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書評「うつ病とサッカー 元ドイツ代表GKロベルト・エンケの隠された闘いの記録」

ずっと気になっていた本だった。でも、なかなか読む気になれなかった。

読むには体力が必要なことも分かっていたけど、それだけが理由ではない。書評を書くとしたら、個人的なことを書かなければならないと思っていたからだ。自分の経験を無視して、虫の良いことを言うことはできない。そう思っていた。

本書は、元ドイツ代表のサッカー選手ロベルト・エンケの人生を描いた作品だ。本書が他の自伝と異なるのが、ロベルト・エンケの人生が栄光ではなく、苦悩に彩られているからだ。

類まれな才能と心の病

ロベルト・エンケは、サッカー選手としての類まれな才能をもつ一方で、心の病との戦いを余儀なくされていた。ゴールキーパーというポジションは、ミスが許されないポジションだ。ミスをしないのが当たり前、ミスをしたら批判されるにもかかわらず、FWやMFに比べると評価は低い。2018年のロシア・ワールドカップで、川島永嗣に対して批判が集中していたのを思い出して欲しい。

ロベルト・エンケは類まれな才能だけでなく、ゴールキーパーというポジションに誇りを持ち、努力を続けていた。一方で、ミスが許されないポジションであるがゆえに、自らに完璧であることを課した結果、心が耐えきれなくなり、うつ病を発病してしまう。

ドイツに戻り、症状が改善しつつあり、ドイツ代表にも選ばれるようになり、長女を授かり、ようやく落ち着き始めた彼の人生が再び波乱に巻き込まれていく。長女は生まれつき心臓に疾患があり、病院との往復を余儀なくされる。夫婦の努力の甲斐もなく、長女は帰らぬ人となる。心に傷を負ったであろうロベルト・エンケは、試合中のミスが原因で、再びうつ病を発病してしまう。完璧であることを求めたロベルト・エンケは、うつ病である自分を認めたくなかったのか、最後は猛スピードで走る列車の中に飛び込んでしまう。

自分自身のことを少しだけ

読み終えて思い出したのは、自分自身がうつ病を発病したときのことだった。

僕は2015年と2017年の2回、うつ病という診断を受けている。2015年は次女の出産のために妻と長女が実家に帰っていたので、週末は妻の実家、平日は会社と家の往復という生活が続いたのだが、嫁の実家は自分の家ではないので、リラックスすることができなかった。

川崎フロンターレのレビューを書き始めて2年目で、楽しいだけじゃ続けられない時期に差し掛かっていた。書くには予想外に体力と気力が必要だった。その一方で、リアクションもあったけど想定以上とは言えず、続けていく動機を失いつつある時期だった。

仕事も上手くいかず、会社に行くのが辛い時期が続いたある日、家の床から起き上がれなくなってしまった。病院に行ったらうつ病と診断され、会社の仕事をセーブすることになった。

このことがきっかけで、未だに僕は妻の実家が苦手だ。家の中に入ると、どうしてもあの時の事を思い出して、緊張してしまう。妻の両親が事情を理解し、配慮してくれているのが、本当にありがたい。

2017年は仕事が原因だった。会社を含めた、周囲のサポートを得られず、孤立するような状況に陥り、ストレスを全て自分で引き受けてしまった。当時は引っ越したばかりで、新しい環境に慣れる必要があったのも、ストレスを増やしてしまった。

2回目だったので、早期の段階で気がつき、短時間で症状を回復させることができた。当時仕事をしていたエンジニアが「言いにくいことがあれば、連絡してほしい」とメッセンジャーで連絡してくれたのは、忘れられない。

2015年、2017年当時の経験から学んだのは、「完璧である必要はない」ということだった。この仕事を始めた頃の会社の上司が、常に完璧に状況を把握し、完璧なドキュメントを作ることを求めていたし、作らなければ、罵声を浴びせられ、書類を投げつけられることもあった。当時の経験から、「完璧でなければいけない」という想いを強く持って仕事をしていた。

ただ、2015年、2017年の経験から、「完璧である必要はない」と思うようになった。ジム通いを始め、ランニングをし、毎朝簡単な体操をし、サプリメントを飲み、体調に気を配るようになったけど、一番大きな変化は、全てを自分でやろうとしなくなったことだと思う。

仕事も人に任せるところは任せるようになった。そして、周りに同じような状況に陥っている人がいないか、気を配るようになった。仕事とは関係ない冗談を話したりして、何でも話しやすい環境を作れるように努力するようになった。気難しい表情をするのではなく、笑顔でいるように心がけた。

時間が経つにつれて症状は改善し、仕事は苦手な仕事から外れた結果、少しずつ自分の強みを活かせるようになった。人間関係も変わり、社外の人との交流が活発になり、仕事にもよい影響が出てきた。そして、会社にこれまで足りなかった、プロジェクトマネージャーやディレクターと呼ばれる担当者の心理的な負担を軽くする役割を担うことで、若手が力を発揮できるようになってきた。ただ、まだまだ完全ではないし、自分が取り組んでいることに対する会社の理解も不足している。改善できるところはたくさんある。

川崎フロンターレのレビューを有料にしたのは、うつ病のことと無関係ではない。有料にしたのは正解だったと思う。収入があることで責任も生まれたけど、対価が得られたし、読んでもいないのに批判されることが減り(最近また増えてきたけど)、心持ちはとても楽になった。有料にしたことで、他のレビュー書く人とも差別化できたのは、結果的に良かったと思う。謎なのは、サッカーの連載ではなく、バスケットボールの寄稿が増えたことだけど、僕が書いていることが、サッカーの媒体に求められていることとは異なるのかもしれない、ということが分かっただけでもよかった。

ただ、3回目を発病したら、レビューも、仕事も、スポーツに関することも、辞めなきゃいけないなぁと思っている。今のところは、ギリギリのところで踏みとどまっているけど、十分なサポートが得られているとはいえない状況は続いている。

狂気の世界と普通の世界

本書の話に戻ると、ロベルト・エンケは完璧であろうとするが故に、全てを背負ってしまった気がする。本書で驚いたのは、チームメイトとの関わりがほとんど出てこなかったことだ。ロベルト・エンケにとっては、チームメイトは戦う相手であれど、何かを分かち合う相手ではなかったのだ。その事実が、彼を追い込んだような気がする。

アスリートが戦う世界は、異常な世界だとつくづく思う。狂気の世界であるがゆえに、狂気の世界から無事に戻ってこれる人は少ない。アスリートとして受けた賞賛と失敗以上の刺激を、実際のビジネスで受ける機会は少ない。それ故に、狂気の世界と同等の刺激を求めて、人生を狂わす人も少なくない。狂気の世界に入らなければ、成功を収められないのかもしれないけど、狂気の世界に入るように仕向けたら、帰れるようにするのも、周りの人間の役割だと思うのだ。

本書が教えてくれるのは、アスリートも人間だということだ。悩み、傷を負いながら、一歩一歩前に進もうとする点では、僕と変わらない。感情がないロボットではないのだ。うつ病は頑強なアスリートとは無縁の病気と思われていたけれど、そうではないということを、ロベルト・エンケは教えてくれた。

大切なのは、彼と同じような人を増やさないために、何ができるのか。引き続き考えたい。


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