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大寒とか寒い寒いと見聞きするので、思い出した旧正月体験

自身の経験で、最も寒かった体験を急に書くことにした。
寒ければ気温がマイナスだとか、ここ数日冷え込むと聞いたから。

最も寒かった経験をした場所は、ここだ!!デデン!!
(カッコ悪いんだろ、わかってるよ。言いたいだけ。)

中国、遼寧省(辽宁省)の瀋陽市(沈阳市ーShenyang)。

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ちなみに、ここは中国語と文化を知るキッカケになった所。
「寒かったー気温は◯度だった。」では1文で終わるから、
瀋陽での経験を中心に書いてく٩( 'ω' )و


1.何で中国?(キッカケ)

大学には、圧倒的に中国の方が多かった。
それまで、まーったく知り合う機会のなかった人たち。

第二外国語でとったフランス語の授業でだっけな?
なんかのクラスで話すようになった。

つまらん余談だが、フランス語は美しいまでに忘れた。
第二外国語候補で迷ったドイツ語の方が、友達に教えたから覚えてる。


その時の留学生って大体グループになっていたから、
1人と話すようになったら、次の時にはグループの中に招待されて
一緒にご飯食べたりするようになり。

初めて授業をサボって、みんなでご飯を食べに行ったことを忘れない。

そういえば、このグループから始まったかな?
よく「お前は日本人っぽくない。」って言われた。
これは今も昔も言われるが、日本人っぽいってなんだろう?

授業サボってまで連れて行きたいと言ってくれた、そのレストラン。
わーーーー!!全部初めて見る食事。
てか、本場の四川料理(この体験から、辛いもの好きな自分を発見)
店員も客も、流れているテレビも中国語のみ飛び交う。

日本にいるのに、日本人が自分1人だけって不思議な体験。
行ったこともない中国に来たようで楽しいな!!
いつか行ってみたいなって思うようになった。

このグループ、いつも全員一緒ってわけでもなかった。
実際はもっと複雑だったと言うべきかも。


2.ヤンヤン(仮名)と友達に

学校内で、1番容姿端麗と表現される子と仲良くなった。
友達を外見で選ぶわけないだろ!!!!!
(たまに言われるから、ここぞとばかりに言っておく)

それが、ヤンヤン(仮名)である。
いつから、よく話すようになったのか覚えていない。
フランス語の授業で頼られまくったのは覚えてる。

食堂かな?人が集う場で日本人の友人から聞く
ヤンヤンにまつわる話といえば…

「怖い。」
「近寄りがたい。」
「よく話せるね。」
「絶対無理。」

いや、よく笑ってるけど?
怖いといえば、確かに蹴りは当たった時に痛いかなぁ。
けど、やっぱり色々全部違う。

ある時、ヤンヤンと2人になる時があった。
引っ越すんだと。
しかも、それが近くだった。
そこから何がキッカケだったか忘れたけど、
一緒に暮らしてるって言った方が適しているレベルで泊まってた。

学校終わったら、自分の家に帰るみたいにヤンヤンの家に行く。
何してたんだっけな?全然思い出せない。

長期休暇でヤンヤン帰省(帰国)時には、
ヤンヤン宅を長期間無人状態にしないために、私が擬似1人暮らし。
これは、在学中に何度もあった。

そして、冬休み。
「旧正月また帰るけど、家に来ない?」
ヤンヤンの家で、いつも通りくつろいでいた時だ。

旧正月には、家族が集まるから紹介したいと。
そんなファミリータイムに?!
こちらが何か言う前に、家族に電話をかけ始めたヤンヤン。

そんなわけで、旧正月は友達の家に遊びに行ってくるね!!
決定。

3.初めての旧正月@中国

空港までは、ヤンヤンも乗せて親が送ってくれた。
あまりにも温度が違うから、日本では特に用意しなくて良いと言われた。

数時間で初めての中国!!!!
機内放送含めて、全然わからん。
だがネイティブがすぐ隣で寝ているので安心。

ヤンヤンのご両親に、挨拶。
えええええええええええええ
つらいかも…って思ったのは、
ヤンヤンを除いて誰も中国語以外話せないこと。
英語もダメ?そう、だめなんです。

言葉が通じないのに、本当に滞在中は可能な限り色んな親戚の家に
一緒に行った。

これは、非常に貴重な体験だった。
同じアジア人であっても差別はあるわけで。
向こうも緊張していた。
1番緊張したのは、訪問した時に向こうがドラマを見ていた時。
日本人を迎えるんだからと、家の方はテレビを消した。
言葉は分からなくても、内容は分かる。

ステレオタイプだったと思う、当時の色んな人が。
だけど「君に会ったら、印象が変わった!!良い子だね。」
的なことを、道を歩いてる時でさえ言われた。
簡単な挨拶と単語しか話せないし、あとはジェスチャーだったりしたのに。

通訳(ヤンヤン)を通さないと、自分たちの思いは通じ合えない。
それでも誰もが快く迎えてくれた。
今も大感謝。

4.本当に寒くて本当に死ぬかと思った経験

そういうわけで、旧正月。
ヤンヤンが、正月前に歯医者に行くと。

閉まる直前だったから、待合室に誰もいない。
本も読めない(言葉がわからない)し、外を少しだけ散歩しようと思った。

病院内があったかかったってのもありますが。
本気で、外に1分立ってるのがやっとだった。

外気温、マイナス32度。
空気を吸うと肺が痛くなるレベルの寒さ。
マスクをしていても、外気温が冷たすぎて肺が痛い。
(↑不織布じゃなくて、向こうで売ってる防寒用のマスク)

この後にも何度も滞在して、寒い時にはマイナス30度を下回った。
これが、自身の経験の最も寒かった経験。
それでも室内は暑いくらいで、家の中ではいつもTシャツ。
あと、寒さが違った。

5.旧正月体験と驚き(思い出)

餃子100個手作り!!!!!(最高に美味しかったー!!)
ピーナッツ入り餃子は当たりなので、お年玉もらえる!!
一生懸命食べても、当たらなーいー
しかし最後に、お年玉くれた!!!!わーい!!

言葉が通じないのに、子どもたちが懐いてくれたこと。
(信じられん、今もうティーンエイジだ)

これ日本だったら地面に置くと思いますよ?!
って花火を何度か持った。
あまりにも衝撃すごいし、少し開けた窓から花火持つのきつかったから、
もうやりたくないってヤンヤンの親に言った。
そしたら、やぱり地面に置く花火だった。
おおおおおおおおおおいいいいいいい!!!!
おじさん大爆笑。
言い返せない(言葉も立場も)代わりに、ヤンヤンママが激怒。
あまりにも怒ってたから、ヤンヤン起きてきた。

友人の親を呼ぶ言い方というか、単語が中国語にある。
「おばさん」や「おじさん」みたいな。
ヤンヤンの親は、ママとパパって呼んでくれって言ってくれた。
「中国のママと中国のパパ」
そうすっと急に呼び名が長い。
省略するとやっぱり「パパ」と「ママ」になる。

爆竹と花火の鳴る新年。
めちゃくちゃおいしい料理。
何言ってんだか全然わからないテレビ。
これが初めての旧正月だった。

6.正月を迎えた後

ゆっくりしたファミリータイムが流れる。

ご飯食べて、散歩して…家族に挨拶に行ったり。
ビザの都合で滞在期間マックスが2週間。

一足先に帰国。
すんごい悲しかった。

7.旧正月に滞在してから、その後

毎年のように旧正月は、ヤンヤンと親族と過ごしてた。

そのあとは忙しくて、行くのが難しくなってしまい。
最後に訪問したのは、2018年。

最後に行った時には、子どもたちがみんな大きくなっていてビックリした。
それでいて、昨日も会ったような不思議な感覚。

DVDで文字の読み方を教えてくれた子は、学校で嫌だったことを話してた。
赤ちゃんだった子は、全寮制の教育厳しい学校に通ってる。
あまりにも厳しい学校なので、エピソードを聞いて胸が苦しくなった。
そんなに多忙な小学生、私が中国に来るよー!!
ってことで家に帰って来てくれた。
どれだけ感謝しても、それを伝えることが出来ない(中国語の壁)
家族も増えた喜び。

中国語忘れまくってたけど、数日いればまぁまぁ…
会話できないのが、とにかく寂しから英語だけは頑張ってくれ!!
ってめちゃくちゃ頼んできた。
学んで欲しいのが日本語じゃない理由は、
日本語って日本でしか話されてないから。
他者に頼むのなら、色んな国で通じる英語を!!!!
しかし、ここでヤンヤンと少しバトった。
数年ぶりに会っても、こういうとこ変わらない。

何で英語なんだ?!
何で日本語なんだ?!

それでも家に畳の部屋を設けてたのを見た時、
言葉に出来ない感動があった。
だって大学の時、日本に対して(以下省略)
そうか、こんな時間経ってから特別なものだったんだと知らされるのか。

何で中国語が、まーったく知らなかったのに急に上達したのかは
そのうち「中国経験 外伝」みたいな感じで書く!!

色々思い出して、なんだか泣いてしまいそう。
寒さのせいだ。
きっとそう。

今日も良い1日を!!




















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