見出し画像

弱者男性の心をえぐる!映画『バズ・ライトイヤー』感想


 日本のロボットアニメや特撮ヒーロー番組はときに、おもちゃ会社のCMだと揶揄される。劇中に登場するロボットのプラモデルやヒーローに変身するグッズを如何に買ってもらうか。スポンサーの顔色をうかがうのは大人の嗜みだ。けれども、おもちゃ会社に忖度したような「商売っ気」全開の作品なんて面白いはずがない。揶揄されないようなストーリーとおもちゃについ手が伸びてしまうようなデザインや演出のバランスこそが制作側の腕の見せ所だと思う。それこそが日本のロボットアニメや特撮ヒーロー番組の積み重ねた歴史なのではないかと勝手に思っている。だから「商売っ気」は見せないようにするものだと思うし、作り手が「おもちゃが売れるように作りました」なんて絶対に言わない、と思っていた。今回紹介する映画『バズ・ライトイヤー』を観るまでは。


 映画『バズ・ライトイヤー』は、『トイ・ストーリー』シリーズに登場するおもちゃのキャラクター、バズを主役にした物語である。
 多くの人を乗せた惑星探査船が移民可能な星を探す旅の途中、ある惑星に着陸する。スペースレンジャーのバズは同僚のアリーシャ達とともに居住可能かどうかの調査に向かう。しかし、敵対生物に襲われ、探査船に戻るもバズのミスにより船は損傷。乗組員たちは一時的にコロニーを築き、バズは惑星脱出のために奮闘する。
 冒頭、この映画がどういう立ち位置なのかがテロップで説明される。この作品は『トイ・ストーリー』のアンディ少年が1998年におもちゃのバズを買うきっかけとなった映画だと示される。おもちゃが欲しくなるような映画ですと宣言しているのだ。そう宣言するからには、少なくとも98年のアンディ少年がそうであったように、90年代に少年マインドを育んだ人たちにぶっ刺さるものでないと説得力がない。「あくまでも劇中劇だから」という言い訳は立つ。しかし、自己に言及するようなメタ的なそのテロップを観た時、驚きとうれしさが交じった感覚におちいった。


 90年代に少年時代を過ごした私にとって今作は、男の子心がくすぐられるようなかっこいいデザインとアクションが満載。戦闘機を上から見た時のデザインが「Y」字型だけではなく、翼が気流に逆らうような「↑」型(機首が下)のものが出てきた時の懐かしさたるや。そういえばこの手のデザインを最近見てないなと、ノスタルジーに浸ってしまう。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、子供のころカッコいいと思ったものは、今見てもカッコいい。
 ビームソードの形状もスター・ウォーズやガンダムのそれとは違い、刀の峰があるような形をしていて、90年代の少年がワクワクするであろう要素にオリジナリティをうまく混ぜ込んでいる。
 ほぼR2-D2のような活躍をするネコ型ロボット・ソックスが、個人的におもちゃとして欲しくなるようなデザインではなかったのが少し残念に思った。「見た目のかわいらしさに反してハイテクマシン」というギャグのためだけの外見のように見える。キャラクターとしては面白いのに、R2-D2のように「欲しい!」とは思えなかった。ただ、「主人公を助けるネコ型ロボット」という設定が単なる偶然なのか気になる。(ソックスの性格的にはイヌの見た目の方がしっくり来る気がする。)監督のアンガス・マクレーンはインタビューで日本のアニメに影響を受けたと話しているがどうなのだろうか。
 世代ならではの共感してしまう演出もある。劇中、カセット式の音声ナビシステム・アイヴァンの調子が悪くなってしまう。するとバズはカセットを外し、端子の部分にフーっと息を吹きかけて直す。これには思わず笑ってしまった。ファミコン世代なら一度はやったこの「儀式」が、はるか宇宙のかなたでも行われているなんて。「カセット、フー」は、日本のファミコン世代にとって「あるある」ではあるが、同世代のアメリカ人たちにも通じるのだと思うと面白い。


 アンディ少年と同じく90年代を過ごした子供たちも、今や30〜40歳代だろう。今ではパパ・ママとなった人たちが、子供を連れてこの作品を観に行く。実際、私が観に行った劇場も大半が子連れの客でにぎわっていた。大人と子供、両方の世代が楽しめる夏休み映画としては理想的な作品だと思う。(LGBTQ表現があるので一部の国で公開が中止になったという報道があったが、個人的には気になるほどのものではないと感じた。)しかし、キャッキャ楽しいだけの映画では(少なくとも私にとって)ない。家庭もなし、仕事で何かをやり遂げた経験もない私にとって、こんなに身につまされる作品はない。
 バズは不時着した惑星から脱出するため、超光速の飛行実験を行う。しかし、実験は失敗。バズが地上に戻ると周りの様子がおかしい。「ウラシマ効果」によって先ほど飛び立ったばかりなのに、地上では4年の歳月が流れていた。
 それでもバズはあきらめず何度も実験を繰り返す。そのたびに地上では4年の歳月が過ぎ、バズの良き理解者であり同僚のアリーシャの状況も変わっていく。バズが失敗を重ねるたびに、アリーシャは昇進し、家族を作り、人生の終焉を迎える。バズは何も成し遂げられないままなのに。孫になつかれ幸せそうなアリーシャの最期のビデオメッセージを見るバズは、ひとりぼっちだ。子連れだらけの劇場で、たった一人で来た私(40歳)の心がキュッとなる。
 何度も実験に失敗し脱出の目途が立たないまま何十年も過ぎた時、乗組員たちはこの惑星に定住することを決める。この現実的な着地点にバズは反抗する。そして、周りの反対を押し切り再び実験に向かう。
 惑星脱出という大きな任務のため何度も実験を繰り返すバズを応援したいとも思う。しかし、何だかいい年して夢ばかり追っていて働こうとしないダメ人間にも見えてくる。


 その後、バズが地上に戻るとまた何年もの時が過ぎていた。そこで定住を決め、もはや「現地の人」となった人々とバズは出会う。ここで私は、強烈な違和感を覚えた。それは、スペーススーツのデザインの差である。バズのスーツはおなじみの白と緑のカラーを使い、曲面を多様し、胸には3色のボタンが付いている。未来的、ヒーロー的でありながら、おもちゃっぽさも感じる。一方、地上で何十年と過ごして来た、いわば地に足のついたキャラクターたちが着るスーツは、黄土色や深い緑色で、ゴツゴツとした質実剛健な印象を受ける。(ゲーム『ギアーズオブウォー』を連想させる。)明らかに既製品ではなくパッチワーク的なデザインからは、何年もそこで生きてきたことを連想させる。劇中に描かれてはいないが、現実と向き合い、サバイブしてきたのが伝わるのだ。
 それと比べるとバズのスーツはキレイなものである。垢がついていないと言うか、妙に子供っぽく感じる。未熟さや経験のなさが強調されて、生きてきた歴史が感じられない。並べて見せることで、現実に溶け込めないバズというキャラクターイメージを増幅させる。元の『トイ・ストーリー』でもバズは当初、自分がおもちゃだということを認めず、本物のスペースレンジャーだと思い込んでいた。子供が喜ぶとか、この色合いならおもちゃが売れるという以上の意味合いをスペーススーツのデザインに持たせていて感心する。 
 平日の朝、電車に乗るビジネススーツの大人たちの中に、キャップをかぶりスニーカーをはいている自分がいると、何だか恥ずかしいような申し訳ない気持ちになる。スーツ着て出かければいいのではと思うかもしれないが、それこそ惨めなものだ。いくら外見を良くしようと中身が伴わなければ劣等感は払拭できない。家族で観れば楽しいだけなのかもしれないが、ひとりぼっちの40代が観ると楽しいとツラいの両方の感情に襲われる。
 映画ラスト、バズは仲間を救うため、自分の夢を捨てる決断をする。その結果、バズは社会から受け入れられ、認められる。それは、最後にスペースレンジャーたちが着る、スーツのデザインを見れば分かる。



この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?