にとこ
私はアホだ。昔から注意力散漫なところがある。大事なものを忘れ、肝心なことを間違える。たとえば財布を家に忘れて、電車を乗り過ごし、鍵を失くす。昔勤めていた会社で、…
Kとは小学校に入学してすぐ友人となり、お互いの家を行き来するような仲になった。幼くして母親を病気で亡くし、父親が仕事で留守にしているKの戸建ての家は、秘密基地のよ…
何かがぽきん、と折れる音が、たしかに聞こえるときがある。たとえば、私にはどうしようもない関係の相手に、私にはどうしようもない要求を、強めの語調でぶつけられた時と…
おでんの汁が芯まで染み込んで、つやつやと光った大根が、箸で割り裂かれていく。断面からホクホクと湯気が上がるのを見て、生まれたてのような大根、と思った。 同じ…
実家に帰るときは、できるだけ知り合いに会うことがないように、乗車人数の少ない車両を選ぶのが常だった。 知人と偶然に会って、嬉しいと思うことはまずない。誰と会うに…
部屋の前にカブトムシが落ちていた。 アパートの2階には5部屋ぶんの扉があるのだが、このうち4部屋の前に1匹ずつ。すべて雌のカブトムシだった。 虫が嫌いな私は、帰宅し…
細くて長い雨が降っていた。 私は雨に降られることを承知で傘を持参しなかった。 濡れた傘を持って電車に乗るのが苦手だからだ。他人に触れないように気をつけたり、自分…
何もしたくないなぁとボンヤリしているところに老人ホームからの電話。「写真がご用意できました」。16時を過ぎて初めて化粧をして、家を出る。 スマートフォンを頼りに老…
「起きた?あのさ、ばあちゃん死んじゃった。だから、今日は会えませーん!ごめん!」 布団の中で電話をとった私は驚きもせず、寝ぼけた声のまま「気をつけてね、ありがと…
2022年4月17日 22:14
私はアホだ。昔から注意力散漫なところがある。大事なものを忘れ、肝心なことを間違える。たとえば財布を家に忘れて、電車を乗り過ごし、鍵を失くす。昔勤めていた会社で、メールのCCだけ完璧にしてTOの部分を入力し忘れたことがあった。怒られるというより呆れられた。真面目な顔をして、適当なところでウンウンと相槌を打つから、よく話を聞いていると周りから思われてしまう。子どもの時分はそれだけで教師から褒められ
2022年4月16日 19:27
Kとは小学校に入学してすぐ友人となり、お互いの家を行き来するような仲になった。幼くして母親を病気で亡くし、父親が仕事で留守にしているKの戸建ての家は、秘密基地のような場所だった。中学に上がる前、父親の再婚を機に、Kは生まれ育った街を離れた。今朝、私はKの家で洗濯機を回していた。私がぜひ欲しいと思っていた最新型のドラム式洗濯機だった。この洗濯機を運転させたら、どのような回転をするのか知りたかっ
2022年4月10日 18:57
何かがぽきん、と折れる音が、たしかに聞こえるときがある。たとえば、私にはどうしようもない関係の相手に、私にはどうしようもない要求を、強めの語調でぶつけられた時とか。金曜の午後のたった4時間くらい、私がいないことで何も変わりはしないと思って、たっぷり残っている有休を消化することにした。白髪が目立ってきたのが、気になって仕方なかった。年齢のせいもあるが、職場でストレスを感じると増えるものだと気づ
2020年11月23日 18:55
おでんの汁が芯まで染み込んで、つやつやと光った大根が、箸で割り裂かれていく。断面からホクホクと湯気が上がるのを見て、生まれたてのような大根、と思った。 同じように、たまごとはんぺん。昆布は上手に割れないから、全部そのままあげるよと、片割れの詰め合わせとなった小鉢を手渡された。 甲斐甲斐しいNの仕草に、母親のようなぬくもりを感じて、「優しい」と言ったら、「俺は優しくないよ」と言ってビールを
2020年10月4日 03:21
実家に帰るときは、できるだけ知り合いに会うことがないように、乗車人数の少ない車両を選ぶのが常だった。知人と偶然に会って、嬉しいと思うことはまずない。誰と会うにも気疲れをしやすい性質のためだ。他人が嫌いというわけではない。人と会うには、できるだけ予定に組み込んでおいて、心の準備をしなければならない。その日もまた、いつも決めている通り、ホームの真ん中あたりで電車を待っていた。平日の午後。お年寄
2020年9月28日 19:03
部屋の前にカブトムシが落ちていた。アパートの2階には5部屋ぶんの扉があるのだが、このうち4部屋の前に1匹ずつ。すべて雌のカブトムシだった。虫が嫌いな私は、帰宅してすぐ、いやだったよお、という気持ちを込めてソファに横たわった恋人に報告した。彼は私の「いや」の気持ちなど知らんぷりで、次の瞬間には飛び起きて、玄関に向かっていた。「おお、本当だ」ドアを開けてすぐ、明かりの下でぽつんと居座って
2020年9月27日 16:38
細くて長い雨が降っていた。私は雨に降られることを承知で傘を持参しなかった。濡れた傘を持って電車に乗るのが苦手だからだ。他人に触れないように気をつけたり、自分の体に寄せて持って、自分の服が濡れたときの不快感といったらない。しかし、生来の優柔不断のおかげで、傘を持たない私は結局雨に侵食されていた。昼食のための店が決まらない。新宿三丁目の周辺を、ぐるぐると繰り返し歩きまわりながら、カレーでも
2020年9月27日 01:22
何もしたくないなぁとボンヤリしているところに老人ホームからの電話。「写真がご用意できました」。16時を過ぎて初めて化粧をして、家を出る。スマートフォンを頼りに老人ホームまでの道のりを自転車でフラフラ。バス通りはソメイヨシノが立ち並んでいて、散歩する人たちが足を止めてはその花を見上げている。風は少し冷たい。1週間前にも同じ道を走った。その時は病院に向かっていたのだけど、浮かれるほどあたたかな
2020年9月27日 00:49
「起きた?あのさ、ばあちゃん死んじゃった。だから、今日は会えませーん!ごめん!」布団の中で電話をとった私は驚きもせず、寝ぼけた声のまま「気をつけてね、ありがとう」と言った。電話を切ってから、何に対してありがとう、なのか、ちゃんと言いそこねたなあ、と思った。連絡をくれたこと、ありがとう。年末、彼のお祖母さんが肺炎で入院した、と聞いたとき、心の中で私は「もうそろそろだろうな」と思った。痴呆の進