釧路のスナックビル オリプラの中の人

北海道釧路市の繁華街にあるスナックビルの中の人。 昭和60年代に廃墟化した元デパートを…

釧路のスナックビル オリプラの中の人

北海道釧路市の繁華街にあるスナックビルの中の人。 昭和60年代に廃墟化した元デパートをリノベし、今は75軒の飲食店が営業するスナックビルとして稼働中。 全国初(恐らく…)のスナックビルをお得に楽しむサブスクアプリ「ノマサル(https://nomasaru.jp/)」も運営。

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こんにちは「中の人」です part1

アジアの東端の日本の最北の北海道の東端の釧路の歓楽街でスナックビルを運営している「中の人」です どうもこんにちは わたくし生まれも育ちも花街でして生家は札幌市の歓楽街ススキノのど真ん中にある「すすきの0番地(https://deepannai.info/susukino-apartment/#gsc.tab=0)」というカオスなアパートの3階でした 父はススキノのはずれ、ほぼ狸小路に近いところにあった「ポケットクラブ」というキャバレーの経営者、(産みの)母はススキノの中

    • こんにちは「中の人」です part10

      (前回より続く…) 2020年1月に北海道内で初感染者が確認されてから新型コロナウィルスが5類に移行し全ての行動制限が解除されるまでの約3年5ヵ月、他の歓楽街同様すえひろ歓楽街でもまるでゴーストタウンのような日々が続きました 特に「まん延防止等措置」や「緊急事態宣言」が発令された時期は飲食店が酒を提供できる時間が20時までとなり、 「お~い、2軒めいくど~」 という声が完全に蒸発 子どもが寝床に入るか入らないかの時間には既にタクシーのライトすら見つけることのできない

      • こんにちは「中の人」です part9

        (前回より続く…) 前回の記事で「一緒に乗り越えましょう!」という自分自身の言葉に疑念を感じ始めたと書きましたが、その理由は店主の努力の有無にかかわらずぜ~~んぶの飲食店が平等に売上がない(当然ですよね、お店を開けることすらできない状況なのですから…)にもかかわらず、コロナ前と同様に”家賃の請求書”を発行し売上のないテナントさんからお家賃を頂いていた自分に釈然としない気持ちが芽生えてしまったからです 言い換えれば洋上でおぼれかけている人間に対して無傷の人間が甲板から「一緒

        • こんにちは「中の人」です part8

          (前回より続く…) 遠い遠い海の外の話と思っていたウィルスは年が明けた2020年1月早々に日本に上陸 まずは東京をはじめとする大都市から徐々に地方都市にまん延し、中の人の言いようのない不安は現実のものとなりました 小池百合子東京都知事が 「夜の繁華街における接待を伴う飲食店などの危険性の高い施設への外出などについてはお控えいただきたい!!」 と叫んだ3月くらいからオリプラのある「すえひろ歓楽街」も日を追うごとに人影が少なくなってきました 中の人の父が再建して以降夜の

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        こんにちは「中の人」です part1

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        • 中の人につきまして
          22本
        • 色んなパブに行ってみた
          9本
        • 色んなスナックに行ってみた
          23本
        • 色んなラウンジ・クラブに行ってみた
          5本
        • 色んな食べ物屋さんに行ってみた
          3本
        • カテゴリー分けが難しいお店に行ってみた
          3本

        記事

          こんにちは「中の人」です part7

          (前回より続く…) アジアの東端の日本の最北の北海道の東端の釧路の歓楽街でスナックビルを運営している「中の人」です どうもこんにちは 前回の記事に書いた通り、2002年に中の人の父が倒れ中の人が父の会社の代表代行となり、2006年に父が他界し中の人は代表となりました 父と一緒に仕事をしたのはわずか3年 父が倒れた後は当社の恩人である弁護士の 「テナントや金融機関の動揺を防ぐためにもハワイで悠々自適に過ごしている体にしなさい!」 というかなり無理のある指示を守るた

          こんにちは「中の人」です part7

          中の人の父、虹の橋を渡る…

          (前回の続き…) 2002年12月17日の深夜、床に就いていた中の人は携帯電話の音で目を覚ましました 「お父さんが救急車で運ばれた…」 震える母の声を脳内循環させながら急いで総合病院に向かいましたが、病室に着いた時には既に意識がない状態の父がベッドに横たわり、その脇には父の手を握った伏し目がちな母が立ちすくんでいたように記憶しています 傷病名:脳内出血 前日に受けた心臓のカテーテル手術で飛んだスカムが脳内にとどまり血管を破裂させたことが原因のようです それでも人並

          オリプラ7階の再開発が始まりました!

          (前回の続き…) 元は廃デパートだったオリプラの再開発もいよいよ大詰めを迎えることとなりました これまでの経緯を軽~く振り返ると 1985年 オリエンタルデパート購入&3階4階再開発 1987年 1階2階再開発 1989年 5階再開発 1990年 6階再開発 1991年 8階再開発 と怒涛のスピードでリノベを繰り返してきました 1992年には旧ビルオーナー時代から存在していた地下1階スナックフロアをスケルトンにし釧路初の巨大なカラオケボックス「ビッグエコー釧路オリエ

          オリプラ7階の再開発が始まりました!

          オリプラ8階の再開発が始まりました!

          (前回の続き…) 父の会社の忘年会会場は創業からずーーっとオリプラ8階のがらんどうのフロアでした ワクワクすることが好きな父はそのがらんどうのフロアに万国旗を飾り付け、おでんや焼き鳥の屋台をつくり、お世話になっている業者さんやテナントさん、そして社員の家族を招待し賑やかな宴を演出しました 短い時間のなかでイス取りゲームやバナナのたたき売り、カラオケ大会やサンタコスチュームに扮した父が子供たちに配るプレゼントなど、いくつものアトラクションで来場者の笑顔を引き出したことを記

          オリプラ8階の再開発が始まりました!

          オリプラ6階の再開発が始まりました!

          (前回の続き…) 1~5階までの再開発が終わり、空きフロアも残すところ6.7.8階の3フロアとなりました 装置産業あるある話なのですが、売上を伸ばすためには莫大な開発費用が必須でしてそのキャッシュを自己資金で捻出するか他人資本で調達するかが経営者の頭の使いどころであり悩みどころ ときは1990年 地方都市ではまだわずかにバブルの残り香がただよう時代に、自己資金のない中の人の父は「当然でしょ」と言わんばかりにまたまたお金を借りました よりによってその額2億5000万円

          オリプラ6階の再開発が始まりました!

          オリプラ5階の再開発が始まりました!

          (前回の続き…) 昭和天皇が崩御され、わが国初の消費税が導入され、中の人が無事に高校に進学した1989年、オリプラ5階の再開発がスタートしました 5階はもともとおもちゃ売り場だったことからフロアコンセプトを「おもちゃ箱をひっくり返した」ようなカオスなフロアと定義づけ、国籍や性別の垣根を超えた多様性ある業態を募集したようです スナック全盛期の地方の港町で上記のコンセプトにマッチングするテナントを獲得することはなかなか難しいお題であり中の人の父を始めリーシング部隊の皆さんも

          オリプラ5階の再開発が始まりました!

          オリプラ2階の再開発が始まりました!

          (前回の続き…) 中の人の父が会社を再建した1987年前後の釧路は、200海里規制による遠洋漁業の不振はあったものの近海魚の豊漁により水揚げ量は日本No.1レコードを保持し、エネルギー政策転換前夜の石炭産業も5000人の従業員が活躍するなど街は活況を呈していました 夜のネオン街では胴巻きに札束と出刃包丁を忍ばせた海の男たちと右手にツルハシ左手に札束を握りしめた山の男たちが闊歩し、札びらが飛び交う狂乱の宴が繰り広げられていたそうです(酔いも回る時間には出刃包丁vsツルハシの

          オリプラ2階の再開発が始まりました!

          倒産後の父の会社につきまして…

          (前回の続き…) 圧倒的な自己資本の少なさと本来道路であるはずの場所にビルを建てた呪い(眉唾)により倒産した中の人の父の会社ですが… お取引先各社様のご協力と類稀なる人間力を備えた地元弁護士のお力添え、そして何より父の並外れた強運により和議申請の4か月後の1987年1月30日に認可(再建のチャンスを上げますよ~的なやつ)を頂きました 「スナックビル」オリプラは晴れてリスタートです! 和議申請と同時進行で進めていた1階物販フロアの再開発(テナントさんの移転交渉など)も順

          倒産後の父の会社につきまして…

          倒産いたしました…(by chatGPT version)

          (前回の続き…) ※話題がシュールすぎるので、chatGPTちゃんに「もっとポップな内容にリライトして~」とお願いした結果が☟の文章です 50%はファンタジーですのであしからずw ※※※ おっしゃー!中の人の父の会社、まさかの大ピンチ!いやはや、まさにドラマチックな展開ですよ!3.4階の空床フロアをスナックにリノベーションしてテナント誘致を頑張っていたはずが、なんと1986年9月30日に資金繰りの破綻で倒産するのねん! 負債総額13億円! おお、これは地方都市にとっては

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          倒産いたしました…(by chatGPT version)

          倒産いたしました…(by original version)

          (前回の続き…) 3.4階の空床フロアをスナックにリノベし順調にテナント誘致を進めていたかに見えた中の人の父の会社ですが… なんと当社は1986年9月30日、資金繰りの破綻により突如倒産することになるのです! 正確に言うと倒産の一種である和議(今の民事再生)を申請したのでした 負債総額13億円

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          倒産いたしました…(by original version)

          スナックビル「オリプラ」の誕生

          (前回の続き…) 1985年8月、中の人一家は札幌から釧路に転居し父は東洋ビル開発株式会社という法人を設立、6億5,000万円で旧オリエンタルデパートを購入しました 以前の記事でもご紹介しました通り、父の(会社の)全財産は2,000万円程度でしたので、全額を金融機関からの借入で賄ったことになります 時代はバブル経済突入期、金融機関の与信管理はユルユルだったからこそほぼ空きビルの不収益物件を全額借入で購入できたのかもしれません 購入代金の調達に成功はしたものの、続いて各フ

          スナックビル「オリプラ」の誕生

          廃デパートからスナックビルへの道のり

          (前回より続く…) この集合写真のわずか2年後オリエンタルデパートは廃業します… 中央でほほ笑む社長さんもピカピカの制服をまとった売り場の社員さんも職を失います おそらく(てか間違いなく)我が国最速のデパート倒産劇かと思います 廃業の理由は前回の記事で紹介しましたが、これ以降デパートの灯りがともることはなく、がらんどうのフロアには真新しい棚が放置されたままの廃ビルとなりました 建物の新所有者となった三井建設株式会社にデパート運営のノウハウはないため、これより先は雑居ビル

          廃デパートからスナックビルへの道のり