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行商人のこいのぼり泳ぐ日

こいのぼりもまだ上がらない時期だというのに、朝から真夏のように暑い。

起きてすぐに、家中の窓や戸を開けることにした。重い木製の雨戸をギギギギギと滑らせる。古い家だから、雨戸の開け閉めは大仕事だ。

祖父母から、ほぼそのまま受け継いだ日本家屋。広い縁側が一番好きだ。ネット環境さえあれば仕事はどうにかなるので、思い切って独りで移り住んだ。

釜戸や五右衛門風呂、囲炉裏などを使いこなす生活に憧れていたが、入居から2年経った今も、家電無しでは生活できない。小さい畑の管理で精一杯。まだまだ修行が必要だ。


少し歩いた先にある畑でシシトウやキュウリ、シソなどを摘み取り、家路につく。長閑な広い道路で、大きなトランクケースを持った男性がふらふらと歩いていた。

灰色のロングコート姿。チェック柄のハンチング帽を被っている。暑そうだ。見ているだけで暑くなる。

少し追い抜いて振り返り、その男性の顔をよく見た。一見年配の男性のようだが、若々しい雰囲気だ。なんだか、とても苦しそうな表情。今にも倒れてしまいそう。

「あの、大丈夫ですか?」

2mくらい離れた位置から声をかけた。男性は無言で立ち止まって、動かない。20秒くらい経ってから、その場に崩れ落ちた。



「お騒がせして申し訳ありません。お茶菓子まで出していただいて。衣替え忘れていまして。こんな暑くなるとは。本当に、助かりました」

すっかり元気になった旅行鞄の紳士が、私に深々と礼をしてくれた。祖父の濃紺の浴衣がよく似合っている。まるで、若い頃の祖父が目の前にいるようだ。

「いえいえ、いいんですよ。大した事はしてないし。すぐに意識が戻って良かった。でも、熱中症は侮れませんよ。気を付けてくださいね」

「以後、肝に銘じます」

はははと笑う紳士の右頬には、ついさっきまで縁側で座布団を枕に寝ていた痕がある。

倒れた紳士を引き摺って日陰に避難させた後、すぐに村の人を集めて、近くの私の家まで運んだ。そして、とりあえず熱中症の応急処置を施したのだ。

氷水を身体全体にかけたら、ピャ!と声を上げて目を覚ましたので、皆で胸を撫でおろした。家に残っていた祖父の浴衣に着替えてもらい、びしょ濡れになった服は洗濯し、今は天日干し中。

おやつ時に様子をみたら、縁側で眠っていた紳士が起きていたので、羊羹とお茶をすすめた。

「ところで、旅行でここに?」

「ああ、私は全国を巡る行商人でして。こちらには初めて来たばかりでした。えーと、鞄、鞄……」

手に持っていたお茶を置き、紳士は立ち上がってきょろきょろし始めたので、部屋の奥に置いておいたトランクケースを指し示す。頭を軽く下げた紳士は、重い革製のトランクケースを軽々と持ってきた。

「この中に物を入れて閉じ、数十秒してから開けると、望みの品が出てくるのです。入れた物と同等の価値のある物、という条件がありますが。物々交換できるこの鞄で、お客様にご希望の品を提供させて頂いております。もし何かあれば今すぐ、交換いたしますが」

トランクケースを撫でる紳士は穏やかだ。冗談を言っているようには見えない。一瞬、熱中症が悪化したのかと焦った。お茶を一口飲む。

「物々交換で望みの品……欲しいもの……うーん、思いつかないなー。ここら辺では作った野菜を物々交換してるし……それほど不便ていうわけでもないし……」

「強引なセールスはいたしませんから、大丈夫ですよ。そうだ。今は私がお礼しなくてはいけませんね。えーと……」

トランクケースの蓋側のポケットを探る紳士の手が、止まった。沈黙が落ちる。

「……すみません。持ち合わせが少ないのも、すっかり忘れていて……」

「いいんですよ。気にしないでください。私が勝手にしたことですから」

「いえ、紳士たるもの、そういう訳には。うん、では、この鞄にまつわる面白い話を1つ、お礼代わりに披露いたします」

紳士は咳払いして、きっちりと正座した。

「この鞄には、明治の終わり頃に日本で作られたという印が入っています。鞄の先代の持ち主が、あぁ私の父なのですが、中古品として買ったようです。父も私も作った職人を随分探したのですが、結局分からずじまい。ちなみに父は、からくり職人でございました」

語りに引き込まれ、私も正座になった。

「父は大量の商売道具を保管するために、鞄を購入しました。買った鞄を持って帰っている時に、近所の八百屋さんから売れ残りの柚子を貰ったそうです。その柚子を鞄に入れて持ち帰って、そして事件が起こりました。……実を言うと、柚子の香りにも時空を超える力があります。この鞄に入れると、全く違う時空にあるものとランダムに交換されてしまうのです……」

ごくりと、唾を飲み込む。

「家に帰った父が鞄を開けると、中から3~4歳の男の子が飛び出てきました。しかもその子は、2856年から来た高性能子供型ロボットだと言うのです」

「そ、それで?」

「手足の動かし方も覚束ないその子を、父は抱き締めました。その後、その子を育てただけでなく、からくりの技術で内面の成長に見合った身体を作り、その新しい身体にメモリや動作プログラムなどを移植し続けたのです」

「未来の、からくり仕掛けの、ロボット?」

「そうです。その子は人間そっくりになりました。そして、父亡き後、そのトランクケースと共に旅に出た。今は、風変りな行商人をしています」

ウィンクをする紳士に、はっとする。

「父が亡くなって、もう30年ほど経ちましたが、私はまだ覚えています。柚子の香りに誘われて、父の鞄に収まったこと。最初に頬と頬を合わせてくれた時の柔らかい感触。父のからくり職人の腕は、本物だったということでしょう」

少し強い風が吹き抜けた。紳士のお茶をすする音を聴きながら、私はこいのぼりの歌を思い出していた。



「行商人」が出てくる別のお話
行商人の鞄は柚子の香り



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