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自分ペディア

改めて言うことではないけれど12月から下降を続けるわしのメンタル。
やはり寛解を維持するのは限界なのかもしれない…という影がちらりほらりと姿を見せている。
もともと長く冬季うつに悩まされていたし世情が世情なので踏ん張ってる方が危うい気がしている。

とはいえ。
「じゃあさーせん!ウツなので奈落に行きます!」と開き直るわけにもいかないので新年早々にあれやこれやと考えながら頭を整理して自分カウンセリングをする。

まず前提として誰もが滅入るような状況だよね。
だから何でもかんでも双極症と結びつける必要はないし落ち込むのとウツは似て非なるものだと思っているから見極めは大事だよね。

次に被災地は被災地。自分は自分。
ドライなようだけどきちんと境界線を引いて自分のいる環境と状況で自分のことを見る。
わしは誰かと何かを比較して得られるものはほとんどないと思っている。
だから「しんどい」と感じている自分のしんどさを肯定しちゃう。

以上が自分カウンセリングの結果です。
これを踏まえて今の自分をどう維持するかを考えた結果、原点回帰じゃないけど自分が最初に始めたストレングスワークというかリカバリーワークをまた始めた。
朝、起きたら起きられたことを褒める。
顔を洗って髭の手入れをして髪をセットしたら
「キマってるねぇさすがだねぇ」と褒める。
いつも通りの電車に乗り込んだらいつも通りができていることを褒める…とひたすら自分を褒める。
どんなに些細なことでも「できたことを褒める」
そして自分にご褒美を渡す。
大袈裟とかそんな価値観はいらないのでどんなに些細でも褒める。
これはピアスタッフになったばかりのときにふと思いついて始めたことだった。
(当時のご褒美は生クリームキャラメルorスターウォーズとコラボしたビックリマンorキョロちゃんのチョコボール)
できなかったことには目を向けずとにかくできたことはひとつひとつ褒める。
「いちいちうるせぇ〜!」と自分で思うくらい褒めまくって自己肯定をしまくる。
続けていくと「褒めポイントのハードル」が自然と上がっていく。
例えば職場に到着してようやく褒めるくらいになる。
わしはこれを「当たり前を取り戻した」と表現していて少しリカバリーが進んだ証なのできちんと褒める。
なんだかちびっこ扱いしてるように思われるかもしれないけれど心が落ちていく時にやるとけっこう効いてくる。
世の中ってなかなか褒めてもらえないからね。

もう一つは写真を撮ること。
デジタル一眼に憧れながらデフォルト寸前の緊縮財政が続いているわしにとって(とほほだな…)スマホは素敵なカメラでもある。
というよりカメラのためにXperiaにしてるくらいなので気の向くままにシャッターを切ったりISOやシャッタースピードをいじって撮ったりする楽しさは自分の視野を広げてくれる。
フィルムカメラは自分に送る手紙のようだったけどスマホはその場で伝えてくれる。
たまたま見上げた空の色、路傍の花、変な看板など街には色んなものがあふれている。
ところがウツが始まると写真が激減する。
実際Googleフォトを見てみると正月を過ぎた辺りから桜の頃まで一気に減っているからウツが出て引きこもっていたことがよく分かるし、
たまに撮ってる写真も若干ピントがずれていたり何を撮っているのか分からなかったりする。
何よりも写真そのものが暗いし、
そのことに気づいてない。
それくらい感覚がぼやけてしまっている。
ということに気づいてからは(ややこしいな)写真を撮ることでメンタルの調子が何となく分かるようになってきた。
ちなみにこれを書いた日は桜の蕾を撮っているのでたまには載せておこうかな。

蕾に希望を感じた

他にも聴いている音楽がスラッシュメタルとか全体的に暗かったりうるさかったりすると無理やり奮い立たせようとしてる兆しで(ロブ・ゾンビとかスレイヤーとか)
この辺はSpotifyのトップページがウソをつかないのでとても役に立つ。
ゲームにしてもストーリーに救われたものを思い出して遊ぶことで気持ちの立て直しに繋がったりするからライブラリーを覗いてみたりする。

こんな感じで積み重ねてきたものがわしにはたくさんある。
100%自分だけのリカバリーツール、ワークがたくさん蓄積されていることに気付くと
「あ、なんか大丈夫かも」と思えてくる。
わし以外にはまったく役に立たないであろう分厚いリカバリー辞典がきちんと収められている。
これから先もページは増えていく自分だけの特製辞典。わしペディアだ。
最終的に自分自身を救うのは過去の自分というのは
さながらデウス・エクス・マキナっぽいじゃん。
ちょっとカッチョいい(物は言い様)

パトリシア・ディーガンさんが挙げたリカバリーの定義として「過程であり、生き方であり、構えであり、日々の挑戦の仕方」や「心の傷から癒えることではなく、心の傷を通して成長すること」というのがある。
まさにこれだなぁと最近、改めて思う。

昔のわしはウツが出始めると気持ちの問題だからと無理やり奮い立たせようとしたりして受け入れようとしなかった。
自分が自分を受け入れなかったら誰も受け入れてくれないのにね。
「しゃあねぇよ、お前さん寛解してるけどそれが双極症ってもんよ」と受け入れるだけでだいぶ楽になる。
そもそもウツになることは悪いことではないんだから悪あがきする必要もない。
もしかしたら双極症の寛解というのは自分で見つけて自分で維持するしか無いのかもしれない。
それを補助してくれるのが薬だったりピアサポートだったりするんだろうな。

こうやって綴っているだけでも気持ちが軽くなっているから心ってのは不思議です。
何なら自分を騙すのもアリかもしれない。
結果的に自分が元気になっていたらそれでいいんだもんね。
わしが元気ならカミさんも笑顔になる。
いやはや八方丸く収まりますな。ほっほっほ。

よーし!
大丈夫だ。
わしは大丈夫。
「おめぇ強ぇなぁ!」と野沢雅子さんの声で聞こえてきた。
「まだだ、まだ終わらんよ!」と池田秀一さんの声が聞こえる。
とはいえ油断大敵だし一気に上がるものではないからのんびりやっていこう。
つーことで…
アディオース!

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