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共感はされたいけど、共感が溢れた世界は嫌だな・・・

こうやって書くと矛盾、天の邪鬼のような感じがするけど(笑)共感して頂けると嬉しい。称賛・承認を得られるのって大事。モチベーションやエネルギー源になったりしますよね。

だけどそれと同時に、共感ばかりが溢れ、世界を覆い尽くすと多様なものは存在しないのではないか?とも思うわけで。

共感できないけど、理解は出来る。悪口ではないけど、建設的なもの、適切な批判として次に繋がる、糧になるものも必要で。そういったものが排除され、異論は起きず、全てが同意と共感に塗りつぶされたらイヤだな、とも思うわけで。


noteって優しい世界のよう。割と共感が溢れているようにも見える。だけど、それは適切な距離感と共感より理解、共生・棲み分けがバランスよく働いているのが要因な気もするんですよね。

共感だけで成立している訳ではない。あまりに密集し、隙間が減ると摩擦が生じないとも限らない。創作する場としての面も強いことから、他者への介入より、自分との対話、内側との問いに向かっている人も多いから、他者との適切な距離感が保たれているような気がする。

キーワードは「創造」で。何かを生み出すことが目的になっているnoteだからこそ実現できている世界観なのかなと考えています。


目的が創造だからこそ、「つながる」も過度に、目的化しないのではないでしょうか?最初から「つながる」を目的としたSNSと比べ、あくまで作品がその中心にあって。だからつながる手法はあまり歓迎されず、膨張しない。

そういった「創作物」や作品が共感だけを目的にすると、同調的な流れができ、似通ったものが溢れ、急激にその世界から彩りが単調に、薄れてゆく。

そうなって欲しくない。

やっぱり肉まんうまいが成立するnoteで良いと思うんですよね。肉まんよりあんまん!でも良い(笑)その「創造」「創作」は誰かのなんでもない日記でも良い。悪口や誹謗中傷の類でさえなければ、ルールやモラル違反でなければ良い。

共感ばかりでなく、そこに存在すること自体が大事な作品たちが多くあって良いし、凄く大切なことだと思います。

スキがつかずとも、ビューが少なくても。そこに存在すること自体が大事で、誰かに役立っていることもきっと沢山あるだろうから。

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