楽しく愉快で優しく穏やかなお葬式

人間はロボットじゃなくて生き物。
生き物はいつか必ず死ぬわけで。
 
俺だっていつ死ぬかわからない。
 
もしかしたら明日死ぬかも知れないし、
3日後かも知れないし30日後かも知れないし、
30年後かも知れないし300年後かも知れない。
 
個人的にはそんなに生きるこだわりがなくとも
家族がいるからこだわりがないわけじゃないし、
パートナーや子供ができたらそのこだわりも大きくなるだろう。
 
そんな言い訳は置いておいても。
いつか必ず死ぬわけで。ちーんって。死ぬわけで。
死んだらどこに行くんだろ。わかんないけど死ぬわけで。
 
 
死んだら家族がいる限りはお葬式がある。
 
このお葬式とやら、何度か参加したことはあるけど、
しみったれていて暗くて悲しくて切なくて。
 
そりゃ故人を偲ぶわけだし、
魂がしっかりあの世に行けるようにやるわけだし、
そういう厳粛な雰囲気の中で行われるのが当たり前だ。
 
当たり前なんだけど、やっぱり暗い。
 
 
はたして故人は自分の死を暗い雰囲気の中で
偲んで欲しいと思っているのだろうか。
 
死んでしまったものは仕方がない。
いくら現世に未練があっても死んだものは死んだんだ。
望んで生き返るならいくらでも望むが、
生き物は死ぬものだから望んだって仕方がない。
 
そんな風に割り切れるかどうかは、
実際に自分がどのくらい生きたかとか
どのくらい社会に足跡を残せたかとか
どういう死に方をしたかとか、
そういうこととも関わってくるだろう。
 
だから一概には言えない。
実際に自分が死んだことないからわからない。
 
 
でもだ。少なくともみんながすすり泣く、
くらーいくらーい雰囲気の中で自分の死を偲べ!なんて
そんな偉そうなこと言う奴はそんなにいない気もする。
 
偲ばれるよりも忘れられない方がいい。
 
自分という人間がいたという事実を
生きている人の頭の片隅に残しておいて欲しい、
たまに、ごく稀にでいいから思い出して欲しい。
 
そんな風に思うのが一般的なような気がする。
 
少なくとも俺はそうだ。俺を忘れてくれるな。
当分、死ぬ予定も死ぬ気もないけどな!
 
 
そう考えると、あんな暗い雰囲気の中で、
黒い服着て、坊さんが読経して、お焼香あげて、
遺族や友人は涙を堪えて(演技の奴もいるが)…。
 
そんな葬式なんてね、何の意味もない。
暗いまんまじゃ死んだ方が浮かばれない。
 
 
もっと楽しく!もっと明るく!
にぎやかに!わいわいと!歌も歌って!
 
そういう葬式の方がよほどみんなの心も晴れて、
故人も安心してあの世に行けるんじゃないだろうか。
 
 
例えばさ、ピクニックみたいにさ、
みんなサンドイッチでも食べながらさ。
ビールを飲んだっていいんだ。
 
そういう雰囲気の中で
ひとりひとりが故人との思い出を話す。
 
自分だけの、自分にしかなかった、
故人との思い出をゆっくりゆっくり話してく。
 
感傷的になって泣いたっていい。
みんなの心にその出来事が刻まれる。
 
付き合いで来てるとかって理由で、
故人をあんまり知らないなら正直にそれを話せばいい。
そして周囲の人もそれを許容すればいい。
 
坊さんも一緒さ。
長い読経よりも故人との思い出話に花を咲かす。
あんまり思い出がない時は「ごめーんね」って謝って
それから皆の気持ちが落ちない程度に読経をしたらいい。
 
 
そのぐらい緩い雰囲気でさ。
そのぐらい優しい穏やかな空気でさ。
 
故人のことを偲ぶ方がよっぽど皆の心に残る。
誰もが故人のことを心に刻める。
時々、思い出すヒントにもなる。
 
 
少なくとも俺が死んだら
そういう葬式をしていただきたい。
 
まだまだまだまだ死ぬ予定はないけど。
まだまだまだまだ満足できてないからさ。
 
 
人間はいつか必ず死ぬ。
 
その最後ぐらいはさ、
おもたーい雰囲気じゃなくて
やさしーい雰囲気で送り出してあげた方が、
みんなみーんな故人を想える。確かに偲べる。
 
 
こんなお葬式があってもいいんじゃないかなって。
 
ありがとうって故人も思えるんじゃないかなって。
 
そんなことを考える今日この頃。