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カノジョを楽しませるのは、ミシュランではない、あなたの会話です 〜「世界1美味しい」なんていう戯言〜

SNS上でも日常生活でも、「食べ物を評価する」という現象が花盛りです。

「世界1美味しい」

「人生で1番美味しい」

「美味しいお店ベスト3」

「この店(食物)の点数は◯点」

などの言葉が飛び交っています。

その究極は、世界基準?のミシュランによる格付けなのでしょう。

ミシュランは、こう言ってます。

評価基準はどの国のガイドでも共通で、『素材の質』『料理技術の高さ』『味付けの完成度』『独創性』『常に安定した料理全体の一貫性』の5つ。

どうもこの風潮に、強い違和感を感じます。

食の安心・安全の評価とは違います。

食を点数化し評価することに、何の意味や価値があるのか。

「食べる」とは、命を頂くことです。

肉はもちろんのこと、植物にも命があります。

日本人は、食事の前に「いただきます」という。

食事になることで犠牲になった食材の命に対する感謝

引用

という解釈が、最もしっくりきます。

では、その犠牲になる食材の命を「評価する」という行為が、日本の風土に合っているのでしょうか。

値段が高い肉だから、評価が高い。

値段が安い野菜だから、評価が低い。

命に上下の関係は、本当にあるのでしょうか。

この命は大切だが、この命は無駄であるという考え方は、存在するのでしょうか。

評価というのは、他人が決めた基準に、自らの判断を合わせるということです。

他人が「美味い」と言えば、自らも「美味い」というのでしょう。

他人が「不味い」と言えば、食べないようにするということです。

ましてや、国により民族により、味覚は全く違います。

何万年かけて、出来上がったそれぞれの国の「食文化」は、簡単には変えることは出来ません。

私は、世界を24ヵ国、200回以上旅して来た結果として確信しています。

新興国などを旅をして「この国の食事は不味い」というのは、ただ単に傲慢で不遜な態度にすぎません。

「わたしは美味しいものを知っている」「わたしは金がある」「わたしの方が優れている」などの感情でしょうか。

その国に生きる人々は、その食事で命を繋ぎ、命を育てているのです。

ミシュランのように、フランス人に食文化を評価され納得しているのは、現代の日本人が「味音痴になった」「味覚障害になった」からでしょうか。

日本の食文化は、非常に優れています。

地域ごとの食材の種類、季節の旬(海の幸・山の幸)など、これ程「自然」に恵まれた国に、私は出会ったことはありません。

その偉大なる自然に育まれた「命」の評価をしてはいけない。

それは、神への冒涜のようにさえ感じます。

日本古来の豊かな食文化に基づく精神に立ち戻ることです。

もし、あなた自身が、他人に評価され格付けされたらどう感じるでしょうか。

あなたは、猛烈に反発し、「差別だ」「レイシストだ」と声高に反論することでしょう。

そのことは、動植物にも同様です。

自然界において、全て無駄な命は一つも存在しません。

共存共栄しているのです。

「命を考える」ことと、「他人に惑わされない」という日々送ることこそ、本当に豊かな人生だと思います。

食を意識しすぎて、食を評価する癖がつくと、「神経質」な人間になります。

常に、1番や2番や3番という格付けや、美味しい不味いという評価(点数化)を、自然にするようになります。

それよりも、「何を食べたか分からない」「全て同じように食べる」「感謝して食べる」ことが、毎日美味しく頂く秘訣です。

食には「鈍感」な方がいい。

「いただきます」という言葉を、全ての食事で感じるように、精神性を高めることです。

ミシュランでワインを飲みながら、悦に感じている人は、本当のグルメではありません。

日常の食事にこそ「食の喜び」を見いだせるのが、本当の食通です。

私自身、世界のミシュランレストランで、数えきれないくらい食事をして来ました。

しかし、ほとんど食事の内容を覚えていません。

それは、その場にいるカノジョに、集中しているからです。

食事や店の雰囲気だけでなく、自らの会話でその場を盛り上げたいからです。

現代における食の評価や分析というのは、味覚よりも脳で行う作業です。

元々、食を評価する習慣のない私は、当然、自らの脳を「喜んでもらえる会話」「楽しんでもらう会話」にフル活用します。

食を評価するというような、高尚な能力もありません。

私だけかと思っていたら、ある一流の外資系経営者が面白い話をしてくれました。

高級料理の接待で「この料理は不味い」「この料理は美味い」なんて分析するのは、2流3流の経営者だ。

「何を食べたか覚えていない」ほど相手に集中しなければ、商談は成功しないし、相手を不快にさせるだろうし、相手から学ぶことも出来ない、という理由です。

カノジョとの食事も経営者同士の接待でも、原理・原則は同じであるということです。

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