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入れ歯とマグカップ 忘れ物は何ですか

入れ歯とマグカップ

題が実に良い。
「入れ歯」と「マグカップ」の取り合わせである。
名詞と名詞を同列につなぐ「と」は、かなり粘着力がる。
空と海・天国と地獄・天才と愚鈍・鶴と亀・わたくしとあなた・手と足。
これだけで、言葉遊びが一日中出来る。
本の題名ではスタンダールの「赤と黒」である。
トルストイの「戦争と平和」もそうだし、ドストエフスキーの「罪と罰」もぱっと浮かぶ。
だから「入れ歯とマグカップ」も、その同列に入れさせていただく。
はあ?
ため息をついているのは誰だろう。
では、本題に入ろう。

入れ歯の行方

若い人は、歳をとることに違和感を感じるだろうし、
老人になることに憧れもないだろう。
老人になると、腰が曲がり足がふらつく。
そこで杖をつくようになる。
老眼になってメガネをするようにもなる。
そして、失くなった歯には入れ歯を装着。
「8020運動」という歯のキャンペーンがあった。
80歳の時に、歯を20本残そうと言うキャンペーンである。
歯が全部揃っている若い人には、他人事である。
しかし、現実には健全な歯を持っている人は少ない。
嫌でも、入れ歯が必要になる。
ご飯を美味しく食べるためである。
杖やメガネは、体の外に使う補助具だから、あまり違和感がない。
けれど、入れ歯は口の中だから、結構違和感がある。
それも慣れなのだが、なかなか慣れないものだ。
入れ歯は、朝装着し、寝る前外し、洗った後ケースにしまう。
これは洗顔と歯磨きに加わった、一連の生活パターンになる。
ある日の朝、洗面台の入れ歯ケースの中に入れ歯がなかった。
どこへしまったのだろうか。
また、どこかへ仕舞忘れたのだと探した。
しかし見つからない。
妻も一緒に探してくれた。
もう一度、洗面台の前に立って、ケースの中を見る。
あるわけがない、さっき見ただけだ。
しかたがない、あきらめて歯を磨き始めた。
磨いていると、「?」「?」となった。
歯磨きを中止して、右指を歯の奥に入れると、ないはずの奥歯に触れた。
「あった、あったぞ、口の中に入れ歯があった」
妻が見下したように、わたくしを見つめていた。
普通、捜し物が出てきたら、嬉しいしホッとするのだが。
探していた入れ歯が、自分の口の中で見つかったのは、意外で複雑な気持ちだった。
他人が探していた入れ歯を、自分の口の中で見つけたら、それなりに納得できたが。
自分の入れ歯を自分の口の中に発見するとは!
「入れ歯はどこ?入れ歯はどこ?」
と、騒いでいた自分は何だったのでしょう。

財布はどこへ

置き忘れというのがある。
これは、いったん置いた場所がどこだったか、忘れてしまうことだ。
大体、後で気がつく。
電車内や喫茶店で置き忘れることが少なくない。
トイレでの置き忘れも多いらしい。
実際わたくしの知り合いは、外国でカメラをトイレに置き忘れた。
見つかったからいいようなもの、忘れたら戻ってこない。
だから、家のかでの忘れ物は、安心して探すことが出来る。
一種の宝探しである。
財布をなくしたことがある。
買い物から帰宅して、戸棚の中へ入れる。
これは習慣だから、無意識に戸棚へ入れている。
ところが、ある日、その戸棚の中に財布がないのである。
買い物からの途上で無くしたことが考えられないから、きっと家中である。
で、思い当たるところを探してみた。
しかし、小一時間探しても見つからなかった。
「そのうち出てくるだろう」
という、結論を出して、探すのはいったんあきらめた。
すると、トイレから出てきた妻が、
「財布あったよ!」
と、笑いながら言ってきた。
財布のあった場所は、トイレの前の本棚だった。
きっと帰ってすぐ、トイレに行ったのだ。
その時ズボンのポケットに入っていた財布を、一時的に棚に置いたのだ。
いつもは、先に財布を決められた棚に置く前、トイレに入ったのが失策だった。
自分の股の間を、ボールが抜けていくような失策だった。

マグカップはどこへ

マグカップが消えた。
しかも眼の前から。
超常現象だった。
つい今までそこにあって、手で触っていたのに。
珈琲を淹れるために、食器戸棚から取り出したばかりだった。
「マグカップはどこ?」
レンジの前で周りを見渡してみても、マグカップは見えない。
レンジの中で何かが回っていた。
チーンとレンジが鳴った。
レンジの扉を開けたら、そこには捜し物のマグカップが何事もなかったように、鎮座していた。
いつレンジの中に、マグカップは隠れたのだろうか。
そうではないだろう、自分がレンジにマグカップを入れ忘れただけだろう。
マグカップをレンジに入れて、レンジのスイッチを入れた瞬間入れたことを忘れたようだ。

まとめ

以上上げた例は、老化現象と普通は言う。
しかし、断定は出来ない。
こういう忘れ物は、若いときにもあったような気がするから。
ただ年寄りが忘れ物をすると、老化現象と結びつけたくなりのは、
やはり物忘れの頻度が多いからだろうか。
今の所、こういう珍現象は年に数回しかないけれど、入れ歯の忘れ物はちょっと衝撃的だった。
究極の物忘れは、忘れたことさえ忘れてしまうことだろうか。
自分が誰かさえ忘れた時、忘れ物自体が消滅してしまう。
ということは、まだまだ自分は健康ということなのだろう。
それとも、そう思いたいだけなのかな。

旗じいの話を、最後まで読んでくれてありがとう。
今、「探しものはなんですか?」と、井上陽水の歌が聞こえてきたよ。
探しものの最後は、夢の中へ探しに行くしかないのだろうか?

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