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非連続的な挑戦

人生には頑張らないといけない時がある。
私の場合、それが非連続的に短期スパンで頑張りどきが存在する。

今、私の周りにある状況や環境は悪くなく、人生のピークなのではと錯覚するほど、恵まれていると言える。それは仕事の充実度やプライベート、ライフスタイルや周りにいる方含めて全てを総括してそう思う。

こんな状況は、私が障がいを抱え始めた10年前には考えられなかった。
当noteを古くから見て頂いている方はご存知ですが、私の病気の治療は閉鎖病棟から始まった。刑務所のような牢屋の中から現在の世界トップレベルの企業で働く過程には大変すぎる挑戦とたまたま巡ってきた幸運しか存在していない。

もちろん、苦しい期間の間、自分が努力はした。数が分からなくなるほどビジネス書を読み、実践して落とし込んできてハードワークをこなしてきた。他の人が行わない提案を行い、プロジェクトをリードしてきた。その努力はほんの少し華を咲かせた…と思う。

ただ、そこには絶対的に自分の努力以上の周りの環境が存在した。
本当に大切な友人に恵まれ、伴侶に恵まれ、子どもに恵まれ、一緒に仕事をした同僚に恵まれ、この欠けてしまった自分の周りにいてくれることに本当に感謝しかない。

今になっても隔日のように苦しんでいるので、ずっと「もしこの病気がなければ〜かもしれないのに」という仮定論で妄想に逃げることが多かったが、最近今の自分をやっと受け入れることができてきたかもしれない。
今なら「まー、多分うまいこといっとーし。」と楽観的に捉えることが出来ている。つまり、受け入れるか否かは自分の状況と許容度に影響されると言える。

私の場合、自分の手札は変わらなく、常にジョーカーが手元にある状態でも戦うしかない。病気は今のところ一生治る余地が無く、緩和させるにも限界が存在する。
その状況下において何ができるかというと「今ある手札で戦う」しか無い。苦しかろうがハンデがあろうが悔しかろうがそれが現実である。

横を見たとしても、同じ土俵で勝負をしている人に、謎の呪いを掛けられている人なんて存在しない。なら、ギリギリで生きている私と同じような状況の人に少しでも勇気を届けたい。それが意味や意義のような大きなものではないが、1mmの小さな影響として可能性を与えることができると信じている。

話を戻すと、人生には頑張らないといけない時がある。
非連続的な短期スパンの挑戦は今もまだ続いている。最初に恵まれた状況とは書いたが、むしろこれからだ。私には成し遂げていない野望が星のようにある。
今、現在進行形で挑戦していることもたくさんあって、これからも限界を乗り越える必要があり、変えるべき世の中が存在する。つまり、日々毎日が挑戦である。

目の前の努力が必ず報われるとは限らないが、結果が報われている人は必ず努力をしているので、長期的目線で報われる努力をしたいと私は思う。

人にはそれぞれが抱える個別の事情が存在する。その事情に大小の差異こそ無いが、人それぞれ挑戦をする事はできる。「今が頑張りどきだ」と考えて頑張っている人には、この文章を通じて、同じ世界で努力している人がいることを覚えていてもらえると嬉しい。

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