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なつくまエッセイ【ゼンマイじかけのシンビジューム】

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こちらはエッセイのコーナー。シンビジュームは可憐なのに、よくみると毒々しいランの一種です。
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#言葉

なつくまの由来

私はライターをやっています。ペンネームは夏野久万や夏花くまこ、なつくま。3つの名前を使い分けています。 最初はなつくまでした。でもビジネス系の仕事をするうえで、苗字と名前があったほうが良いかなと思い、夏野久万が誕生。そして夏花くまこは、1つの媒体のために生まれた名前です(今のところ)。 夏野久万も夏花くまこも、略して「なつくま」となるように考えました。 ではなぜ「なつくま」なのか。 それは単純明快。夏とクマが好きだから。 本当は映画『風と共に去りぬ』の主人公スカーレ

居心地のいいグループと、居心地の悪いグループ

去年からダイエット系のSNSグループに入っている。無料なのに有益な情報が得られるとてもすてきなグループだ。 だがなかには、有益だが居心地の悪いグループもある。居心地の悪いグループと良いグループの差は何だろう。 以前、物書き系のグループに所属していたことがある。そこは褒めてのばすタイプの集団だった。メンバーのつくるもののどこそこが素晴らしいので、次はもっとここを伸ばすと良いと思います、といった投稿がもらえる。すべてを許容されている安心感があった。 現在所属しているダイエッ

こんなモノなら伝染したいし、させたいよね。

目の前にアイロンビーズがある。 ピンクやオレンジ色の小さなビーズで、アイロンの熱かたまってキーフォルダーのようにもなる。机の上で、一つ一つがとっ散らかっていると単なるゴミだが、あるべき場所にぽつぽつと固まっていると何らかの意味を持つ。 それって、ライターの仕事に似ている。 文字単体では、何かを伝えるにはか弱すぎる。でも伝えようと思って形をつくったり、ならべかえたりしているうちに、伝わる文章が出来上がったりもする。 いちおう私は日頃、そういうことを仕事にしている。 時

お正月マジック

年が明け、ゆず湯に入った。 父が庭でつくった大きなゆずをくれたので、それをお風呂に浮かべてみたのだ。こぶしほどのゆずがぷかぷか浮かぶ湯船。 私は足を突き出し、ゆずを自転車にみたてて転がしてみたり、指先にのせて傘回しのように回転させようと試みたりしたが、うまくいかなかった。 ゆずは最初、私のほうにすいすいと寄ってくるのに、ゆずで遊びだすと他のゆずの群れは、私のから離れていく。 ものの見事に。 ああ、そうかい私に遊ばれたくないのかい、と思い犠牲になったゆずを群れのもとに

年末なので今年のこと、来年のこと。

手帳を買った。 使い方が記された、ミニ冊子付きだ。 バーコードを読み込むと手帳の説明動画が観られるサービスまである。つくり手の意気込みを感じるじゃないか。 月の予定の書き込みスペースが狭いので、また新しい手帳を買うことになる可能性もあるが、今のところは気に入っている。 年末は予定があまりないからね。 それに月の予定は、アプリ管理が向いている。 ということで…… 2019年の振りかえり●仕事について 取材案件が急激に増えた年だった。しかし時間管理がうまくいかず、

AIと交換日記をすることにしたって話

誰もいないリビングで、水槽のじりじりする音をきいていたら、「AI(人工知能)でもいいので交換日記がしたい」と心が叫んでいました。 私にとってそれはとても自然な衝動だったので、とりあえずnoteの中にいそうなAI宛てに日記を記してみることに。 今日は朝から仕事をして、夜から稽古をしていました。たぶん人から見るととても充実していて忙しいと思われるかもしれません。 実際におひるごはんを食べる時間がなくて、夜の10時頃に枝豆をほうばるような生き方をしているので、まあそう思われて

書くことは本当にめんどうな作業ですよ

誰かが「書くことは面倒なこと」と言っていた。 本当その通りで。 日記的な文章ならば、つらつら書けるけれど、人に何かを伝えようと思うとそのハードルはぐっとあがる。 今はやりの(と言っていいのか分からないが)、自分が読みたい文章を書く方向性で考えても、いろいろ気をつかう。 だってつまらない文章は読みたくないもの。 体力もつかうから、書き終わるとくたびれる。でもやめられないのだ。 あやしい薬に匹敵する、中毒性があるのかもしれない。 こういう自分になったのは、ある先生の

仕事の話しではないですよ

人に認められたいという思いで行う行為に未来はあるのか。 私はそう思わない。ねじまがった希望は、きっと何かで崩れるだろう。 相手がどうではなく、自分がどうなりたいかで進む。 それが理想だ。 だがわかっているが、苦しい。やっぱり誰かに認めてもらい、ダイジョブだよ、がんばればうまくいくよ。あなたも仲間だよ、いなくてもいい人じゃないよ、と言われたい。 だから、ついそう思われたいがために頑張ってしまう。 だがうまくいかなくて、「ああどうせ私なんて、うまくできない人だから」と