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「持ち物」について

「貴方は自分の「持ち物」を数えたことが、ありますか?」
「自分のものをですか?」
「ええ、そうです。」
「言われてみたら、ない、ですね。さほど、持ち合わせているものが多いとも思えませんので。」
「そうでしょうとも。だから、声を掛けたのですよ。」
「と、おっしゃいますと?」
「持っているものって、意外とあるものなんですよ。貴方、数えてみなさいな。」
「へえ、わざわざですか。」
「あっははは。そう、わざわざ、です。だまされたと思ってやってみてください。」
「近いうちに、きっとそうすることに致します。」
「きっと、びっくりされますよ。」

こんにちは。
ある一冊を読んでいて、ところどころの言葉に強い「実用」溢れております。半分、いや、ほとんど、著者にとっては日記に随筆近いですが、その心に留まったことへの、関心が新鮮でした。最初から読むもよし、開いたページに合わせるもよしで、目を通す側も楽しい一冊です。そして、新しい発見をした時にこうしてみるといいでしょうというのが散らばっています。

近いうちに自分の持ち物を実際に数えて、記録してみるつもりです。
そして記録しました。

さて。
前に、自分の読んだ本を記録していた小さなノートが余っていたので、そこに書きました。細長くて、リストにするにはもってこいな形をしています。部屋ごとに分けて、自分の使うもの、所有物、あらゆる自分に接点のあるものの名称と数を書きました。本当に驚かされました。本からね、そうでしょう?という相槌が聞こえてくるようです。台所と部屋が思っていた以上にありました。特段、物が多い事を嘆いてるのではありません。正直にびっくりしているのです。仕舞える程度に物があったこと、見えなくしたら殺風景となんら変わりないのに、開けてびっくり玉手箱な状態でした。
ここからさらに本当に必要な物に凝縮していったらどうなるのだろうと新しい疑問が湧いてきました。タンスなどの肥しにしておいて、開けるたびに「うわあ」となるのも苦になります。減らしすぎて、あまり度が過ぎればただただ荒涼としてしまうでしょう。
私を助けてくれていたものがこんなにもあったのだと持ち物に感謝しました。部屋は他の部屋に比べたら仕舞っておくものが少なからず多いのは予期していましたが、それを超えました。実は物が多かったと知ることができました。荒涼とするまでとはいいませんが、何が自分の不要となってくるのか改めて分けて整頓するのがよさそうというように、きっかけができた気がします。

少しでも、自分の所有物がなになのか気になった方、捨ててもいい紙にせよ、なにかしらのノートやメモにせよ、書いて何を持っているのかご覧になってみるのはいかがでしょう。騙されますよ。


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