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「下には厳しく」「上には甘い」日本社会のルール

①身近にまではびこる”忖度”が社会のルールを形骸化させている

日本社会で絶えず起こっているのが、セクハラ・パワハラをはじめとする「○○ハラスメント」。当然人を貶めるような行為はあってはならないことだし、したことに対する加害者への相応の罰則は必要だと考える。

しかし、ハラスメントを行った加害者側に対する法的な罰則は十分に与えられていると皆さんは実感されるだろうか?むしろ「ハラスメントされた」被害者側に誹謗中傷などの抗議が集まってしまう世の中になってしまっているのではないかと感じる。

これが起こる理由としてまず「罰則の実行力がない」ことが挙げられる。厚生労働省が出している「モデル就業規則」にはセクハラ・パワハラなどの”行為の禁止”はもちろん、行ったことに対する”具体的な罰則”も示すべきという指針がされている。

【厚生労働省 モデル就業規則(一部抜粋)】
(職場のパワーハラスメントの禁止) 
第12条     職務上の地位や人間関係などの職場内の優越的な関係を背景とした、業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により、他の労働者の就業環境を害するようなことをしてはならない。 

(セクシュアルハラスメントの禁止) 
第13条  性的言動により、他の労働者に不利益や不快感を与えたり、就業環境を害するようなことをしてはならない。 

(懲戒の事由) 
第66条   労働者が次のいずれかに該当するときは、情状に応じ、けん責、減給又は出勤停止とする。
(中略)
 ⑤ 第11条、第12条、第13条、第14条、第15条に違反したとき。 

しかし肝心の罰則を決定する懲罰委員会などの機関の意思決定力が弱く、実行力が伴っていないのが現状だ。ましてや、上記のようなハラスメントを行ったことによる罰則の明記すらない会社もある。

その背景にあるのは、我々身近にまではびこっている”忖度感情”である。罰則を与える側にある「(加害者かつ権力者からの)報復人事が怖い」「自分の出世コースに影響するのではないか」という自己保身により、相当の罰則を与えることに憚ってしまう可能性がある。こうして加害者側への罰則は軽んじられ(上には甘い)、被害者だけが最終的に多大な損失を被ってしまっている(下には厳しい)状況となっている。

これが海外となると、いくら加害者が会社のトップであれ、告発などがあれば最悪解任まであり得る。それもハラスメント以前の段階でもである(下記記事)。

こうした「下には厳しく」「上には甘い」日本社会のルールはなぜここまで形成されることになったのだろうか?


②「平等」を訴える割には「公平」ではない日本社会

ルールに違反した加害者に対しての罰則は、日本国憲法第14条の法の下の平等の下、公平に与えられるべきである。にもかかわらず、なぜ「下には厳しく」「上には甘い」状態となってしまったのだろうか?

ここで先ほど『法の下の平等の下、公平に与えられるべき』と記述した。”平等”と”公平”は一見同義のように思われる方もいるかもしれないが、辞書を引くと実は異なる意味を持つ。

【平等】⇒かたよりや差別がなく、みな等しいこと。
【公平】⇒すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。
(いずれも「デジタル大辞泉」より)

人種・性別などの区別に差別を持たず等しく接することを”平等”というのに対して、すべての事象に対して偏りのない判断を行うことを”公平”とするのだ。

この違いに日本社会のルール形成の現状が見えるのではないかと考える。

日本社会は平等に対してかなり神経をとがらせている。昨年の政府からの一律10万円給付に対しても低所得者層だけでなく、国民に全員に給付すべきだという世論形成はまさにそれを物語っていた。
その一方、公平に対してはあまり重要視していないように感じる。世界的に見ても日本人は”冷たい”国としてデータにも表れているほか(下記記事)、何かあるたびに自己責任論があちこちで展開されており、社会を公平にしていこうという機運は全くといって見られない。

こうした日本社会の土壌の下で、法の下の平等の下、ルール違反した加害者に対して公平に罰則を与えることは到底不可能である。上記で述べた被害者側が責められるといった動きも、公平にしようとしない日本社会を体現している。

ではなぜ日本社会は“公平”にはならないのだろうか。それは上記で述べた忖度感情の形成にも影響しているが、日本人特有の「肩書を重んじる」文化にあるのではないかと考える。いくらスキルがあって仕事ができても、その人に課長などの肩書が無ければ日本社会では優遇されない。人間の個性やスキルよりも肩書を重視しているようでは多様性が生まれないどころか、多様性が生まれるための社会の”公平さ”もいつまで経っても形成されない。現在盛んに言われている多様性だが、根幹には社会の公平さがあるということを私たちは肝に銘じなければならない。


③ルールを作るだけでなく常に更新していく社会にすべき

また、公平ではないルールが形成されているもう1つの理由として「ルール形成に満足してしまう」ことが考えられる。国際社会の中で言われるようになったハラスメントやコンプライアンスなどの強化を受けて、各企業はそれに対するルールを策定するものの、そのルールを厳格に運用する機運は中々高まらない。ハラスメント問題を例にとると、昨年6月から「パワハラ防止法」が大企業に施行され、各企業においてハラスメント防止の対応措置を義務付けることになりました。来年4月からは中小企業にも適用されるようになり、ほとんどの企業でハラスメント防止措置が義務化される。

しかし、すでに実施している大企業からこの措置を行ったことによる効果があったのかについての報道などは音沙汰ない。施行後もパワハラを中心とした事例が報道されていることを踏まえると、あまり効果はないのではないかと推察される。考えられるのは①でも述べた”忖度感情による防止措置の骨抜き化”だ。本来ハラスメント対応には第三者委員会などの設置が適切ですが、この法律ではあくまでも社内における・・・・・・ハラスメント防止措置の義務化なので、骨抜きにされるという抜け穴は容易だと思われる。

日本人は何かとルールを作りたがる一方、その後は何も気にかけないという気質がある。ルールがあればそれに関連する問題は少なくとも改善に向かうはずだがその気配はない。ところが、明文化されていないor曖昧なルールなぜか厳格に運用する気質もある。同調圧力を利用した”○○警察”がそれに当てはまる。

日本人は一体何を基準に行動しているのだろうか・・・?

一度作ったルールも時代に合わせて変更を加えていき、しっかりとした実行力を以て運用してもらいたい。

まとめ

経済格差だけではなく、待遇格差も広がっていく日本社会。「上にも下にも平等かつ公平」なルール作成・運用を行ってほしい!
いつまでも日本社会独自のものを求めるのではなく、国際社会の観点から改訂が必要なものは容赦なくアップデートを行い、世界から後れを取らない社会形成が必要である!

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