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離婚はあきらめで選択ではなかったけど

最初の結婚相手は18歳で僕は30歳だった。母の再婚相手の潰れそうな小さな会社を引き継ぎ、生活に追われていた。3人の子どもをもうけたけど、妻のワンオペで僕は家庭よりも仕事でお金を稼ぐということに必死だった。

16年後妻から離婚を言い出された。他の世界も見たかったのだろう。離婚の選択をしたのは妻だ。僕は選択でなく諦めだった。高校生の長男だけ引きとったけどそれも隣りに住む母にまかせ、僕はまた仕事に埋没した。

あさましく生きてきた。

貧乏が身に沁みついてお金を得ることだけ。
2年間仕事をして、会社を大きくして再び結婚した。

再婚は僕の選択だけど再婚が目的ではなかった。今までと違う生き方をしたい。家庭を大切に、ということではない。自分を大切にだった。お金より自分。もうあさましく生きたくない。49歳になっていた僕は、これからの人生楽しみたいと思った。

再婚相手は17歳年下でスポーツクラブに通ったり、走ったりスキーをして
いたので僕も一緒にしてたらトライアスロンをするようになってしまった。
泳げないのに。

はじめて仕事以外が大切だと知った。

68歳のとき会社を同業他社に売り、会社代表から会長という肩書になった。はじめからそういう選択があったわけではない。何年もかけて人が欲しがる会社、売れる会社にした。

会社には長男がいたけど長男に譲るつもりはなかった。彼はそういう器ではないし、自分の息子がトップに立つと実質的に僕が引退したことにならない。会社からはきれいに手を引きたかった。

今もほぼ毎日出勤しているけど、気分が違う。イライラしないし社員を叱ることもない。気持ちが楽だ。会社は僕が生きている間ぐらいは利益を出し続けるだろう。そういうシステムを僕が作り上げたから。

不動産もいくつか持ち、いくつか手放しているけどその選択がはじめから
あったわけではない。

働いたことのない父親を持ち、中卒で魚屋さんに丁稚奉公をしていた僕の今があるのは選択をしたからではない。いくつかの道があったり、二者択一であったわけではない。それしかなかった。

逆らえない波と自ら選択して乗り切れた波。いくつもの波があった。逆らえない波はそのまま流されたけど、選択という行動の前に、まずこうしたい、こうでありたいと何年もかけて作り上げてきた。

再婚できるように。利益を生み出す会社、不動産に。お金のためでなく、自分のために。人生を楽しむために。

泳ぎは苦手だけど、沈むのは得意だ。
75歳の僕は選択をして沈んでも浮きあがることができる。


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