牙でなく盾でありたい
1945年8月14日午後10時30分頃から15日未明にかけて、秋田県の日本石油秋田製油所のある土崎地区に激しい空襲を受けました。死者は256名に及び、日本最後の空襲と呼ばれてます。
戦争、石油、家族、芸術と広く深く令和と昭和、大正をつなげる重厚な物語です。
なれのはて 加藤シゲアキ
系図を描かなければごちゃごちゃになっちゃうほど登場人物がいっぱいだけど、ひとりひとり、キャラというより熱があります。イサム・イノマタの猪股一族は、石油に関わる方々ということもあるけどこの一族の激情の熱が凄まじい。愛情も憎しみも、狂気も欲望も執着も憐憫も諦めもやさしさも悲しみも喜びもあらゆる感情が、どろどろした黒い石油になって襲いかかってくるようで苦しくなりました。
だけどその石油の原料からつくられたアクリル絵の具で描かれた絵は、美しく魅了されてしまう。石油は戦争を起こし人の命を奪いながらも美しく狂気を引き起こします。
気づき、という言葉をよく見かけます。
気づくこと、わかること、理解すること、学ぶこと。
それって言葉からすんなりと気づきを得ることができることももちろんあるけど、本当にわかるということは、熱いと、冷たいと、痛いと、体感することではないでしょうか。あるいは想像する。人の気持ち、痛みを想像する。
猪股一族の生き様を知ったから、
報道の先輩の小笠原の痛みを知ったから
誰かの死があったから。
人の気持ちを想像したから。
猪股一族の熱が、現代にもつながっているけどそれは黒い熱でなく最後にはあたたかい熱、光になっているところが希望になります。
強烈な痛みと熱を受け止めての気づきだからこそ先に進めると思います。
牙になるのは苦手。
盾になるのは痛い。痛いからこそ守れる。守りたい。
牙になった猪股家の人。
盾になった猪股家の人。
みんな熱でなれのはて。