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【欠町・八柱神社】まとめ(後編)~神仏との付き合い方と先祖が伝えたいこと~
はじめに前回の記事で愛知県岡崎市欠町にある八柱神社の沿革について触れてきた。
但し、上記は今後”定説”や”通説”になる可能性が有る「仮)沿革」だ。
情報は公開した。あとは識者の方々の精査/調査がいつか入るだろう。
その結果がどうあれ、期待したい。
※八柱神社@欠町を管理なさる宮司さん・氏子世話役の方々と当方は無関係です。当方は上記の神社を建立した人物の子孫のひとりです
先祖が伝えたいこと ①
大岡弥四郎事件と八柱神社とーー岡崎町奉行・松平新右衛門とは(1)
はじめに私の先祖の縁者に「大賀弥四郎事件」に加担した町奉行・松平新右衛門がいる(という記載が家系図にある)。
しかし残念ながら、松平家や新右衛門についての明確な記述のある文書は一切残っていない。
明治時代初期に当時)欠村で大きな火災があったからだろうか。岡崎市史にも明治時代以前の欠村に関する記述は極めて少ない。そのことから、明治時代の火災の影響が少なからずあるのかもしれない。
新右衛門に対して
【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社
はじめに2023年11月に歩き始め、12月中旬には完走していた「東海道・岡崎城下二十七曲り」。
今回の記事でようやく二十七曲りの記事もようやく完走できる。
昨年(2023年)中に完走予定だったが凡そ3か月遅れ。
それでもこれをもって完走できる。
もう一記事。東海道・岡崎城下二十七曲りの旅にお付き合いをいただければ幸いだ。
今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑫魚町~板屋町 寄り道~徳川家康公・氏神 新田白山神社
はじめに今回・次回の東海道を辿る旅路では迷っている旅人を散見したため、史跡や長閑な風景だけでなく「ここの道を行ってください」という案内も多くする。
実際に私が東海道・岡崎二十七曲りを辿っていた際に何組かの道に迷った旅人に声掛けした経緯がある。
また、国道1号線を横断しなければならないため、旧東海道とは道が大幅にズレていると思われる。その点はご理解をいただけると幸いだ。
今回の旅の概要前回まで
【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑪~寄り道~松平清康公のお墓がある大林寺
はじめに前回の「東海道・岡崎宿二十七曲り」の旅の終点から東海道を西に歩むのを止め、逆方向に少々足を延ばす。
少し歩みを進めると家康公・祖父である松平清康公のお墓がある大林寺(だいりんじ)に着く。
今回は私たちの先祖・重辰が仕えた清康公のお墓参りをすべく寄り道する。
今回の旅の概要家康公の祖父・清康公の略歴を非常に丁寧、且つ、きれいにまとめた記事があったため、そちらを参考いただきたい。
私も概