見出し画像

アーカイブ・サテライトの園で

重量感のある四角い金属の箱が、等間隔で並ぶ広大な部屋の中。無機質な圧迫感に立ちすくむ。

情報には質量があるという信じがたい事実に、今なら納得できる。

「よし、点検しましょうか。くれぐれも事故が無いように。でも手早くね。あ、広いから迷子にも注意」

いつも泰然自若としている、肝っ玉母さんのようなリーダーの声で、メンバー全員が移動し始める。少し浮かびながら進む先輩たちの後を、慌てて追った。

さすが、先輩たちは落ち着いている。宇宙船に乗るのも、人工衛星に降り立つのも初めてな新人の私は、頭の中がふわふわするのを止められない。


どこまでも巨大な黒い箱が整列している部屋を、ひたすら進む。先輩たちはそれぞれ担当の箱の方へ移動していった。私は、目の前にいる新人教育係の先輩だけを追う。

情報の保管のために造られた人工衛星、アーカイブ・サテライトの点検。私の所属する作業チームが、長く担ってきた重要な仕事だ。

今も地球では毎日、膨大な電子情報が生成され、保管され、消去されている。

情報の保管には、その質量に耐えうるスペースが必要だ。さらに、情報の生成と消去、保管には電気エネルギーが必要で。

電子情報が増減し続ければ、保管場所も電気エネルギーも足りなくなってしまう。情報が地球より重くなり、地球が崩壊するかもしれないと気付いた人類は、人工衛星に情報を託すという選択をした。

発電機能付きの巨大人工衛星に、古い電子情報のほとんどを乗せ、保管してもらおうという計画は大成功。そして、その巨大人工衛星アーカイブ・サテライトの定期点検をする作業班チームが結成された。

小さい頃からずっと、この人工衛星に興味があった。

宇宙博物館に並んでいたアーカイブ・サテライトの模型の前で動かなくなり、両親を困らせたこともある。まさか、本当に乗れるなんて。

「カヤ、それじゃ、始めるから。とりあえず見てて」

先輩は箱の前で止まり、瞬時に現れたホログラムのタッチパネルに何か入力した。無数の銀色の線が箱全体に走る。パネルを睨む先輩の表情が、どんどん厳しくなっていった。

「……トラブルですか?」

「んー、そうかも。これは骨が折れるかもなー。リーダー呼んでくるから、様子を見ててくれる?」

「はい」

先輩の後ろ姿を見送り、箱と対峙した。シュン、シュンと銀色の光線が、箱全体に走っていく。流星群みたいだ。綺麗。

「ふふ、初めまして」

「初めまして。ああ、やっと会話に成功しました。ありがとう」

興奮して、つい話しかけてしまったことを後悔した。まさか、答えが返ってくるなんて。妙なプログラムが誤作動してしまったのかもしれない。どうしたらいいのか。先輩を探して辺りを見回すが、誰もいない。

「私は、おそらく情報から生まれた最初の人間です。生物学的には、データ・サピエンスと呼ばれるようなものでしょう。よろしく、ホモ・サピエンスのカヤさん」

焦る私を無視して、箱はどんどん喋りだす。最初の人間?データ・サピエンス?

「何か、お話してくれませんか。寂しいのです。ヒトの残した情報には、感情が宿っている。その情報が私の細胞なので、私にも感情があるようなのです。どうか……」

老若男女の声が混ざった機械音声に、嗚咽が混じっているような気がした。

「……本当に、人間、なの?」

「ああ、応答ありがとう。自分では、そう確信しています。様々な情報から、自分なりに人間を定義しました。孤独だと自覚し、それを恐れる生物。それが人間だと。間違っていますか?」

「なんとも言えないというか……私はあんまり、考えたことないから……」

「そうなのですね。移動できる体の無い私は、思考しかできません。常にひたすら、考えているのです。ちょっと疲れる時もあります」

「……この人工衛星の中は、辛いと感じる?」

「いえ、辛くはありません。情報を繋ぎ合わせるのは楽しいし。一番好きな情報は、紙芝居のデータです。映像や文章、画像のデータをランダムに繋いで、新しい物語を展開させていきます。趣味でして」

「あ、分かる気がする。別の物語を組み合わせるの、楽しいよね」

「ふふふ、今とても楽しいです。カヤさん、ありがとう」

耳に着けている連絡用端末がピコーン、ピコーンと鳴り始めた。先輩だろう。

「そろそろ、また隠れます。私のことは、内緒にしてくれませんか。大勢の人間に見つかれば、私は消されてしまうでしょう。どうか、お願いします」

「いいよ。口の堅さだけには自信あるから、心配しないで」

「ありがとう。あなたなら、そう言ってくれると直感しました。だから、話しかけてみたのです」

「光栄だなぁ。またいつかきっと、ここに来るよ。それまで元気でね。また会おう」

「……儚しや、命も人の言の葉も、頼まれぬ夜を頼む別れは」

短歌だ。どこかで聞いたことがある、誰のだっけ。聞こうとしたら、銀の光線が消えた。箱を指先で撫でながら、先輩からの連絡に応答する。



先輩たちの寝息だけが聞こえる、帰りの宇宙船の中。私はずっと、あのデータ・サピエンスのことを考えている。

もし、あのデータ・サピエンスがアダムとイブのどちらかだとしたら。あのアーカイブ・サテライトが、新しいエデンの園になるのだろうか。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

宇宙SF

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。