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二色のスライム

わたしには二人の子どもがいる。二人とも男の子で、上は5歳、下は2歳。
下の子は最近特になんでも上の子の真似をしたがって(+、絶賛イヤイヤ期真っ只中なので)、おもちゃでもなんでも、上の子のまったく同じものを買い与えないと不満が爆発して全身で拒否し、ギャン泣きする。
ある日、上の子と100円ショップに行き、何か一つだけ好きなものを買ってあげるよ、と言うと、赤いスライムを選んだ。上の子が家でそれで遊んでいると、それを見た下の子が、僕も赤いスライムがほしい、と駄々をこね始めた。
後日、下の子を同じ100円ショップに連れて行ったが、まったく同じ赤いスライムはもう品切れで置いていなかった。仕方なく、もうないから、同じもので違う紫色のスライムでもいいか?と本人に確認して、いい、と言ったので、紫のスライムを買って帰った。
最初は二人はそれぞれに、自分のスライムで個々に遊んでいたのだが、まず上の子が自分のスライムに飽きて、交換しようと言って勝手に下の子の紫のスライムに交換して遊び始めた。下の子も、最初は嫌がったが、まんざらでもなく念願の赤いスライムを楽しんでいた。そのうち、何を思ったのか、下の子が、唐突に二つのスライムを一緒くたに混ぜ込んでしまった。上の子と私は、あーーっ!!と言って、引きはがそうとしてみた。でも、時すでに遅しで、もう完全に元に戻すのは不可能だった。
でも、色は赤と紫が混ざって、なんだか得体のしれないどどめ色になってはいるけど、買ったばかりの新しいスライムは、まだ充分にグネグネと質感を楽しんで遊べるものだった。わたしは、そのどどめ色のスライムを、しょうがない、これを半分こして二人で遊んでね、と言って、半分に分けて子どもたちに与えた。すると二人は、これも面白いと思ったのか、意外とすんなりと、「はーい」とそれを受け取って遊び始めたのだった。

わたしはそのとき、あ、この子たちは、いま、家族になった、と思った。
家族になるとは、こういうことだと、小難しく考えがちなわたしに、子どもたちがわかりやすく見せてくれたのだった。
長男が2歳で、イヤイヤ期真っ只中のときに次男が生まれ、長男は最初焼きもちばかり焼き、赤ちゃん返りを繰り返していた。大人が「おとうと」だから、やさしくしてあげてね、と言っても、「おとうと」というものがなんなのかもわからず、かなり長いこと、家族として認識していなかったのではないかと思う。でも、いまは一番の親友のように、弟に蹴られてもむしろ嬉しそうにしているし、弟が保育園で泣いていたらすごく心配そうにしているし、一緒にいない生活は考えられないぐらいなのではないかと思う。親の愛情を独り占めはできないけど、一緒に遊べる、嬉しいことも悲しいこともわけあえる仲間がいるのを喜んでくれている。
自分の5歳の誕生日のお祝いのときには、誕生日ケーキのろうそくの火を弟に横から吹き消されても怒らず、もう一度自分で全部消させてもらってから、またやりたいと言って火をつけてもらって、自分で吹き消そうとして、はっとした顔をして、最後は弟に全部消させてあげて、それを隣で見守ってニコニコしていた。5歳の子の、自分の誕生日ケーキなのに。

こんなに小さい子たちが、わけあうこと、家族になることの大切さを知っているのに、いったいわたしは何をしてきたんだろう。
いまはそこまでではない(と思う)が、20代の頃は、ものすごく「自分が、自分が」と思って生きていたように思う。わたしは自分の親のようには絶対にならない、学歴と能力を身につけて、誰にも頼らずに一人で自立してみせる、と頭でっかちに考えていた。ものすごく早い段階から、精神的に、妹の至らないところもわたしのせいにしてくる親や、私のものを欲しがったり、真似ばかりしてくる妹から一刻も早く離れようとしていた。親が赤ちゃんだったわたしをここまで育ててくれたから、よくもわるくも、妹とお互いに影響を与え合ってきたから、今の自分があるのにもかかわらず。長いこと、つまらないこだわりに囚われていた。
でも、30代あたりになってようやく、自分はそこまで器用ではないし、社会的でもないことを身に染みてわかってくるようになった。自分一人で生きていくよりも、他の人の助けを借りられた方が生きやすくなると学んだ。自分を頼ってくる人、甘えてくる人と距離を置きもしくは関係を断ち切り、初めて自分も頼ることのできる、甘えられる人の存在を知った。そして、わたしにもついに家族ができた。自分が前に出るだけではなく、陰で支える側にまわれる人間でもあること、あながちそれもやりがいがない仕事ではないことを知った。

調和の感覚とは、むしろ不確かさの感覚だと思っている
                       オラファー・エリアソン



わたしと子どもも、また切っても切り離せない、家族というものになってきていると思う。この子たちがいない生活なんて、もう考えられない。それを絆というとなにか陳腐な感じがするが、たしかにわたしは、それまで自分が自由に使っていた時間とエネルギーの少なくはない幾割かを、子どもたちに割いてきた。
そして、いくら育児書を読み漁って「正しい」子育てをしようとしても、気がついたら、自分の母親から語りかけられていたような口調で、自分の子どもにも話しかけているのだった。わたしが子どもに注ぐ愛は、わたしが親からもらった愛と、無関係ではいられなかった。
わたしから愛を与えるばかりなどでは決してなく、子どもたちからもたくさんの愛をもらった。
それがはたから見てどうかとか、美しいかどうかなんて、どうでもよい。もしかしたら、あのスライムのように、どどめ色をしているかもしれない。でももう、元に戻れなくてもいい。子どもたちも含めたわたしを、一緒に謳歌していきたいだけ。

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