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運動がトラウマで。

物心ついたときから運動が大の苦手。
足は遅いし、どんくさいし、おまけに高いところは苦手だし。

◆運動がたのしくない
◆運動は勉強のように教えてもらえない
◆学校から解放されても解決ならず
◆そもそも私は社会不適合?

幼稚園のときのお外遊びや、お遊戯、
小学校に行ってからは、体育の授業や体育大会、クラス対抗球技大会というものが本当に苦痛で苦痛でたまらなかった
今思い出しても、惨めで恥ずかしくて辛くなる。

中学、高校ももはや書くまでもなくて。
高校のときは運動が苦手ゆえに、皆と同じように準備体操をしたはず(※)にも関わらず、50m走をした際に肉離れをおこしてしまった………

なぜうまく動けない?

運動が苦手な人間というのは、そもそも皆の真似をして同じように動くということが出来ない。というか、微妙に間違えていてもそんなことに気づく余裕もない。
※準備体操すらうまく出来ていなかった可能性がある。

ハードル走なんて歩数を数えながら足を交互に前に出すだけで精いっぱい+ハードルを飛び越えなきゃいけない+おまけに足をかけたら怖い+また歩数を数えて+さらには足を地面と並行になるようにする+……えーっとえーっと……アッつぎのハードル来ちゃった.…飛ばなきゃ…  というパニックに陥る

禁句「真似してやっみて」

運動が苦手な人を殺すセリフとして「真似してやっみて」は殿堂入りだと思う。論理的にゆっくり理解をさせてくれないと絶対に同じようには出来ない。

例えば、「ゴロクサンジュウ」って言われても意味がわからないけど、「5が6個あるから足していこう。×っていうのはカケルと読む記号だよ。5×6=30をゴロクサンジュウと読むよ」くらい段階を重ねてくれたらわかる。
勉強は教科書もあって、ドリルもあって簡単な練習問題で慣れてから応用問題というように段階を踏まれるのになぜか運動にそれは無い…。

そんなわけもわからず真似はとうていできっこない…

大人になれば、学校の体育の授業さえなくなれば、やっとこんなに惨めな思いをしなくてすむ。ずっとそう思っていた。

だけど、全然そんなことはなくて
みんなが娯楽として楽しむボーリングも、スノボもまったく出来ない。
趣味についていけない。私はちっとも楽しくないし場を盛り下げてるようでやっぱり惨めだった。

みんなが楽しいことが私にとっては苦痛

大体の人の趣味や特技やストレス発散はスポーツだ。わたしは大嫌いだけど。そうなるともはや人付き合いに支障をきたす。スポーツできなかったらおのずと趣味が減ります(笑)みんなにとって楽しいことが私には何も楽しくない。この事実のちぐはぐがストレスで。

えっ、私っておかしい?人としておかしいの?社会に適応できてない?ただ、運動が苦手なだけでこんなにも行き辛い??

こうやって、運動がトリガーとなって、私はもはや社会に馴染めない人間なのか、生きてるだけで惨めなのか、鈍くさいから損をしている人生なのか、ともんもんと悩んで苦しんでしまう。

だから、私は運動がトラウマです。

◆まだ運動をたのしいと思えない
◆大人になって運動はの勉強機会ない
◆学校から解放された方が惨めかも
◆私は社会不適合ではないと信じたい

運動ができないくらいで、
たった体育という1教科が苦手なくらいでこんなに辛い思いをしたくない。

こんな思いで社会人になってから挑戦を始めた。今は心が折れそうだけど。
その話はまた別で書こう。

以上、ありがとうございました。

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