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「お別れ」と向き合う、グリーフ(悲嘆)を抱いて

中学生の頃だった。父と兄が旅立ってから、ふとした瞬間に記憶がよみがえってきたり、学校の授業中に突然涙が溢れたりすることがあった。誰かを亡くす悲しみは、不規則に押し寄せる波のようだと知った。

「こんなこと相談したら、”私かわいそうって思われたいの?”なんていう目で見られそう」と恐かった。何年もして、ふとした瞬間に悲しみがわき上がってきたとき、「何年も立ち直れないなんておかしいんじゃないか」と、それは誰にも言えない感情のままとなってしまった。

大学入学後、そんな「悲嘆」と向き合う「グリーフケア」の存在を知り、子どもたちに死をどう伝えるか、という「デス・エデュケーション」について学んだ。悲しみが長年に渡って続いてもそれを否定せずに向き合ってくれる場があることを初めて知った。大切なのは早く乗り越えることではなく、時間がかかっても自分のペースを刻んで生きることだと語りかかてくれる人と出会うことができた。

これを読んで下さっている方の中にも、同じような経験をした人はいないだろうか。仕事中ふと感情が抑えられなくなったり、電車に乗りながら突然涙が止まらなくなったりしたことが。

ある時、シリア国内を取材中、現地取材パートナーのムスタファと一緒に夜食事をしていた。彼は私よりも年下ながら、現地メディアで自身もジャーナリストとして活動し、数々の熾烈な現場を潜り抜けてきている。

その彼がふと、10代の頃に飼っていた猫の話をしはじめた。

「ヌーヌーっていう名前でね、僕が拾ってきたんだ。僕たちの家の周りや庭先を自由に行き来していたけれど、近所の人は皆 ”ああ、ムスタファの猫だね” って見守ってくれたんだ」

「ある時ね、ヌーヌーが体調を崩して歩けなくなってしまったんだ。学校に行っても勉強どころじゃなくて、授業が終わると飛んで帰った。そうすると、家族の様子がおかしいんだ。最初は誰も言わなくて」

「だから "本当のこと教えてよ” って尋ねると、母さんも姉さんたちも泣きながら、 "ヌーヌーが死んでしまったの”っていうんだ」。

「ヌーヌーと一緒にいることができた時間はたったの数カ月だよ?今でも、なんで死んでしまったのかってよく思い出すんだ」

彼はこれまで過ごした時間のどんな時よりも、悲し気な顔をした。いつもはどちらかというと気が強い印象を受ける彼が、今にも泣き出しそうだった。

だから私は幼い頃、飼っていた犬が突然死んでしまったときに、母が私に贈ってくれた言葉を彼にも伝えた。

「私も小さかったとき、愛犬が突然死んでしまったことがあったの。そしたら母さんがね、"あの子は私たちにいっぱい愛されて、満足したから先に旅に出たのよ" って声をかけてくれたよ」と。

そうか、うん、そうか、と彼は噛みしめるようにしばらく考え込んでいた。

彼は数々の厳しい戦闘を目の当たりにし、あまりに多くの人が命を失ってきた。それでも、大切な存在とのお別れに「慣れ」はないのだ。

日本の中ではまだ、「死」を正面から語ることへの抵抗感や、「耐え忍ぶ」ことを美徳とされる価値観は根強く残っているように思う。グリーフケアの取り組み自体を知らない人も多くいるはずだ。

私の母校ではグリーフケア研究所が立ち上げられ、学生さんから社会人の方まで、幅広い年代がこの分野を学んでいる。

ちなみに、グリーフケアの拠点になれるような保護猫カフェを作るのが、今の私の目標だ。悲しみを悲しみのまま抱きながら、それでも歩むことができる、と伝えられる場を築きたい。


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