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「教える、育む」について

こんにちは。
自分が体験したこと、そして見ていて思うことです。「教育」って言葉、これ、どういう意味でしょうか。
この言葉は子どもだけでなく大人にも必要なとこだろうと思います。
「言葉の儘でしょう?」って鼻で笑われるでしょうね。「教育ってなんだと思う?」と、知り合いに聴いてみたことがあります。「教育とは、犬や猫が行儀よくするように仕込むこと。躾に決まってる。だから、できない事ややってはいけない事をしたときは叱るんだ。」と返ってきました。鼻にかけているようでした。聞いておいてなんですが、ちょっとへし折ってもいいかななどと思ってしまいました。その場でことを荒立てるのも御免蒙りたかったので、「そうですか。」と言ってそそくさと話を切り上げました。
正直不快すぎて、子どもって犬猫の類と一緒なんですか?と喉元まで出てました。危なかったなと思います。今回はこの人に対してでしたが、道端でたまに子どもについての会話しているのが聞こえてくる時も似たような内容が聞こえた時が何度もありました。子どもってそんなに軽んじていいもの?って思います。誰が言い出したんでしょうね、これ。

少なくとも私は、子どもたちが好きです。小さくて話せなくとも、すくすく大きくなって饒舌になろうが話せなかろうが、一人の人で、敬意を持つ対象だと思っています。必要なら目の高さに合わせて、かがんだりもします。
得手不得手も全く違って、それを自ら何かを学んでいこうとする姿勢はいつも微笑ましく眩しく感じさせられます。私に対して接してくれた子どもたちは、多くの個性を持ちながら敬意も彼らの関心も精一杯向けてくれました。

また、最近仕事で上司から新人さんに「やり方教えてあげて。」と指示されて、指導する立場に立ったことがありました。2名いて、そのどちらの方も既に違う上司に教わっているのを見ていました。なので、「あれ、前教わっていたよな?」と思いながら、教える側に立たせていただきました。その日の終わり、私の教え方はとても分かり易かったと言っていただきました。良かったという気持ちと「なぜ?」という気持ちと半分ずつありました。詳しく聞いてみると、前に教えてくれた人はやり方を口頭で説明して、目の前で実際にやってみせて、さあそれと同じことをしてというものだったようです。だから、自分のどこが合ってるのか、間違っているのか、分からないし不安だった、というのです。あまりに不安でなにかコツはないかと訊いたときに「慣れ」としか返ってこなくでだいぶ落ち込んでしまったと教えてくれました。対して、私の教え方は、一度最後まで手順を一度おさらいして、実践してみて、不明点はその場で聞いてくれて、出来上がりをみて、反省点を明確にする、一緒にもう一回時間をかけてくれる、というのが丁寧だった、前よりすごく問題点がすっきりしたと嬉しそうに教えてくださいました。自分の受けたコメントをこう書くのもだいぶ気恥ずかしいのですが、前回の教わり方とではだいぶ差があったようなのは確かに思いました。

ここで「教える」というのに対して、かなり見解が異なるのだなと私は思わされました。前者のは、手順を見せることが教えることそのもののようでした。この方法は手段としてはあっても可笑しくないと考えていますが、これはあくまで、その環境など知識や立ち回りの基礎がある人に対して有効なのだと考えています。自分が指導する側になってみると、完全未経験には、意味の分からない事を言われてるという見方になるようです。
私は、教えるにおいて「相手の腑に落ちる、納得になる」まで、動作やわかることは伝えていく、というのを心がけています。それが今回の人には偶々合ったのかもと思います。その場で分からないことは頼ってもらって申し訳ないと思いながら、別の人にぶん投げます。

「教える」とは、相手が分かるまでできるようになるまで見守る事というではないのだろうかと思う節があります。私にとって「教える、育む」ということは、生きるという中でもとりわけ大事な因子です。教育=所有物のように歪曲や強制してもいい、じゃない。という私なりの根底です。誰に、どんな時に、どういう風に役に立てるか分からないので、できる限りの知識は溜めなておかねばなと思います。また、それを「生きた咸覺」に応用できるようにと心がけたいです。

正直、人に教える立場に立ってみてこの「叱る」というのが、どうしてもわかりませんでした。叱るは相手に対して怒りをぶつける、ではないでしょう。でも、それが正しいのだと信じて止まない人は数えきれないように思います。叱るは正しいほうに導くという意味です。大人が大人の指導をするときには、「問題点はここのようですよ」と話せばそれで充分に事も済み、改善に充てる時間も増やせると思います。グダグダ責めた分、それだけ相手にも自分にも無駄のように思ってしまいます。それは子どもたちにしても同じに思います。何が悪く、こうした方がいいよと提案して、もし質問が出てきたらそれに答え伝えさらに質問をし、自身で考えがまとまれば、ちゃんと納得して「すべきこと」が認識できると知っています。

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