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(忍たま)土井先生ときり丸が住む町は?


鎌倉・室町時代の主要年表

忍たま乱太郎のしんべヱが大坂の堺に住んでいることから、忍術学園は近畿なのでしょう、が。
各先生や生徒が住む場所や出生地は謎です。伊賀・甲賀出身の先生はいます。

個人的に、土井先生ときり丸は普通の安全な町に住んでいると思っていましたが、作中で少し山に入ると結構山賊や野武士が出るので、そうでもない?
でも町に入れば庄左衛門の炭屋や伊助の染物屋がある。土井先生の町屋から少し行けば、髪結いのタカ丸の家もある。組紐屋の店もある。食事亭もたくさんあるし、多種多様である程度安全。

舞台となる時代は、何となく有名な応仁の乱の直前直後だと思っていましたが、忍たまでは既にある程度鉄砲が普及しているので1543年以降。
応仁の乱は1467年。73年以上経っている。
応仁の乱で50年以上過ぎても京都は荒れていたみたいですが、室町時代の時点で祇園祭は復活していた模様。
少なくとも、鉄砲伝来した頃には京都も落ちついてきたのかも?

火の笛(東山殿の時代)

今期大河ドラマの「どうする家康」で、織田信長が来てから京都は良くなったというセリフあり。風景描写も治安が良い印象でした。
漫画「信長協奏曲」も同じく。
ならば、京都在住が一番有力なのでしょうか…?
かといって、江戸の怪談本によると主君を裏切った三浦右衛門の遺体は打ち捨てられて、獣のままに任せていた描写もあるのでそうでもないのか。(江戸期の物語なので誇張された可能性あり)
京都かなあ。

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