にはどうしても、違和感を持ってしまいます。

確かに報道する側はそれぞれ、自身の責任で現地に赴くのだと思います。ただ、今の日本の中では「自己責任」という言葉が「自業自得」と同義で使われがちではないでしょうか。

2018年10月に安田純平さんが解放された際にも、「人の税金を使って」という根拠のないバッシングが続きました。身代金支払いという確証のない情報は、日本も他国の政府も否定しているのにも関わらず独り歩きしてしまっていました。つまり、バッシングそれ自体が、目的化してしまっているような状況でした。

2011年から戦闘が続くシリアでは、まだ多くの街で、日常を取り戻すには程遠い状態が続いています。

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(2019年12月、シリア北東部ハサカ県。ISによって破壊された教会で避難生活を送っているワエドくん。)

「自己責任」の前に、こうした現状を「知る責任」とどこまで向き合えているだろうか、と考えます。

また現地取材については、こうした声もあがるようになりました。「海外メディアやインターネットから情報がふんだんに入ってくる今、なぜわざわざ日本から行く必要があるのか?」と。

もちろん、シリアなどの情勢を知る上で、海外メディアの取材から貴重な情報に触れることが多々あります。ただ、そこからお借りする映像だけで全てが済むのであれば、取材活動の意味自体が揺らいでしまいます。日本と現地でどんな情報や感覚の開きがあるのか、その肌感覚ごと持ち帰ることで初めて、遠い地との距離が縮まるのではないでしょうか。

私自身も大学生のとき、綿井健陽さんが取材、監督した『リトルバーズ イラク戦火の家族たち』という映画を観たことが、中東情勢に興味を持つきっかけの一つでした。

爆撃でお子さんを亡くした父親とその家族を取材する中で、墓標に書かれた言葉が目に留まりました。「お父さん泣かないで、私たちは天国の鳥になりました」。父親を慰めるために、友人たちが書いた言葉でした。

その家族が置かれた状況自体も衝撃でしたが、日本からこの場に出向き、リポートを続けている綿井さんの存在があったからこそ、ここで起きていることが私の中で「他人事」ではなくなっていったのだと思っています。

イラク、シリアなどでは様々な国出身のジャーナリストたちと出会いますが、欧米のジャーナリストたちと話すと、日本で飛び交う自己責任論という概念が、理解できない、不思議な現象、と言われることがあります。(そもそも、上手く説明するのが大変だったりします。)そうした価値観はジャーナリストたちだけではなく、国家の中で責任ある立場の人間の言葉、態度にも表れます。

後藤さん、湯川さんの事件があった2015年前後は、シリアでジャーナリストや人道関係者の誘拐、殺害が相次いでいました。

こうした状況を受け、セキュリティについて議論するために2015年1月にワシントンで開かれたジャーナリスト会議において、米国ケリー元国務長官がこんな言葉を残しています。

ジャーナリストはリスクをゼロにすることはできない。ゼロにする唯一の方法は沈黙することだ。そしてその沈黙は、独裁者を利するだろう」。

https://2009-2017.state.gov/secretary/remarks/2015/01/236125.htm (全文)

メディアによって監視される側でもある政権の人間が、ジャーナリズムや危険地取材の役割を踏まえた上で背中を押すコメントを残したことの意味は大きいでしょう。日本ではそれに逆行するような出来事が相次いでいるからです。

安田純平さんは外務省からパスポートの発給を拒否されていることについて、「外国への移動の自由を保障する憲法に違反する」として、東京地裁に提訴しました。

こうした動きへの冷笑や嘲笑は、「自分は関係ない」と思えているからかもしれません。「ジャーナリストじゃないから」「海外行かないから」「自分はあんな”失敗”しないから」、と。

このニュースに触れ、ふと思い出したのが、ドイツの牧師であったマルティン・ニーメラー氏の言葉です。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき 私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき 私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき 私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

自由とはこうして、じわじわと奪われていくものだということの一端を、すでに歴史が示しています。だからこそこれは一部の特殊な人だけの問題として片づけるのではなく、今、歯止めをかけなければならないことのはずです。

こうした中で「自己責任論」は、「自業自得」という意味合いに加えて「”失敗”したらもう終わり」と突きつける言葉になってしまっているのではないでしょうか。一度でも”和”を乱した人間は、復帰や再挑戦は許さない、と。

同時にそれは、発した本人を苦しめる言葉でもあります。”失敗”がないかどうか、常に監視し合うことになってしまうのですから。

生き心地のいい社会とは、果たしてそんな監視社会なのでしょうか。


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