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自己分析と生きやすさ

うつ病になって良かったなんて0.1秒たりとも思ったことはない。「なって良かった」と語る人を見るといまだに不信感を抱くし、周りが右と言っているのを見て左だと言い異端を気取るタイプを見ているような目で見てしまう。

けど、なって良かったこと、なったからこそ得られたことはある。

うつ病になる前はイヤなこともムリなことも我慢して何とかこなせていたし、自分では平気なつもりだったがだんだんイヤになり「あ、これ苦手なんだわ」と気づくのにそれなりの時間がかかるなんてこともあった。でもうつ病になってからはイヤなことやムリなことを我慢できなくなったし、苦手なことは長期間続けるまでもなくすぐに「あ、これムリ」と自覚できるようになった。体調にダイレクトに出るからだ。

『うつ病になって出来ないことが増えた』ということだが、これは必ずしも悪いことだとは思わない。その『出来ないこと』は多分生まれ持った性質的にムリなんだから、単純に『適性がないこと』なんだと思う。うつ病でアレルギー反応的に体調に出るのなら、ハナからそれをやることを選択肢から外せる。もしどうしても外せないときが来たなら、少なくとも前よりはしっかり対策を練ることができる。

こんな風に、自分を知ることは生きやすさに繋がる。

自分を知るだけで生きづらさが0になるわけでない。ただ知らないよりは知っているほうが0に近くなるのは確かだろう。なら大切なのは自分を知ること、つまり自己分析なのではないだろうか?

自己分析と聞くと堅苦しく聞こえるかもしれないが、要は自分が何が好きで何がキライで何が必須で何がどうでもいいかと、自分が何を必要としているのかを自覚するということだ。

うつ病になってからダイレクトに体調に出るようになったものは?引っ越す前は譲れないと思っていたけどいざ引っ越して暮らしてみたらどうでも良くなった条件は?食事で優先するものは味?量?栄養価?そんなにパケット代必要?そんなにネット使う?月会費を払ってでも観たいの?月会費が勿体ないから観たいの?それホントに値段差ほどの価値を感じてる?今さら辞めづらいのではなく?etc…

こうして自分を改めて分析してみると、意外と分かってなかった自分が見えてくる。そして何に余計な出費や時間や労力をかけていたのかが分かる。

もし食事に味や豊富なメニューなんて求めていない人は味付けもメニューも同じにしてしまえばいい。調味料や食材や調理グッズにかかる費用もメニューに悩む時間も調理時間もそれに伴うストレスも全部カットできる。もし流石にずっと同じだと飽きるなら、飽きたときだけ同等の値段で別のものを食べればいい。もしくは月1の贅沢デーを作ってもいい。

もし習い事自体は好きだけど習い事の後の飲み会がイヤだったのなら、飲み会だけ毎回断れば飲み会にかかる費用も時間もストレスも全部カットできる。もし毎回断ると人間関係に支障が出そうで心配なら月末のだけは出るなどして、自分なが大切にしたいことのバランスを取ってカットすればいい。

月収を10000円増やすために仕事を増やせば時間も無くなりストレスも増える。けど余計な出費を10000円減らせば仕事を増やしていないのに月収が実質10000円増えたことになる。仕事を増やして10000円増やしたときのように時間やストレスは増えていないし、何なら余計なことに使ってた時間やストレスが減ったぶん幸福度はフツーに月収を増やしたときより上かもしれない。月収の数字そのものは変わっていないのに。

適性がないと自覚していなかった自分と、適性を自覚した自分。余計なことにお金も時間も労力もかかっていた自分と、それらをカットした自分。どちらが生きやすいか、どちらが1ヶ月2ヶ月と経つにつれ生きやすくなっていくかは明らかだろう。

自己分析は生きやすさに繋がる。

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