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璦憑姫と渦蛇辜 13章「鯨と翁」③

 港から小舟が近づき、衛士の男が声を掛けてきた。

「ここに死にかけの男がおる!水と世話を頼みたい! 」

それに向かってタマヨリは声を張り上げた。

「ついでにもう死んどるのもおるから、手厚く葬ってやってほしい。死んどるがすごくいい死人じゃった! 」

 衛士は流木の上の三人を見比べると、慌てて岸へと合図を送った。
それからにわかに慌しくなり、岸へ運ばれると人が波のように押し寄せ、そのまま若い男と年長の躯はタマヨリの前から消えた。タマヨリは衛士の見張り小屋のようなところへ通され水を与えられた。
磯螺いそらは肩にちょこんと腰掛けているが、それを気に留める者は誰もいない。タマヨリの髪の中に半ば隠れていることもあるが、人々の関心はタマヨリが連れてきたふたりに注がれていた。

 見張り小屋には背の低い男と、ひょろ長い男がいた。背の低いほうはずんぐりとしているが肩幅が異様に広く、がっしりとした手は体に対してずいぶん長い。もうひとりは棒のような体つきの半分以上が脚だった。
ふたりは生まれ持った名ではなく、それぞれ手長彦てながひこ足長彦あしながひこと呼ばれていた。
手長彦の方はタマヨリに向かい合うやいなや、唾を飛ばすような勢いで聞いてきた。

「おい、お前。どこの何者であるか? 」

タマヨリは名乗った後、少し考えてから盧藻岩菟道ノモイトッドから来たと答えた。

「どうやってここまで来たんだ」

と手長彦が詰問口調で云ったのと、

「ふううん篦藻岩かぁ、遠いなぁ」

と足長彦が呑気な調子で云ったのは同時だった。

「目が覚めたら、流木に乗って流されとった」

たまたま波間に漂うふたりを見つけたこと、死者が送り届けてくれたことなどかいつまんで話したが、衛士たちはそろって事情を飲み込めない。手長彦が剣呑な様子で聞く。

「そもそもどうして流木に乗っておった。篦藻岩では何をしておった」

畳みかけるように問われタマヨリはまごついてしまった。

「云いにくいんじゃが………」

「ん? やましいところでもあるのか」

「いやぁ。篦藻岩菟道では母上の所に身を寄せとった。ううーん、それでわけあって海に身を投げたら、どういうわけか命拾いし、神さまにも相見えてしまってなあ」

「訳ありじゃなあ」

と足長彦が云ったのと、

「怪しいなあ」

と手長彦が云ったのはまた同時だった。手長が続ける。

「娘ひとりでどうやって海を越えたものか。死人というのも何のことか分からん。よもやわれわれを謀ろうとしておるのではないな」

「いや、だから話したままじゃ。そうじゃ、神さまならここに」

とタマヨリは肩の髪を掬いあげた。そこには磯螺がちょこなんと座しているはずだった。

「それが神さまか? 」

と足長彦が長閑に云った。

「ああ正真正銘神さまじゃ。なあ磯螺、この人たちにうまいこと云ってやってくれよ」

「話す口がなかろうが」

と足長彦は笑ってタマヨリの肩に手を伸ばし、一匹のヤドカリをつまみ上げた。

「神さまだとさ」

と掌に乗せたヤドカリを相方に見せる。拳ほどのヤドカリは、磯螺の手の甲にあったのと同じ小貝を殻に付けていた。

「ああああ、磯螺!そりゃないよ……」

「ふううむ。ますます訳の分からぬことを云う奴じゃ」

「しかしまあ、あの方をここまでお連れしたのも、神の御技かも知れぬし……。この者の云うことを端から嘘と決めつけてはよくないぞ」

「しかし、『下海げかい』の仇物の類でないとどうしていえようか」

「まあ、それは上の方々のご判断に任せたらいいんじゃないのかな」

「うむう」

「ほら、これもお食べ。長旅なのだろう」

足長彦は腰の袋から、煎餅のようなものを出して渡した。

「ありがてぇ」と云った後、「ありがたく存じます」と云い直し恭しく受け取った。

「固くならなくていいぞ。別にどうってことはない。あんたにゃ、しばらくいてもらう事になるが」

と煎餅を食べるように勧める。齧れば香ばしく、胡桃を砕いて捏ねて焼いた物だった。

「うまいなあ」

ヤドカリの磯螺がはさみをせわしく降るので、砕いて与えると口へもっていく。
手長彦は『いさら』を検分した後、預かると云うのでタマヨリは渋々了承した。ねちねちと食ってかかられるのに辟易していたこともある。


それから足長彦の老いた母親の家に移され、三日三晩を過ごした。

勝手に出歩くなと申し渡されたが、それで蟄居するようなタマヨリではない。
老母の目を盗んで、街へと繰り出した。
見る物聞く物珍しかった。にぎわいだけなら賽果座サイハザも負けはしないが、街にあるもの何をとっても一段華やかだった。

港には篦藻岩で採れる玉髄ぎょくずいの他にも各地から産出する石が集まり、それらの荷は見たことない動物が運んでいた。
聞けば馬というものらしい。
三日通えば材木や穀物の類の輸送も、馬なら人の何倍もの働きをする事が知れた。荷運びばかりでなく、鞍を付けて乗っている者もいる。

馬の目交まなかいに立てば、馬も真っ黒な目でタマヨリの黒曜石のような目を覗きこんでくる。撫でても逃げることなく、賢い素振りで鼻を擦り付けてきた。
馬を引き連れているのは大抵、役人か商売人で長いことそうやっていると、追い払われてしまう。

四日目、タマヨリはもっと多くの馬が集まる場所を見つけた。
港を離れ丘陵地帯へ向かうと、丘の頂上には剥き出しの土の山が見えた。大勢の人夫と馬が石や土を運んでいる。
田畑を開墾しているようには見えないが、家を造っているのだとすれば途方もなく大きな家になるだろう。

「何だかすごい物を造っとるようだが………、何じゃろな」

向かいの丘を眺めながらタマヨリがつぶやけば、腰に結んだ袋からヤドカリが顔を出した。

「ふううむ」

と云うとヤドカリは翁の姿になって、するすると髪を伝いタマヨリの肩に腰掛けた。

「墓じゃな」

と磯螺が云った。

「墓?何人分じゃ?でかいなあ」

肚竭穢土ハラツェドの王ひとりの墓じゃ」

「本当か!? 」

「そうじゃ。ここは肚竭穢土の港のちょうど正面になる。入って来た船は、まずこの巨大な王の墓を目の当たりにすることとなろう」

「たまげるだろうなぁ」

タマヨリはその様を思い浮かべたが、何だかそれは桁の違う驚きを誘った。

「そうまでして国の内にも外にも、王の権威を示したいのじゃ」

タマヨリは人馬の働きぶりに釘付けだったが、磯螺は何やら機嫌が悪そうだ。

「どの国でも王は立派なもんじゃなぁ」

とタマヨリが応えれば嘆かわしいとばかりに語り始めた。

「人は神によって治められておったのよ。それが、人が人を治めるようになった」

「……ああ」

「神の威光は遠ざかりつつある。やがて人は人を崇めるだろう。
 山に座すものを忘れ森に座すものを忘れ、海に座すものさえ忘れ去るだろう。
 今、取り戻さねば、神の世は失われる」

「磯螺、ちょっと聞くが………、崇めないといかんのか。互いの側におるだけではいかんのか? 」

「無論じゃ」

「そっか。おれは………、島でも賽果座でも神さまっちゅうのは、ありがたいもんで怖ろしいもんだと思ってきた。
それでな、例えばおれが神さまだとして、でもおれは崇められるより人の中で暮らしたい。
同じように話して食って笑いたい。同じでいい」

沈黙が訪れた。磯螺は長いこと黙っていたし、タマヨリから継ぐべき言葉は出てこなかった。
砂塵交じりの風が馬のいななきと共に丘に届いた。

「神には神の本分があろう。役義を果たしてこその神だ。神とはことわりの系譜、絶え間なき自在の體制。ゆえに至高であるのだ。
人に降りて人と共するなど………。気まぐれならばまれに見ることもないではないが、まあ、おおよそ神らしからぬこと」

毅然と告げる磯螺をタマヨリは見た。翁の目は作りかけの墓を透かし、丘を透かし、その遥か向こうの海の深さばかりを映していた。

「忘れるでないぞ。おぬし/おぬしらは『竜宮』の一部として在る」

「ああ」

「人とは暮らせぬ。人ではあらぬ。誰もそれを望みはすまい」

タマヨリはしばらく黙ったままだったが、小さくうなづいた。

そこへ声を張り上げながら丘を登ってくる二人連れが見えた。磯螺はすはっとヤドカリに姿を変えて潜んだ。

「おい、娘!」

肩で息をしながら叱りつけてくる男は、港の見張り役の衛士だった。
手長彦と足長彦は揃って、

「「探したんだぞ」」

と云った。

「あれほど家を出てはいかんと念を押したのに。どういうことだ」

と手長彦が云えば、

「まあまあ、ちょっと風に当たりたかったのでしょう。見つかったことだし」

と足長彦がとりなした。

「ああ、風に当たっとった。馬を見ながらな」

「珍しいか? 」

「ああ。賢い目をした生き物じゃな」

「作業場だろうと戦場だろうと、実にいい働きをする」

「戦場でか? 」

「ああ」

「ふうん。どうするのか見当がつかんが」

「そうだ、娘。すぐに支度をしろ」

手長彦が忙しない動きで帰り道を指した。

「支度って何じゃ? 」

「御殿からお呼びがかかったんだよ。連れてこいって。そうさ、あんたが助けたお方が目を覚まされてね」

そう云ってゆったりと歩き出した足長彦に、タマヨリは歩調を合わせた。

「そうか!あいつ助かったんじゃな!それはよかった!何よりじゃ」

「あいつ呼ばわりとは不敬な!」

手長彦が飛び跳ねて怒る。

「いや、だっておれ名前知らないもん」

「知らなぬとな。これまた不敬な。よく聞け娘!おまえがお救いした方は、肚竭穢土の王、始肚鹿主しとじかぬし様の息子、次期国王たる岐勿鹿皇子《きなじかのみこ》であらせられるぞ!」

「そうか、キナジカって云うんだ」

タマヨリがにこりと笑ったのと、手長が憤慨するのと同時だった。





14章へ続く






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