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頑固な父とのたった一つの約束事

私の父は、とんでもない頑固者だ。
The 昭和のお父さん、いや親父だ。

こんなことを言っているのを知られてしまうと、また派手に怒られてしまうのであろうが、自分が就職を間近に控えていることもあり、父と話す機会がなにかと増えたため、ふと父について文章を書いてみたくなった。


先にも述べたように父は、頑固者だ。

気分を害することがあれば、何でもすぐ言ってしまう。そしてその度に、「俺は間違ってない。」と当たり前の顔で言い張るような人間である。父がもう少し譲ってあげれば、こんなに揉めることはないのだろうなと幼心に感じることが私のわかる範囲でも、しばしばあった。そんな様子を見て、「なんだこいつは!」と思うことが多かったのだが、いつのまにかそんな父の影響をうけたのであろうか、友人からすると私も随分と頑固者に育ったらしい。蛙の子はなんとかってやつである。

仕事ばかりしていてあまり家にいなかったため、父との思い出はそれほど多いわけではない。だが、そのわずかな思い出こそが、今なお色濃く記憶に残っている。


それは、中学の入学式の後だったと記憶している。家族で夕飯を食べている際、ふと父が箸を置いて語りだした。

そして父は「今日から『放任』主義に俺はなる。」と突如宣言した。

母も私もポカーンとした顔をしていたに違いない。何をするにも、とにかく口うるさかった父からの解放の喜びよりも、驚きが勝った。

そんな僕らをみて父はさらに「ただ一つだけ条件がある。」と言葉を続ける。

「自分で考えて、行動する人間になれ。」

それが、今に至るまで、父と私の間の唯一の約束事であった。これさえ守れば、父は何をしても本当に口を出さなかった。学校の成績も進路も習い事なども一切なにも言わなくなった。

私のやりたいことは存分にやらせてくれるし、お小遣いだったり仕送りを母の知らないところで、こっそりくれたりする。これでは、「放任」というよりは「放牧」なのではないかと思うのだが・・・。

そんな父がどうやら最近涙もろくなったようだ。そして、やたら自分の人生について語りたがるのである。

突然の放任宣言についても、父なりの考えがあったらしい。父が言うには、子供を子供としてではなく、1人の男として対等な立場で接してみたかったらしい。不器用なことなんとも極まりない。

また最近、就活中の私を気にかけているつもりなのだろう、たまに慣れないLineで連絡をくれる。だが、相変わらず変換がなってない。

「ツギハイツカエル。ゲンキニシテイルカ。」と赤紙のようなLineがくる。一体全体なぜカタカナになるのか、私には皆目見当がつかないのだが、まあもしかしたら父も構ってほしいのだろうか、意図的にやっているのかもしれない。


だが、そんな時にふと思うのである。

私は父の望むような人間に近づけているのだろうか。

こういう時こそ、父譲りの図々しさの出番なのかもしれない。今度会ったら直接父に聞いてみるとしよう。頑固で偏屈で口うるさいけれども、なぜか周りに人が集まってくる。そんな父を私は尊敬しているし、誇りに思う。しぶとく長生きしてくれ。

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