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一流パティシエの思考



高校を卒業した後、縁あってパティシエの職に就いた。
ポジションはパティシエの補助的な役割で引き出物の包装をしたりスイーツの飾りつけ、ウェディングケーキの飾り、婚礼やお葬式に出るデザートの準備、etc...

私の働いていた所は大手の冠婚葬祭企業だった為、本当に朝から晩までとても忙しかった。
多い人で月に残業は200時間にも及び、朝は早く帰りも遅く働いてる人たちの中に鬱病を患っている人や精神的な病気を抱えている人が何人かいた。

それでも全員辞めずに続けたのは当時のシェフの考えやこの仕事に対する向き合い方に惚れていたからだと思う。

のちにシェフは独立してお店を出すことになり辞めることが決まるのですが私はこのシェフが辞める一か月前まで本当に大嫌いだった。


私が入社した頃、シェフは半年間の休職期間に入っていたらしく顔を合わせることがないまま時が過ぎていた。
聞くとこのシェフは働くだけ働いて肉体も精神も限界を迎えると長期の休職期間を設けるような人だそうで、とにかく技術やデザイン性の高いものを作るのに優れていて周りから慕われていた。

半年後、初めて挨拶をした時そのシェフは私の顔も見ず悪態をつくような態度で軽く礼をしたのを今も忘れない。
この時点でこの人とは合わないな、と一瞬で自分との間に線を引いてしまったのを覚えている。

その人の表情からはいつも疲れが出ていたしコック服のポケットに手を突っ込んで指示を出したり、たまに突然キレたり、かと思えばフラッといなくなる。
ますます嫌な印象しかなくて何よりシェフの気分によって私は何度も朝の挨拶を無視される事もあり怖い、近寄りたくないと思うようになった。

シェフと二人で仕事をするのが息苦しくてペアを組むのが怖くて何でみんなこんな人の事好きなんだろうとずっと考えていた。

いつからかシェフは次第に職場に顔を出さなくなっていき、私はまた休職期間に入ったのだろうと思っていたけど今思えばその頃から自分で独立してお店を出す為に忙しく動き回っていたのだと思う。


そんなシェフと働くようになって二年目の冬、クリスマスケーキの季節がやってきた。


私の働く職場では結婚式場だけではなく挙式後の披露宴で使用されるレストランにも数店舗スイーツを出していたので当たり前だがクリスマスにも限定ケーキをそのレストランごとにトータル何千台と作らなくてはならない。

シェフは色んなレストランと親交が深かった事や技術も高く味も確かだったので発注台数も多く9月あたりからは鬼のような忙しい日々を過ごしていた。


知らない人も多いので補足として説明しますがクリスマスシーズンになるとクリスマスケーキしか作らないというお店は一部だけ
私のいた職場のような冠婚葬祭を主にしているパティシエたちの業務は以下のようになっている。

平日はウェディングフェアでスイーツを卸す
毎週土日に平均4~6件分の結婚式が入っていた為その準備を平日に終わらせるような仕組み

来場された人数分の引き出物のお菓子作りに関しては箱折りや詰める作業も包装も全て手作業
来場された人数分の婚礼スイーツ作りは勿論、ウェディングケーキと入刀専用のケーキを作り会場まで運び当日は結婚式場まで行きセッティングから挙式後の引き取りまでが流れ

一家の結婚式でおよそ200~500人規模の披露宴が行われる為6人体制が基本だが土日は人も少なくそれだけの準備を当時は4人体制で行っていた。

冠婚葬祭なので当たり前だがお葬式も並行して行われる。
毎日予測不能な人数の葬式に合わせ盛り菓子を作り通夜専用のスイーツ、引き物専用の焼き菓子も同じく手作業で作りそこにクリスマスケーキが追加されるという激務だ。

個人店へも納品や取引をしていた為、本当に毎日忙しくクリスマスシーズンは地獄では済まされないほど職場の雰囲気も殺気立っていた。

この時期、人数が足りないこともあり将来パティシエを目指している専門学生の就職や企業見学も兼ねてアルバイトという形で雇うのが毎年恒例になっている。

その日、私はたまたま専門学生とペアを組んで仕事をすることになり色々と教えているとそこにシェフがやってきた。

私はいつものように喉がつっかえるような感覚が襲ってきて身体が強ばり急に話せなくなってしまい静かに作業を続けているとシェフは隣にいた専門学生と私に突然こんなことを言った。


「このケーキはさ、ただのクリスマスケーキじゃないんだ。今年初めてクリスマスパーティーをする人のケーキもしれない。今年最後のクリスマスになる人のケーキかもしれない。もしかすると初めてクリスマスケーキを食べる人の元へ行くかもしれない。俺達はそんな風にその人達の手に渡った後の幸せも考えて責任もってこの仕事をしなきゃいけないんだ。特別な日の為に買ったケーキがさ、少しでも崩れていたらショックだろ?そしたら嫌な思い出としてずっと残るんだ」


この時、既にシェフは辞める事が決まっていてきっと私と専門学生にこの先、この仕事をするのであればただ作るのではなくその一つ一つに想いを込め一つ一つの作業に対して責任を持つこと、そのような志を持つ事が大切だよ、と辞める前に伝えたかったのかもしれない。

この言葉を聞いた瞬間、急にいなくなることがとても寂しく感じて
なぜ他のスタッフがこんなにもシェフを慕っているのかちょっとだけ分かった気がした。

それ以降、少しずつだけどシェフと話すようになった。
独立してお店を出すにあたりパッケージのデザインについて相談してくれたりシェフとしての重荷や責任から解放されることが決まったからなのか顔色もよく笑顔でいる時間が多くなり雰囲気も凄く柔らかくなった。


新しいシェフが来てから知ったけどスタッフの残業の多さや、日々の忙しさ、売り上げと材料の仕入れやフルーツ農家とのやり取り、ウェディングケーキのデザイン打ち合わせ等、それらを全てシェフは一人で任され責任を背負ってやりくりしなければいけなかったらしい。

シェフは一人で全てを背負いながら現場に立って一人一人に支持を仰ぎ、あのクリスマスケーキの時のような志を常に持って仕事に取り組んでいた人だった。

たまにフラっといなくなると書いたがそれも怒りが爆発しそうになった時、自分でもコントロール出来そうにないと感じた時に一人になって冷静さを取り戻す為の手段だったと聞いた。

尊敬され、慕われ、確実な成果を出し続けても数々のプレッシャーや責任に押し潰されそうになり精神的な病気を抱えながらも現場に立ち続けたシェフ。

シェフが辞める日に一人一人挨拶をしたが誰も泣いていない中、私は大粒の涙をポロポロとこぼしながら深く頭を下げて挨拶をした。

この中で誰よりも距離を縮める事が出来なかったこと
ずっと怖くて心を開けずろくに話せなかったけどとても尊敬していたこと

なぜ泣いたのか分からないけど自然と涙が出た
周りも驚いていたけど一番驚いたのは私だ

きっといなくなることが不安だったんだと思う
この劣悪な環境でスタッフをまとめあげ
どれだけ忙しくて辛くても
誰一人、欠けることなく
シェフが辞めるその日まで慕い続けた
私はどうしても嫌いで仕方なかったけど
あの日、シェフの志に触れた日から
凄い人だったのに気付けなかった自分を恥じた。
本当に凄い人だった

誰もがこのシェフがこの場に必要だと思っていたけど誰も口に出さず我慢していたのは新しい門出を笑顔で送り出したかったから
もうこの環境や責任から荷をおろしてほしかったんだと思う。


残念な事に新しいシェフに変わってからは案の定、仕事環境も人間関係も更に劣悪になり新しいシェフのパワハラも酷く私を含め立て続けに6人が辞めた。
新しいシェフはその責任やプレッシャーを一人では背負いきれず周りに当たり散らし怒鳴るような人だった。


シェフが独立して出したパティスリーはテレビでも何度も取り上げられ雑誌にも沢山載った。美容室でカフェの雑誌を読んでいたら目にすることもあった。
その度に私はここのシェフは凄い人なんだよ、と周りに伝えるようにしている。

オープンしてから三回ほど行ったけど奇跡的に三回ともシェフに会えた
あの時は色々お世話になりましたと今でも言ってしまうし感謝の気持ちを込めてケーキを沢山買ってしまう。

コロナ禍でめっきり行けなくなってしまったのは残念だけどこの事を記事にしたいと思ったのはやっぱり心から感謝しているから、

私は19〜21歳までパティシエをやった。
そこで学んだのはお菓子を作る事だけではない。

作業の効率化もそうだけど
関わった仕事全てに責任を持つこと
作業一つ一つに想いを込めること

結婚式という新たな門出に関わり御葬式という人生の最後にも関わる仕事

特別な日でも特別ではない日でもその一つのケーキが思い出になるかもしれない

お客様の口に入りご馳走様という言葉が出るまでが私たちの仕事である

という事をその三年間で学んだ。

パティシエの離職率は高く特に女性は結婚や出産を機に辞めてしまう方も多く復職したとしても現役のように現場に立ち続けるのは厳しい。

朝は早く夜も遅くイベントシーズンは殆ど休みは取れないし正直とても激務だと思う。パワハラや精神的なものを抱えるような心理状態になる人も少なくはない。

結局、メニエール病になり難聴を併発してパティシエを続けるが困難になり辞めたけど働いた三年間は後から働く会社においての心構えや社会人としてどの業務においても責任を持つ事の意味や意識がとても身に付いた。



この先においてもあんなにぶっきらぼうで怖くて、でも情熱をもってお客様とスイーツを愛してる人を私は知らない



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