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鈴木さんと佐藤さんの結婚

 2025年、長年苗字ランキングのトップだった佐藤がとうとう鈴木に追いつかれた。このニュースは世に少なからず衝撃を与え識者はこぞって原因を論じ立てた。長年一位だった事で生じた佐藤の驕り、いずれトップに立ってやると堪えて雌伏の日々を過ごした鈴木。識者は社会学や統計学のデータを用いて原因を論じたが、誰もこの問題に決定的な解答を与えられなかった。鈴木と佐藤は今は同数だが、今後はどうなるかわからない。首位陥落の危機に覚醒した佐藤が第四コーナーで鈴木を引き離すか。あるいは鈴木がラストスパートをかけてこのまま佐藤を追い抜くか。世間は鈴木と佐藤という日本苗字界の二代巨頭の壮絶なデットヒートを緊張感を持って見守っていた。

 とある一組のカップルはその世間の大騒ぎの真っ只中にいた。このカップルの苗字がそれぞれ鈴木と佐藤だったからである。二人は長い間付き合っていて特に互いの苗字のことなど気にせず付き合ってきて、そろそろ結婚と雰囲気になっていた所にこの鈴木が佐藤に追いついたというニュースが流れたのであった。このニュースが流れてから二人はいきなり世間の注目の的になった。今の日本の結婚制度ならこの二人が結婚したらどちらかの苗字を名乗らなくてはいけない。そうしたら鈴木か佐藤のどちらかが増減しトップ争いの勝敗が決まってしまうのである。こうなるといやが上にでも注目せざるを得ない。二人の親族や同僚や、その他二人の友人は皆二人の動向を目を皿にしてチェックしていた。

 この二人は鈴木太郎と佐藤花子という名前からして普通の会社員である。入社してからずっと同じオフィスに勤め毎日顔を合わせているうちに自然と恋人になりそれから今まで長く付き合ってきた。二人が結婚を考え始めたのは2024年の末頃である。その頃鈴木佐藤問題などネットの一部でしか語られていなかった。二人は自分たちの苗字についてネットがバズっているのをバカにしてせせら笑っていた。バカだよねぇ。どっちが一位になろうが関係ないじゃんと。しかし今年鈴木が佐藤に追いつきネットどころか新聞各紙や地上波テレビが一斉にこの件を取り上げると周りの雰囲気が急激に変わっていったのだ。まず会社の連中である。今まで親しくしていたのにニュースで取り上げられてから急に二人を避けるようになった。彼彼女たちは当人たちのいない所で二人が結婚したらどちらの苗字を選ぶか噂しあった。そして今まで子供の恋人を暖かく迎えてくれた親や親戚はこの件がマスコミによって取り上げられると態度を急変させて我が子に向かってこう問い詰めるのであった。

「お前たちが結婚するのは構わない。だが、お前はどっちの苗字を名乗るんだ?もし相手の苗字を名乗るなんて答えたら即勘当だ」

 太郎と花子はこの騒ぎを一時的なものと見ていずれ治まるものと考えていたが、一向に収まる気配がないので二人とも自分の苗字について深く考えざるを得なくなった。このまま結婚したらどちらかが鈴木か佐藤になり、そのせいで鈴木か佐藤のどちらかが一人減る。それさ当たり前のことであるが、鈴木と佐藤が首位争いをしている現在ではこの事は大問題であった。現在の日本の結婚制度では夫婦共に同じ苗字を名乗らなくてはならない。外国のように結婚したら戸籍上で自分の苗字を残すことは不可能なのだ。

 だが太郎の方はそれでも希望を持っていた。なぜなら日本においては結婚すれば通常夫の姓を名乗るものだからである。花子だってそれはわかるはず。ならばためらうことはない。苗字なんか私たちに関係ないと花子も言っていたではないか。太郎は今こそプロポーズすべきと決意を固めクリスマスの鈴をつけた木の下でプロポーズした。彼は砂糖をまぶしにまぶしたケーキと結婚指輪を花子に差し出してこんな世の中だから二人でずっと暮らして行きたいと花子に語りかけた。太郎のこの鈴の木の下で放たれた砂糖のように甘いプロポーズは昨年までだったら涙涙で受け入れられたであろう。だが時代はすでに動いてしまっていた。花子は鈴木のプロポーズに対して悲しげな顔で答えた。

「今はその時じゃないと思うの。私まだ佐藤でいたいから」

 この花子の言葉に鈴木は鈴の木の鈴が中に入っている砂糖の重みに耐えられず全て落ちるような衝撃を受けた。何故だ。君はいつも苗字なんてどうでもいいって言っていたじゃないか。それがどうして急に自分の苗字にこだわり出したんだ?この太郎の動揺を煽るかのように花子はさらにこう付け足した。

「もし、あなたが鈴木を捨てて佐藤太郎にくれたら今すぐにでも結婚出来るんだけどな。ねぇ、無理を承知で頼むんだけどあなたうちの婿養子になってくれない?どうしても私と結婚したいならそうしてくれない?」

 ああ!花子は自分とまるっきり同じことを考えていたのだ。自分に鈴木を捨てて佐藤になれと彼女は言うのか。太郎は花子に投げた結婚と苗字改姓のブーメランがそっくり自分に返ってきたのに愕然とした。ああ!花子に問い返されて自分は今鈴木という苗字をどれだけ愛していたかわかった。鈴木と佐藤が最終コーナーで日本一を争っている今自分が脱落して足を引っ張ってはダメだ。この状況下で佐藤に改姓したら自分は全国の鈴木さんから一生裏切り者だと叩かれ続ける。それだけはゴメンだ。

「いや、それは無理だよ。僕には鈴木を捨てることは出来ない」

「あっそ。じゃあ私も佐藤は捨てられない」

 二人の間に突然木枯らしが吹いた。木枯らしは鈴の木を揺らし大量の鈴を太郎の頭に落とした。花子は鈴の痛みにうずくまる太郎を見るのが辛かった。このまま別れるべきか。だけど鈴木佐藤問題がなければ確実に結婚していた人とこんな形で別れたくはない。花子は屈んで太郎の肩に手を置いて言った。

「太郎、もう少し時を待ちましょうよ。しばらくしたら鈴木か佐藤のどちらかが人口が急激に増えたり減ったりしてこんな争い馬鹿馬鹿しくなる日が来ると思うよ」

「花子……」と太郎は自分を涙を溜めて見つめている花子に向かってつぶやいた。そして彼は花子にキスしてからこう言った。

「そうだな。花子の言う通りだ。鈴木と佐藤は日本中に沢山いるんだし、このままなんの変化がなきゃおかしいよな」

 だがそれから一カ月経っても鈴木と佐藤の苗字の数に何の変化もなかった。鈴木も佐藤も一人も死なず一人も生まれなかった。こんな事は前代未聞であった。世間はこのあまりの変わらなさに驚き鈴木と佐藤のどちらが由緒あるか論争を始めたのであった。鈴木派は鈴木の姓が物部氏由来であることを語り鈴木が日本で最も由緒ある苗字の一つであることを誇らしげに語った。物部氏は日本で最古の古代豪族。その物部氏の末裔である鈴木こそ日本の中で最も日本らしい苗字なのだと。一方佐藤派は佐藤はかつて奈良と平安の世を我がものとし、今もなお上級国民として日本に君臨する藤原一族から派生したものだと語り、佐藤こそ間違いなく日本を代表する苗字だと力説した。この論争はさまざまな所に飛び火し、論争を超えて運動にまでなってしまった。鈴木派も佐藤派も違法のどん底まで潜って全国の鈴木さん佐藤さんの情報を集めてメールや郵便で産めよ増やせよの激しい脅迫を行った。

 太郎と花子の下にもそんな脅迫がやってきた。二人の場合付き合っていたからなおさら酷かった。太郎の所には佐藤を犯してでも苗字を奪い取れなどととんでもない脅迫状が送られ、佐藤の下にはあなたは偉大なる藤原氏の末裔、彼氏を鈴木という貧民から救い出してあげなさいといったこれまた酷い脅迫の電話があった。二人は度重なる苗字の脅迫に頭がおかしくなり相手の苗字に苛立つようになった。太郎はデート中に花子が自分の苗字を名乗るたびに不愉快な思いになった。花子もまた太郎が電話とかで自分の苗字を名乗るたびに聞きたくないと耳を塞いだ。同僚たちはもう遠慮なしに二人の目の前で、しかも二人に直接アンタたち結婚したらどっちの苗字を名乗るのよとか聞いていた。

 このあまりに過酷な状況に耐え切れず二人はとうとう別れを決意した。もう耐えようにも精神が耐えられなかった。人は愛の力を過信して愛があれば何でも乗り越えられると能天気に言う。だが、現実とは愛だの恋だのを徹底的に踏みつぶすブルドーザーであり、重力そのものなのだ。

 別れよう。泣きながらそう言ったのは太郎であった。「僕らはこの鈴木と佐藤の首位争いで戦争まで起こしかねない時代では結ばれないのだ。いくら待ってもこの不毛な争いは終わらない。世界のあらゆる戦争が終わらないように鈴木と佐藤の果てしない戦いも永遠に終わらない。だから別れよう。僕らは現代のロミオとジュリエッなんだ。いや、僕らはあのシェイクスピアの名作のようにカッコよくはないけどそうやって自分たちを持ち上げなきゃカッコつかないよ」

 この痛ましい別れの言葉に花子は泣いた。ああ!たかが苗字されど苗字。苗字一つで私たちの中が引き裂かれるとは思わなかった。だけどなんで私たちが別れなきゃいけないの。私たちはただ愛し合っただけなのに。鈴木と佐藤がこの不毛な争いを始める前から付き合っていたのに。どうしてこんな事になってしまったの。花子は現実の残酷さにただ泣きくれていたが、その時彼女は突然頭の中が明るくなったのを感じた。彼女は目を輝かせながらうなだれる太郎を揺すぶってそして言った。

「太郎、二人がこの鈴木と佐藤の首位争いの地獄から抜け出せる方法がたった一つだけあるわ。それは夫婦別姓を早く実現させることよ。それが実現すればあなたも私も鈴木と佐藤のままで生きていられる。この不毛な鈴木佐藤の首位争いから離れて生きていけるんだわ。ねえ、あなたも夫婦別姓に賛成してよ。それで私たちも、私たちの実家も救われるんだわ!」

 太郎は花子の思い付きに激しく感嘆した。そうかその方法があったのか!それならば自分も花子も鈴木と佐藤の不毛な首位争いから逃れて生きていける。子供が出来たら自分たちの姓を合わせて名乗らせればいい。今二人の前に輝かしい未来への道が広がっていた。これから自分たちは鈴木と佐藤のまま暮らしていくための運動を始めよう。結婚しても鈴木が鈴木、佐藤が佐藤であるような相手を束縛しない未来のために。さあ行こうと太郎は花子の手を握ってレストランから港へと駆けだした。その二人をレストランのボーイが追った。二人は当然ながら代金を払っていなかった。

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