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自分を偽ってまで生きるなんて

こんばんは、NEGI です。
 今日 は金曜日。 一週間お疲れさまでした。
Mac から書いているのですが もう6年も使い続けているせいか
動作も重くなり誤変換も増えて反抗期を迎えたようです。
だけど使い続けますよ、 専門の頃に買った大事な我が子。

さて東京は土日に台風が最接近するとあって天気も荒れ模様。
飲みの予定もドタキャンになり心も少し荒れ模様。
いや、仕方ない。仕事の都合だしそれは相手は悪くない。
仕方ないよ、うんうん。
と自分に言い聞かせつつコンビニで安ワインを買い、映画でも観ようと思ってアマプラを吟味しておりました。

そこで目についたのが、「ある少年の告白」と言う映画。

前から 観ようとしていたのですが、なんとなく手を出せずにいた作品。
最近グザヴィエドラン作品の「マティアス&マキシム」を観た影響 で
踏ん切りがついて観てみました。

【あらすじ】
アメリカの田舎町。牧師の父と母のひとり息子ジャレッドは、あるきっかけから同性愛者であることに気付く。戸惑った両親は矯正セラピーへの参加を進めたが、それは驚くべきプログラム内容だった。自らを偽って生きる事を強いる施設に疑問と憤りを感じ、ジャレッドは遂にある行動を起こす...。
(AmazonPrimeから引用)

この映画は主人公であるジャレッドが矯正セラピーを行う施設に入るシーンから始まります。全体的に暗めの色調で作られており、音楽も重め。

ストーリーはネタバレになるので所々しか書きませんが、、、
その中でも印象に残ったシーンを何点か。

まずはセラピーの矯正プログラムで「男らしい立ち方」を強制するシーン。
足を大きく開き、腰に手をあて胸を張る(古臭い立ち方とは思いますが)
このシーンを見た時に、無意識に外で必要以上に男らしく振舞う自分と姿が重なりました。

座る時は足を開いてガニ股で。
歩く時は大股で。
僕の事をゲイだと知らない人と話す時は出来るだけ低い声で
喋り方もゲイだと思われないように。

常に誰かに監視されているような、少しでも隙を見せたら
「こいつはゲイだ」と糾弾される恐怖に怯えてる気がする。
周りの目が変わる。
まるで別の生き物を見るかのように、軽蔑するように。
被害妄想かと言われてしまうかもしれないけど
実際に高校生の時にこの視線を浴びた事があるんです。
信頼していた部活の男子の先輩の1人にゲイであることを打ち明けたら
他の男子の先輩にも話されていて
次の日から僕を見る目が明らかに変わって。
僕はその時から「僕」ではなく「ゲイ」として見られるようになってしまったんです。幸いにも部活全員には広まらずに数人だけで済んだんですが
それ以来人の視線に敏感になってしまって、以前も書いた気がするんですが
「人からどう見られているか」に異常に気にするようになってしまいました。

それは今も残念ながら変わらず、出来る事なら一般社会じゃないところや
小さなコミュニティの中で生きていたいと思う始末。
「ゲイ」であるだけで何故こうも重荷を背負わなければいけないのか。
「ゲイ」であるだけで僕が他人から傷付けられなければならないのか。
ただ僕は「僕」でありたい。異性愛者と変わらない望みなのに。

自分らしく生きる事を望んではいけないんでしょうか。

映画では異端者と言われ、現実では最近世間を騒がしている足立区の議員の
「基本的には個人の生き方だから、民法の中に(想定されて)ない生き方だからね。一般的でない生き方を特別に擁護する必要ないでしょう。」といった発言。


『一般的ではない生き方。』


この言葉を目にした時、あまりの言葉の酷さに思考停止しました。
高校時代の記憶が蘇り、あの視線を全身に受けているような
そんな気持ちになりました。
必要以上にヘイトをするのは不本意なのでここでやめておきますが
やるせない、ですよね。ほんと。

脱線してしまいましたので映画の話に戻りましょう。

僕がもう一つ印象的だったのは最後のシーン。

自分に正直に生きようと決めた主人公が父親と話すシーン。
まだ父親は息子がゲイであることを受け入れる事が出来ませんでした。

そんな父親に主人公は
「僕はゲイで、あなたの息子だ。それは変わらない。僕はゲイである事を変えられない。あなたが変わるしかないんだ。」
と言っていたんですが、そのシーンを見た時はまぁ横暴だな、と。笑
でも主人公は父親とこれまで何度も歩み寄るために話そうとしたけど避けられてきたり、自分の個性を否定され矯正施設に入れられたことを考えると
彼が感情を爆発させて父親に言い切ったのは仕方ないのかな。と
それでも息子であることを続けようとしている優しさもあり、
なおも歩み寄ろうとしている姿は切なく見えました。

この映画、実話が元になっています。
本編終了後、原作者である本人と両親が笑顔で一緒にいる写真と
家族全員で抱き合っている写真が映し出されました。
幸せ、と一言で語るには足りないような空気が流れているようでした。

いまだにアメリカでは同性愛は「病気」であったり「異端」であったりと思う人がいるそうです。エンドクレジットで70万人が現在でも矯正セラピーに通っているという事が書いてあり、驚き、いや違うな、落胆しました。

今現在、自分のセクシャリティで悩む事は尽きず、お陰様(?)で中学生の時にストレス性自律神経失調症になり、生きづらい体になってしまいました。

まっ、だからといって僕はもうゲイであることを後悔したくはありませんし、上の方に書いた「視線に怯えながら暮らす」ことにも戦っていきたいと思ってます。まだまだ難しいんですけどね。

同じ思いをしている人は多いと思います。
「男らしくある事」「ノンケのふりをする事」を強いられている人。
まだまだ僕たちは戦わなければいけないみたい。
思考回路ポジティブに切り替えて頑張ろう。

いつか僕も家族に前向きにゲイだと言えればいいな!
今幸せだよ、って笑顔で伝えたい!

まだまだ誰かに響くような事は言えないな、悔しい。
いやなんか傲慢な考えだな!いや傲慢なぐらいが生きやすいか!

それじゃあとりあえず書きたい事書いてスッキリしたので終わります。
今日も見て頂いてありがとうございます。

あ、ラジオトークも意外と細々と更新していますので
良かったら聴いてください(小声)


それでは、おやすみなさい。

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