見出し画像

屋上にて門出

週末のバイトが終わった翌日の昼。ゆっくり身支度を整えて、誰もいないリビングでテレビを点ける。遺伝子を説明する声がテレビから響く。科学と生物をテーマにした教育番組のようだ。父さんと母さんが仕事から帰ってくるまでに家事を済ませなくては。キッチンから食パンを1枚持ってきて、もそもそと食べながらテレビを観る。

「自分の情報を残すために奔走する。それが、私たち人間なのです」

テレビから聞こえた言葉に、パンをかじろうとした口を閉じる。私の情報。私は何も残せないのではないか。残そうともしない気がする。

つまり私は、人間ではないのだろうか?

残りの食パンを口に詰め込んでテレビを消し、急いで薄手のコートを羽織る。外に飛び出して狭い団地の階段を駆け上がった。もっと空気のある場所へ行きたい。


団地の屋上で貯水タンクに寄りかかり、切れた息を整える。大学の不合格通知を受け取ったのは去年の今頃だった。あの時からずっと、私は抜け殻だ。裕福な家ではないから最初で最後のチャンスだった。奨学金の申請の準備をして、なんとか参考書を買いそろえて。舞台は整って、あとは私が頑張るだけ。それだけだったのに。

届いたのは、不合格通知。

両親はよく頑張ったと言ってくれたけれど、ずっと応援してくれていた二人の顔を直視できなくて、小さな自室に閉じこもった。傷だらけの参考書やノートの山を崩して、その上で泣き続けた。

また泣きそうになった時、人の声が聞こえた気がした。左右を確認するが誰もいない。気のせいかと思ったら、後ろ斜め上から人の声がはっきり聞こえた。

私の背後にあるのは貯水タンクだけ。貯水タンクから幽霊が這い出てくるホラー映画を思い出してしまった。上を見たくない。逃げようと階段のほうに足を向けた時。

「「あっ!行かないで!すいません!あの、降りるの手伝ってくれませんか!」」

見事に重なった大声が響き渡った。貯水タンクを見上げてみれば、ウェットスーツを着込んだ若い男女が不安そうに立っていた。


「いやー、助かりました。まさか、帰りの次元ワープドアが貯水タンクの上に出現しちゃうとは。すぐに座標を計算し直さなきゃ。ごめんね境井さかいさん」

「本当に頼むよ西君……今回はたまたま加納さんがいてくれたから良かったけど……加納さん、ありがとうございます」

「あ、いえ。私はほぼ見てただけですから」

次元潜水士だという2人、西さんと境井さんはほぼパニック状態だったが、なんとか無事にタンクから降りることができた。大事にならずに済んで良かった。私はまだ状況が飲み込めていないが。

「ふふ、僕たち変でしょう?」

まずい。好奇心に負けて、じろじろ見てしまっていた。

「すみません、あの、変じゃないです。面白いっていうか、あ、すみません」

「あはは、いいんですよ。本当に僕たち変だもの。ついさっきまで、異次元世界の潜水調査をしていましてね。あ、これ普通のウェットスーツみたいでしょう?実は最新型の軽量潜水服なんです。どう?」

「……かっこいいと思います」

「西君、加納さん困らせないで。ごめんね。ふざけた格好してるけど、私たち本当に真面目に異次元世界の調査をしてるんです。この件は、どうか見逃していただけないかなーと」

境井さんは両手を合わせて、私をじっと見つめてきた。美しい水色の瞳だ。

「大丈夫ですよ。秘密にします。青い目、素敵ですね」

「えへ、ありがとう。これ実はカラコン。さっき五次元でヴィジュアル系ロックバンドやってる私たち自身と遭遇してね。五次元ではパラレルワールドの自分たちも当たり前に存在してるんだ。仲良くなっちゃって、親愛の印にって青いカラコンくれたの」

「……五次元……パラレルワールド……お二人がヴィジュアル系ロックバンド……想像できないです」

「僕もびっくりしちゃったよー!エレキギターを歯で演奏する境井さん見て、爆笑しちゃった」

「西君、ちょっと黙ろうか」

夫婦漫才のような会話に、笑ってしまう。

「ふふっ、仲良いんですね。お2人はご夫婦なんですか?」

2人とも、激しく首を横に振った。

「僕たちは親友兼、助手と博士という関係なんだ。どの時間軸でも出会うのに、色っぽい関係にはならない。面白いでしょ?」

「ここ、つまり三次元では迷子だった私を西君が見つけてくれたって感じかな。人生には常に迷ってるけど、今は楽しく迷ってる」

人生、という単語で暗い気持ちに追いつかれた。

「……私も、迷子なのかもしれません。大学受験、失敗しちゃって。そこで燃え尽きちゃって、今はバイトしかしてません。夢も趣味もなくて、どうしたらいいか分からなくて」

2人を困らせてしまう。分かっているのに止まらない。おまけに涙と鼻水も出てきそうだ。俯いていると背中が温かくなった。2人が両側から、背中を抱いてくれているようだ。

「私も高卒で、今もバイト三昧だよ。夢は特に無いし。悩みも不安も多い。でもそれも、今ここにいる私の一部でさ。また別の時間軸を生きてる私にも偶然会ったんだけど、その子に羨ましいって言われて気付いた。見方を変えれば、光も闇もひっくり返るんだって。だから、大丈夫」

「そうそう。なんなら試しに加納さんも他の時間軸の自分を見に行ってみる?それで、もし次元潜水がお気に召したら、助手になってみない?」

「西君、そんな軽い感じで誘わない。次元潜水には危険もあるんだから、ちゃんと説明しないと……」

境井さんが西さんをたしなめる声を聞きながら、五次元を生きる自分を想像した。別の時間軸の自分は、どんな人なのだろう。

「お願いします!私にも次元潜水させてください!」

2人のほうに向き直り、深々と頭を下げた。久々に心が躍る。門出、という言葉が心に浮かんだ。



★このお話しは「次元潜水士」シリーズの2作目になります。

★続きっぽいもの→「地図描き師のパラレル」



この記事が参加している募集

#眠れない夜に

68,772件

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。