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長編小説のすすめ アンと親鸞と竜馬

140字で、伝えることができて。わからないとググって。考える時間が短くなり、すぐに結果を求めたがるようになり想像力が育たなくなっているように感じてしまいます。

そうした今だからこそ、長編小説をゆっくり読む時間が大切になってくるのではないでしょうか。

わたしのおススメの長編小説をご紹介致します。

赤毛のアンシリーズ全10巻  L・M・モンゴメリ


(赤毛のアン・アンの青春・アンの愛情・アンの友達・アンの幸福・アンの夢の家・炉辺荘のアン・アンをめぐる人々・虹の谷のアン・アンの娘リラ)

100年以上読み継がれている不朽の名作シリーズで、それぞれ独立したお話しだけど全10巻、ひとりの女性が成長し、結婚して家族を形成していく過程の長編小説として楽しんで欲しい。

誰もが知っていて、読みやすいです。なにより、想像力が炸裂しています。

アンの魅力は想像力と、希望を持って生きる力と、人を包み込む愛情です。目に映るほんのささいなことでさえ、想像力で大きく味わい、楽しめるアンは、小径も、湖も輝きを増すことができます。

孤児であるアンはマリラとマシュウと血のつながりがありません。だからそ、出会った人々のつながりを大事にしていきます。気が合う人、苦手な人、意地悪な人にでも、ほほえみと愛があります。

アンのように相手の立場を想像して、相手の心に寄り添うことができれば思いが伝わるという希望をアンは、教えてくれました。リンド夫人、バーリー夫人、ハリソン氏、パイ家、ギルバートとも、はじめはわかりあえなかったですよね。苦手な人に近づかないのもひとつの方法だけど、アンは近づいていっちゃいます。

次に紹介する親鸞と、似ているような気がします。

親鸞  全3巻    吉川英治

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」というこの言葉が全編に流れてる親鸞の物語です。

義経が牛若といって鞍馬にあった頃、その復従弟である十八公麿まつまろ(親鸞)が生まれました。

「鎌倉殿の13人」で、後鳥羽上皇のお側に控える慈円は親鸞の師で、慈円の兄の月輪殿、九条兼実の娘の玉日姫に親鸞は恋をしてしまいます。

叡山の厳しい戒律の中では、恋はご法度、女犯の罪となるのです。宗門挙げての非難、迫害があり、念仏停止の官命で流罪になっても、与えられた場所で教えをやさしく説いていきます。

幼少の頃からつきまとっていた、かつての平家一門の大盗天城四郎も、親鸞のゆるぎない信念の前で、声をあげて泣き善人に転身してしまうのがドラマチックで笑えます。

仏教においての因果の法則にしたがえば、悪人とは「今、悪いことをしている人」でもあると同時に、結果から言えば、「今、悪い結果を受けて苦しんでいる人」といえます。

親鸞も苦しんだからこそ、強さがあるのだと思います。

親鸞の蒔いた種は、800年以上経っても人々の中に生きてます。

竜馬がゆく  全8巻  司馬遼太郎

何度読んでも、初恋の人に会ったみたいにドキドキします。ああ、やっぱり好き。竜馬はいい。おおらかで明るくって、元気になるし、笑える。わりとテキトーな感じが好き。彼の偉業よりも彼のキャラが好き。剣の強いのが好き。

「妙なおとこだ」「妙なお人でした」と竜馬のことを表現しています。髪はボサボサで、よれよれの袴で、汚い。つばはとばす、羽織のボンボンをしゃぶる、鼻くそをほじる、寝転がる、行儀が悪い。寝しょんべんをする。本人はお洒落のつもりで香水が好き。無愛想なのに愛嬌がある。こんな変な人にどうして惚れてしまうのかしら。

著者は、この人物を通して幕末の青春像をかいている。坂本龍馬をえらんだのは、日本史が所有している「青春」のなかで、世界のどの民族の前に出しても十分に共感をよぶに足る青春は、坂本龍馬のそれしかない、という気持ちでかいている。

竜馬がゆく 第8巻 あとがき

そう。私が好きなのは竜馬の青春です。まだ何者でもない、なにをしょうかと模索している現代にもいそうな明るい若者。

31歳で駆け抜けていった竜馬の死は未来につづき、司馬遼太郎の最後の数行のおかげで、悲しくありません。

仕事を成し遂げ、生き抜いたから。


アンと親鸞と竜馬。どこか共通点があるような気がします。アンのほほえみと愛は、親鸞の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」でもあって。アンと親鸞のゆるぎない信念と希望は、竜馬の明るさでもあると思います。

長編小説を読むと思考のサイクルが長時間継続し、想像力が育ち、他者を理解することに広がっていくと思います。

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