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読んでない本の書評82「金色夜叉」

273グラム。もちろん黒猫は含まない。

小説は、お正月も明けなんとする街の情景からはじまる。

未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直ぐに長く東より西に横たはる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂しくも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の軋(きしり)は、或いは忙(せわ)しかりし、或いは飲過ぎし年賀の帰来(かへり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓の遠響は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜しむが如く、その哀切(あはれさ)に小さき腸(はらわた)断たれぬべし。

 文語調で、一文が長く、斜め読みもしにくいので目が慣れてくるまでちょっと読むのが億劫だ。
 しかし、腹を据えてじっくり読むとたとえようもなくおかしい。お正月の空気のピンとした感じをさすがの美しさで表現されてるなあ、とは思うけど、何も正月がすぎるくらいで「小さきはらわたたたれぬべし」ってほどのこともないのではないか。そんなに新年が辛いのは、過労による鬱の疑いがある。尾崎紅葉、じっさい短命だったけど、大丈夫か。

 はじまりは、年始のカルタ大会である。若い男女が30人も集まる。そこに26,7の嫌みなほどでかいダイヤの指輪を付けた富山唯継が嫁探しに来る。
 女性陣は「ダイヤモンド!」「まあダイヤモンド」「あれがダイヤモンド」「すばらしい」と大騒ぎ。男性陣はカルタを取る振りをして富山を取り囲んで暴行の末、流血の事態発生。
 そんなところにでかいダイヤをつけてくる爺臭い26,7の男も厳しいが、それを仲良く袋叩きにする男たちは幼すぎる。どうにも極端な人間しか出てこない小説である。
 その合コンに、すでに許婚である寛一とお宮が連れ立って来ているのである。美人のお宮が金持ちの富山と出会ってしまう。何をしてるんだ。合コンなんか行かなければいいだけの話ではないか。

 お宮がダイヤモンド不愉快と仲良くしすぎていたんじゃないかと思った寛一は帰る道々、ねちねちとお宮に絡む。
 そのせいで空気が悪くなると今度は「寒い!」「ああ寒い!!」「ああ寒い!!!」と、本当に感嘆符を一個ずつ増やしながらついてくる。やっとお宮が「どうしたの?」と聞くと、ショールに入れてくれとねだり、女のショールの端に半分くるまって歩くのである。 
 ああ危険。そういう態度の極端なひっくりかえり方はDV男に特有のものよ。でもこの仲直りの仕方、たしかに人心掌握効果ばっちりと思われるほどかわいい。

 お宮の両親は、あのダイヤモンド男に嫁がせた方がよさそうだと踏んで、寛一の方は外遊に出すかわりに破談にし、お宮とダイヤモンドの縁談を進めるのである。
 つまりは、どちらかといえば親父さんのほうを蹴飛ばすのが道理ではあるのだが、DV寛一は親父さんには礼儀正しく承知をし、その上で熱海まで遠征してお宮を蹴飛ばす。
  蹴飛ばされつつお宮が言う言葉がどうにも気になるのである。

「だから、私は考へていることがあるのだから、も少し辛抱してそれを--私の心を見て下さいな。きつと貴方の事を忘れない証拠を私は見せるわ」

 この状況で「考えていることがあるから待っていて」ということはダイヤモンド男の財産を全部のっとって帰ってくるから、その時あらためて所帯を持ちましょうよ、くらいしか考えられない。せっかく若い娘がそんなに面白そうな話をしようとしてるのに、頭に血が上っている寛一は耳を貸さないのである。「毎年この月を涙で曇らせてやるかな」とかいう負け犬の遠吠えはどうでもいいから、まず人の話しを聴け。

 どこまで読んでも、だいたい寛一への説教しか頭に浮かばないのではあるが、抜群に面白い通俗小説である。ダイヤモンドに目がくらんでるの、お宮じゃなくて寛一の方だし。本当に寛一は反省しなさい。

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