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名無しの映画遠征記 ~2024年2月編~


はじめに


※この記事は2024年2月9日(金)~2月11日(日)にかけて、長崎県在住の筆者が福岡県まで映画鑑賞に出掛けた際の思い出を綴るものです。鑑賞した映画の感想は最後におまけで書く程度ですので、予めご了承ください。


2024年初の県外遠征。2泊3日の映画鑑賞旅へ


2024年も昨年と変わらず映画館での映画鑑賞を続けていくことにした。下の記事にも書いたが、筆者は映画不毛の地・長崎県在住のため、地元の映画館だけでは観たい作品のほとんどを視聴することが出来ない。そこで、今年も映画鑑賞のために県外へ遠征してきた次第である。今回は今年最初の遠征の経緯と旅の思い出を綴っていきたい。

きっかけはカール・テオドア・ドライヤーの上映企画


今回の遠征を思い立ったそもそものきっかけは、上の記事でも2024年の抱負として記載していた『カール・テオドア・ドライヤーセレクションvol.2』。

ドライヤーについての説明は割愛する。福岡県のKBCシネマで2月9日(金)~2月22日(木)の2週間かけて7作品が上映されることがわかり、また2月の三連休とも被ったため、「この連休中に遠征しよう」と即決したのが今回の遠征のきっかけである。これが昨年の12月のこと。

「1日に何作品ずつ上映されるかは不明だが、出来ることなら5作品くらいは視聴したい。1日2作品ずつ上映と仮定して、福岡に最低3日かけて観に行く必要がある。それならいっそ、現地に泊まって2泊3日にしてしまおう。」

「10日(土)~12日(月)の3連休を使うのが理想だが、初日の9日(金)に企画の目玉(未見の『あるじ』(1925)と睨んだ)が来るだろうから、金曜午後から年休を取って、9日(金)~11日(日)に遠征しよう。」

こんな流れで過去に経験のない2泊3日の県外遠征計画が固まったわけだが、厄介なことに、この時点ではどの映画を遠征で観るか決めようがなかった。

遠征数日前にスケジュールが判明。夜通しで日程組み作業


映画館に通う方、特に事前にインターネットで席を予約する方には説明不要だろうが、一般的に映画館の上映作品は毎週金曜日に入れ替わり、具体的な上映時間帯はその週の火曜日に当週金曜~翌週木曜までの1週間分の予定が発表される仕組みになっている。

言い換えると、「2月に2泊3日かけて遠征する」と12月時点で計画を立てていても、具体的な行程はその数日前にならないと決められないのである。

普通に映画を一本観に行く程度なら何も問題ない。しかし私の場合、多額の交通費や宿泊費をかけての遠征なので、各劇場の上映時刻は遠征そのものを中止することにもなりかねない死活問題になる。遠征して観たい作品が何も観れなければ意味がないし、一度になるべく多くの作品を観たい。

上の呟きは上映時刻が判明する前日にのん気にXに書き込んだものである。しかし、現実は想定通りにいかないもので、6日(火)になってKBCシネマのHPを確認したところ、ドライヤーの上映は1日1作品のみと判明。「2泊3日で5作品くらい観たい」という当初の目論見は脆くも崩れ去ってしまった。

ドライヤー作品の視聴は3本で我慢するか、遠征自体を諦めるか、あるいは翌週の16日(金)~18日(日)に更に2泊3日の遠征を追加するか…。悩みに悩んだ結果、今回は3作品のみの視聴で我慢することにした(私がこれから生きている間にまた九州でリバイバル上映があることを期待したい)。

ドライヤーへの踏ん切りがついたら、今度は2泊3日かけて何を観るかの行程組みの作業。福岡県福岡市の天神~博多の区域内にはシネコン含め映画館が多数あり、徒歩で移動しながらの視聴となる。地図で示すとこんな感じ。

博多~天神の映画館分布図。この区域だけで長崎県全体の約2倍の数の映画館がある。
端から端までの距離は徒歩90分程度

どのように予定を組めば最も効率的に観たい作品を視聴できるか。各劇場のHPを開いて並べ、上映時刻・移動時間・天気予報・疲労度・観る順番などを考慮しつつ、車で他の地域(佐賀・北九州など)へ移動する選択肢も視野に入れながら一つ一つの日程を組み上げていく。この作業が実は一番楽しい。「旅行は計画しているときが一番楽しい」というタイプが世の中には一定数いるようだが、私は当にその典型のようだ。6日(火)の夜から予定を組み始め、2泊3日の行程が出来上がった時には深夜になっていた。

最終的に選び抜いた12作品


最終的な遠征の日程は次の通り(結局、天神~博多圏内でおさまった)。

2/9(金)~2/11(日)の遠征で視聴した作品一覧

※旧作のみ公開年を併記

【1日目】2/9(金)午後 長崎を出発→福岡へ
① 無理しないケガしない明日も仕事!新根室プロレス物語(KBCシネマ)
② 彼方のうた(同上)
③ ドライヤーセレクション あるじ(1925)(同上)

【2日目】2/10(土)
④ コット はじまりの夏(KBCシネマ)
⑤ 罪と悪(中洲大洋映画劇場)
⑥ ドライヤーセレクション 吸血鬼(1932)(KBCシネマ)
⑦ フェルメール The Greatest Exhibition(kino cinéma天神)

【3日目】2/11(日)
⑧ 夜明けのすべて(ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13)
⑨ ストップ・メイキング・センス(1984) 4Kレストア IMAX(同上)
⑩ ドライヤーセレクション ミカエル(1924)(KBCシネマ)
⑪ ダム・マネー ウォール街を狙え!(kino cinéma天神)
⑫ 瞳をとじて(同上)

1日に5~6本詰め込むとつまらない映画を引き当てる確率も上がるものだが(昨年は1日に年間ワースト級を2作引き当てる珍事も経験)、今回の遠征に関して言えば12作品すべて面白かった。非常に充実した遠征だった。

思い出① 二十年ぶりの自転車に大苦戦


さて、前置きが物凄く長くなってしまったが、ここからは映画とはほとんど関係のない遠征時のちょっとした思い出を語っていきたい。

自転車天国・福岡と「チャリチャリ」

この記事の読者で「Charichari(チャリチャリ)」という自転車サービスをご存知の方はどれくらいいるだろうか。

チャリチャリは福岡市で始まった自転車シェアリングサービスで、スマホのアプリで鍵の施解錠を行い、街中に点在する専用サイクルポートまで好きに乗り降りすることが出来る(利用時間で課金され、後日クレジット払い)。

福岡の都市部は自転車天国で、どこを歩いても自転車で走る人を見かける。道端のそこかしこに大規模な駐輪場があり、飲食店の前には自転車が何台も停められ、場所によっては「自転車は押して歩いてください」という珍しい道路標識まであるほどだ。

チャリチャリの利用者も多く、お馴染みの赤い自転車で街を行き交う観光客らしき人や外国人の一行をこれまでいっぱい見てきた。

ただ、私自身はと言うと、不思議なことにチャリチャリを使ってみたことはこれまで一度もなかった。自転車に乗らずとも徒歩で間に合うように予定を組むし、他所の土地をのんびり散歩すること自体が好きだからである。

しかし、一日目の夜。映画を観終わって宿泊先へ向かおうとした矢先、専用ポートに停まるチャリチャリが目に入って不意に足が止まった。このあとは宿へ向かうだけで時間に追われているわけではない。周囲に人もいない。

「旅の思い出に一度くらい乗ってみるか。」

初めてのことに胸を高鳴らせながら早速アプリをダウンロードし、説明書を見ながら自転車の鍵を解除した。映画館から宿までは徒歩40分程の距離で、Google Mapを見ると自転車で15分程と表示されていた。

「今日は早めに就寝できそうだ。あ、その前に映画の感想も書かないと。」

そんなことを考えながら、荷物を籠に入れ、サドルに腰を下ろし、ペダルを漕ぎ始めた。このあと全身冷や汗まみれになって醜態を晒し後悔することになるとも知らずに。

もう既にお気づきの方もいるだろう。最初に書いた通り、私は長崎県在住である。それも、長崎市生まれ長崎市育ちの生粋の長崎人なのである。


【知らない人へ解説。長崎県(長崎市)とは?】
・全国でも有名な「坂の街」。長崎市街地の7割超が斜面地。
・県内1世帯当たりの自転車保有台数が全国平均値の半分。全国ワースト2位
・斜面が多いだけでなく路地が狭く、石畳や曲がりくねった道も多い。
・「自転車に乗る」発想が市民にそもそもない。自転車は不便な乗り物
・乗ると危ないので長崎市内の小中高は自転車通学禁止が多数

※これらの特徴は長崎県全体に当てはまるわけではなく、比較的平地の多い
 諫早市街や大村市街では自転車に乗る人をそれなりに見かける。地域差が
 激しい県なので、県民全員が自転車に乗れないなどと誤解のなきように。


長崎県民の筆者、慣れぬ自転車に乗り中洲で迷走


私自身は両親に無理を言って自転車を買ってもらい、中学までは乗ることもあったが、やはり坂の上り下りが付きまとうことに不便さを感じてしまい、すぐに乗らなくなってしまった。ただでさえ自転車に乗らない地域で生まれ育ったうえに、自転車に乗ったのは実に20年ぶりだったのである。

中学まで普通に乗れていたし、現在も自宅でエアロバイクを漕いでいるので己の自転車操縦技術を過信していたが、20年ぶりに乗ると操作がおぼつかず左右にふらついてしまう。また、減速しようとしたとき、ブレーキレバーを握らず咄嗟に両足を地面に突き出してしまった。補助輪を卒業したばかりの小学生のような酷い有り様である。

さらに、少し走るとすぐに福岡の繁華街・中洲に出た。ネオンの灯が輝き、川沿いには屋台が並び、仕事帰りの会社員や酔っぱらい、遊び回る若者達や手を繋いで寄り添いながら歩くカップル、観光客などで祭のような賑わいを見せている。しかもこの日は連休前の花金で人の多さは尋常ではなかった。

「ここで乗るのは無理だ・・・。」

と限界を感じて自転車を降りた。スイスイと巧みに人混みをかき分けていく自転車乗りも大勢いたが、そのような技術を持ち合わせてはいない。起こり得る最悪の事態を想像して冷や汗が噴き出す。利用時間で課金されるチャリチャリで「押して歩く」者などまずいないだろう(私も見たことがない)。どこからか嘲笑の声が聞こえた気がして、緊張と羞恥は高まる一方だった。

「ここは迂回して人気のないところへ行って走ろう。」

専用ポートを見つけ次第、すぐに駐車して運転を止めればよかったものの、何を思ったのか私は自転車を手放さず迂回することを選んだ。すると今度は自分がどこにいるのかわからず迷子になってしまう悪循環に陥ってしまう。

スマホで現在位置の確認はするものの、運転しながらスマホを見るわけにもいかず、少し進んでは立ち止まってスマホを確認し、また少し進んでは立ち止まってスマホを確認し、人通りの多いところは迂回する、を繰り返した。

結局、宿泊先の最寄りの専用ポートになんとか辿り着き、無事駐車まで完了したのは運転を始めてから40分後のこと。歩いたほうが遥かにマシだった。

旅の思い出に、と軽い気持ちで乗りはしたが、一歩間違えば他人を傷つける危険な行為をしていたことを深く反省しながらその日は眠りについた。もう二度と自転車には乗らないとここに固く誓う。


思い出② 人生初の珈琲の名店へ


基本的に県外遠征では映画館と書店、サウナ以外はどこにも行かない主義であるが、今回の遠征は映画以外に楽しみたいことがあった。

「珈琲の名店」というものに一度行ってみたかったのである。

私と父の親子を繋ぐもの 「珈琲」


今や私の人生において珈琲はかけがえのないものだ。何故そうなったのかを説明するために、私の父のことを少し紹介させていただきたい。

私の父は根っからの仕事人間で、平日は深夜にならないと帰宅しなかった。私が子供の頃は就寝するまでの時間に家に帰ってきたことがほとんどなく、朝起きた時は既に出勤直前で慌ただしくしており、同じ家に住んでいながら顔を合わせることも稀な状態。

※私の実家は「食事と就寝は家族全員一緒に同じ部屋で」という方針だったため、父がそんな状態でも家族仲は良好だったと付け加えておく。

休日も仕事で外出しているか、家に居ても洋書を読むか縁側で目をつぶって瞑想にふけっており(この父、よく結婚出来たなと今でも不思議に思う)、親子でありながらろくに会話をしたことがなかった。幼い頃の父との会話の記憶は、休日の夕食時に何らかの理由でお説教を受けたものしかない。父が口を開く=怒られる、というのが私の父親像だった。

そんな父が、定年退職~再就職後すぐに脳梗塞を発症し入院した。

幸い大事に至る前に早期発見できたので後遺症は残らなかったが、父が病を患い、少し早めの隠居生活に入ったことで、奇しくも親子の時間が増えた。

それまで仕事で気を張り詰めているか、恐ろしい剣幕で私に説教する姿しか見せなかった父の素の姿は、意外にも気さくなもので、父自身後ろめたさがあったのか、私と日常会話をしようと会話の引き出しを常々発掘している。

その父のお得意の会話のネタの一つが、珈琲である。

父は無類の珈琲好きで、実家には昔ながらの手挽きのコーヒーミルがあり、現役時代も休日には(家族を放りだして)珈琲店巡りをしていたらしい。

今現在、私が月に1~2回の頻度で実家に帰省したときは、父と近所の行きつけのレストランにランチに出掛け、食後に珈琲(毎回違う豆で挽いたものが出される)を飲みながら父の珈琲話を聞くのが日課となっている。

キリマンジャロ、ブラジル、コロンビア、グアテマラ、マンデリン…etc.

私にとって、それまで珈琲は「手っ取り早く眠気を覚ます飲料」以外の何物でもなかったが、豆の産地、種類によって酸味、苦味、コクなどの味わいがそれぞれ全く違うことを生まれて初めて知った。

私「この珈琲は初めて飲むね。美味しい。」
父「この豆はなぁ、お父さんが若い頃、出張で〇〇に行ったときに…」

子供の頃見たことのない嬉々とした顔で珈琲について語る父。私が生まれてから父が脳梗塞を患うまでの二十数年の間ずっと私たち親子にあった空白を珈琲が埋めてくれている気がしている。

そんな父との会話のなかで、ある珈琲店の名前が出てきた。

「珈琲に興味が出てきたら、次はモカを飲んてみるといい」
「福岡の「珈琲美美」がこの辺では飲めないモカハラールで有名な店だよ」

今回、福岡へ映画遠征するにあたり、2泊3日と時間はたっぷりあったので、2日目は映画の鑑賞本数を4本に留め、思い切ってその店へ行ってみた。

珈琲通には有名な老舗の専門店 「珈琲美美(びみ)」

道路を挟んで向かい側から撮影。向かって左の煉瓦模様のお店が珈琲美美。

KBCシネマから福岡城址を横切って徒歩40分(自転車はもちろん使わず)。美術館や大濠公園もそばにあるとても雰囲気の良い場所。1階では珈琲豆の物販が行われ、2階のカーテンが引かれた場所が喫茶店となっている。

事前にネットで色々調べてみたが、父の話通り、かなりの有名店らしい。

(↑私の拙い文章よりお店の雰囲気が伝わる動画があったので参考までに)

喫茶店の開店前に着いてしまったので、まずは1階で父への手土産のためにモカハラールを100g分購入。珈琲豆の入った袋を渡されるだけと思っていたら、「椅子にかけてお待ち下さい」と言われ、なんと店員さんがザルに入った大量の豆の中からひとつひとつ選別しはじめた。

こうした珈琲店では当たり前の光景なのかもしれないが、注文を受けてから豆を選ぶのか、と初っ端から面を食らう。お洒落な店内をあちこち撮影するわけにもいかず、暇を持て余したので、店の片隅にあった「コーヒー初心者入門」と書かれた本を開いて出来上がりを待つ。初めて来た店で縮こまって入門書を読む姿は完全におのぼりさん丸出しで少々恥ずかしかった。

有名店の珈琲を初堪能 父のオススメ「中味ブレンド」

珈琲豆の会計を無事に済ませた後、喫茶店が開いたので一番乗りで店内へ。店は狭めで知名度の割に席数が少なく、開店直後にすぐ満席になった(この時点で選ばれた者しか入れない特別感が凄い。一番乗りで助かった)。

カウンターとテーブル席を選べたが、おのぼりさん丸出しのまま店員さんと対峙するのは気が引けたのでテーブル席へ。この日は快晴で冬の割に気温も暖かく、柔らかい日差しが差し込んできて非常に心地よかった。

「美美ではブレンドを頼みなさい。濃さは中味でいい。ビックリするよ」と事前に父から教わっていたので、中味ブレンドを注文。

父からの評価は「ビックリするよ」とだけしか聞いておらず、何に驚くのかよくわかないまま10分ほど待つと、注文した珈琲が運ばれてきた。

2階の喫茶店にて。モカハラールベースの中味ブレンド(550円)

見た目は地元のレストランで父と飲む珈琲と変わらないが、お店の雰囲気に気圧されたのか、思わず「おおっ…」と声が漏れる。

さっそく一口目を味わうと、父が「ビックリするよ」と形容した意味がすぐわかった。まずこれまで味わったことがないほど濃厚なのである(「中味でいい」と言ったのも納得)。それでいて酸味や苦味がキツいわけでもない。

珈琲特有の芳醇な香りとコクが身体中を駆け巡り、旅の疲れと真冬の寒さを身体の芯から癒やすような心地よさを覚えた。これが名店の味なのか。

通は一口一口を味わって嗜むのだろうが、おのぼりさんで初めての味に感激した私はあっという間に飲み干してしまった。飲んだ後、口内に残る珈琲の風味も濃厚で、いつまでも身体の中に残り続けるような気さえした。

あまりに美味だったこともあって、欲をかいてさらに飲みたくなってきた。

「せっかく来たのだから、もう一杯違うものを頼んでみよう。」

調子に乗って続けて注文 「ゴールデンハラール」


ここからはもう父のアドバイスはなにもない。メニューを眺めながら自分で考える。中味でこの濃厚さなのだからもっと濃い味だとどうなるのだろう。

ふと、「ゴールデンハラール」という文字が目に入った。名前からして素人にも伝わるデラックス感のある響き。「デミタス珈琲」と書いてあるので、通常よりも量が少なく濃厚な一品であることは間違いない。

メニューの説明には「他にない深遠な味わい。最奥地で採れたゴールデンビーンズのみ集め、深煎りエキスを一滴ずつ抽出します」などと書いてある。

「これはなんだか凄そうだ・・・!!」

さっそく注文してみた。

ゴールデンハラールのデミタス(1100円)
『コット はじまりの夏』のパンフレットを読みながら

直前に観た『コット はじまりの夏』のパンフレットを眺めながら15分ほど待つと、黒いカップに入れられた少量の珈琲が登場。

高級感ある装いと香り立つ濃厚な匂いで、「さっきのブレンドとは違う」と本能的にわかる。果たして味はどう違うのだろうか。一口目を口に含む。

「・・・・・!!!!!」

その瞬間、身体中に衝撃が走った。「濃厚」なんて生易しいものじゃない。たった一口で、さっきまで身体に残っていた中味ブレンドの味わいがすべて上書きされるほどの濃さ。でもさっきの中味ブレンドと同様、酸味や苦味がキツいわけではなく、ひたすらコクと旨味のみを限界まで濃厚にしたような味わいで舌触りは柔らかい。どう抽出したらこんな味になるのだろう。

口に含む度に身体全体に濃厚な風味が染み渡る。後味も濃厚で「口に残る」というより「身体に一生刻みつけられる」ような錯覚に陥った。実際、遠征から一週間経った今現在でも、その後味は消えずに微かに残っているほどである。凄まじい珈琲体験だった。

遠征後に父が淹れてくれた 「モカハラール」


遠征から帰還した翌日、父へ買った珈琲豆と珈琲美美で得た土産話を携えて実家へ帰省。父は「中味ブレンドを注文しなさいと言ったのにデミタスまで飲んだのか」と少々呆れ顔だった。父曰く、珈琲美美は特別濃い味の珈琲が出される店らしい。

呆れてはいたが、モカハラールの豆を手に入れたことは嬉しかったらしく、「早速淹れてみるから一緒に飲んでいきなさい」と誘われた。

実家で父が淹れてくれたモカハラール。値段はプライスレス。

口の中には2日前に飲んだ「ゴールデンハラール」の風味がまだ残っていたものの、それとは全く違う味わい。「お店と比較するのはやめてくれよ」と釘を差されたが、珈琲美美にはなかった優しい味がする。父は父で「やはり豆の質が違う」とかなり満足げだった。

子供の頃はこうして父と向かい合って珈琲を飲む時間なんて想像することも出来なかった。子供の頃は父が口を開けば怒鳴られてばかりだったが、今はこうして珈琲の話で談笑し合うことが出来る。

父は70歳を過ぎて痩せ細り、背もいつの間にか私のほうが高くなった。あと何回、親子のひとときを過ごすことが出来るかわからないが、このなんでもない時間のひとつひとつを大切にしていきたい。

映画の感想も少しだけ

今回の遠征は12作品すべて面白かった。うち2本の新作は年間ベスト級。

一応、映画を観るための遠征だったので観てきた感想も少しだけ書いく。

年ベスト級の2本 『コット はじまりの夏』『夜明けのすべて』


既に各所で絶賛されているので今更書くまでもないが、『コット はじまりの夏』『夜明けのすべて』はどちらも今年のベストに間違いなく名を連ねる傑作だった。まだ未見の方は今すぐにでも映画館に足を運んでほしい。

『コット はじまりの夏』は9歳の少女コットが親戚夫婦と過ごすのひと夏を描く小編。繊細な感情を美しい映像で描出していて、暗い世界で塞ぎ込んでいる子供に向けて「貴方はここにいていいよ」と語りかけるような優しさと温かさに溢れた作品だった。昨年、同じく少年の繊細な心理を切り取った『CLOSE/クロース』を実写映画のベスト1に推した私にとって、この手の映画は大好物と言っていい。余韻が凄まじく、今でも予告編だけで泣く。

『夜明けのすべて』は、それぞれ障害を抱え社会でもがきながら生きる男女2人を描いた作品。生きづらさを抱える全ての観客を優しく包み込むような慈愛に満ちた映画で、16mmフィルムで撮られたという映像は独特の温かみがあった。「障害」をエンタメとして消費しお涙頂戴に繋げる邦画の悪癖は本作には欠片もなく、また2人を恋愛関係に発展させるような安易な展開もない。題材に対する制作陣の誠実さが現代社会に生きる観客の心に沁みる、邦画の新たなスタンダードとなりうる傑作。恐らく今年の邦画ベスト確定。


人生初のIMAX体験!『ストップ・メイキング・センス』4K

『ストップ・メイキング・センス』(1984)は、アメリカのロックバンド「トーキング・ヘッズ」が前年にL.A.で行ったライヴを記録した音楽映画。恥ずかしながらトーキング・ヘッズについてはあまり知らず(『Once in a Lifetime』などのMVでボーカルが変な動きをするバンドという認識程度)、ファンでもない人間が観て楽しめるのかという不安があったが杞憂だった。舞台が動く!ボーカルも動く!みんなで動き回る!ビートが加熱していく!ライヴのボルテージをそのまま体感するような臨場感。演出を緻密に計算し動き回りながらも画面上にカメラを映さない撮影も出色。都会の人はいつもこんな映画体験をしているのかと羨ましく思えてならない。


ドライヤー『吸血鬼』(1932) 初の劇場鑑賞で驚いた

遠征のお目当てだったカール・テオドア・ドライヤーセレクション』。『奇跡』(1955)や『ゲアトルーズ』(1964)など晩年の傑作を劇場で観たかったが、蓋を開けてみると『ミカエル』(1924)、『あるじ』(1925)、『吸血鬼』(1932)と奇しくも初期作品ばかりになった。特に『吸血鬼』は学生時代何度も観ていたので、正直「今更観なくても…」と思っていたが、これが思わぬ大誤算。不気味でかつ幻想的な映像演出をスクリーンで浴びて感動に浸り、「劇場で観て良かった」と思わせてくれた。

他にも、ヴィクトル・エリセの新作『瞳をとじて』、金融ノンフィクションエンタメ『ダム・マネー ウォール街を狙え!』、実録感動ドキュメンタリー『無理しないケガしない明日も仕事!新根室プロレス物語』などなど、どの作品も面白かった。今年も映画の面白さを存分に満喫していきたい。


最後に 中洲大洋映画劇場とのお別れ

2月11日(日)撮影。早朝のため通行人おらず。

3月末をもって閉館となる中洲大洋映画劇場にも行ってきた。1946年創業で九州の映画文化を長年支えてきた場所。「劇場」という名を体現する外観とファンの心をくすぐる煌びやかな内装、そしてここの「1番スクリーン」で上映される作品がどれだけの映画ファンの心を心を掴んできたか、想像するだけで胸が熱くなる(個人的には、IMAXよりも「中洲大洋の1番」のほうが映画体験として遥かに格上であった)。まさに映画の聖地だった。

3月末には「さよなら興行」として劇場のシンボルでもあるチャップリンの映画が上映されるが、年度末は仕事が多忙になるため遠征するのは現実的に厳しい。なんとかあと1回行っておきたいが、おそらく今回の遠征が最後の訪問になるだろう。取り壊しが決まってからは、いつ行っても劇場の外観を撮影するファンが後を絶たなかった。老朽化は仕方ないとは言え、ひとつの文化遺産を失うようでとても寂しい。

たくさんの感動と思い出をありがとう。

またしてもどえらい長文となってしまったが、今回はここまで。

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