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読んでない本の書評58「縮みゆく男」

衝撃の217グラム。男が縮む、テーマは膨らむ。

男が船に乗っている。むこうからぐんぐん迫ってくる不吉な霧にすっぽり包まれる。ずぶぬれになった身体にぴりぴりする刺激がある。

身体を拭くと、その感覚もほぼ消えた。男はキャビンに入って兄を起こし、船をかすめていった海霧のことを話した。
 それが発端だった。

わずか1ページしかない第一章、ことの起こりである。これ以上の説明は何もない。めちゃめちゃかっこいい幕開けなのである。何か理解しがたいことが理不尽に暴力的な力で迫っている。ぐぐぐぐ。

 うってかわって第二章はいきなり豆粒ぐらいのサイズの男が黒後家蜘蛛と戦っている。蜘蛛の描写が細かすぎて気持ち悪いので、おもわず頭の中で再生スイッチを切るほどの迫力。ハリーハウゼン張りのチャンチャンバラバラ冒険活劇来ましたね、と思ってニヤニヤしながら読む気まんまんである。

 しかし、ハリーハウゼンや怪獣映画のことはやがて忘れてしまう。
  縮みゆく男はあっという間に子供のサイズになり、赤ん坊のサイズになり、お人形サイズになり、ついには人とコミュニケーションも取れないサイズになる。ひとつひとつの具体的な感覚をともなった孤独感に圧倒される。

 啄木なら、友がみな我より偉く見える日には、花を買ってかえれば等身大の妻がそれを受け取ってくれるところだ。しかし、縮みゆく男スコットは、妻と娘までも、すごい勢いで自分より大きくなっている。その理不尽な運命を受け入れられないスコットは非常に怒りっぽい。妻は優しく聡明な人でいつも最善を尽くそうとしているが、努力すればするほど無力感から余計卑屈になる。このままいずれ消えてしまうのに何のために生きようとしているのか。

 胸を打たれるのは、子供の大きさになってしまったスコットがサーカスで小人症の女性クラリスと知り合うシーン。
 向かい合って立っているだけで説明なしで孤独も絶望も共有できる。そして彼女のトレーラーハウスの中にあるすべての調度は自分サイズに作られている安心感。どうしてもここでこの人と一夜を共にしたい、と思うのである。
 スコットは車にいる妻のところに戻って、あの人のところに泊まりたいと説明する。妻は泣きながら「明日の朝迎えにくるわ」と言ってその通りにする。
 自分が人なみの大きさでいられるベッド、腕の中の女。その一晩をきっかけにスコットは自分の奇病を受け入れる決意をする。

 これでわかった。おれはいまでも思惟する心がある。おれは唯一無二の素晴らしい存在だ。

事ここに至って、実存主義に到達である。

  それでも運命は手をゆるめず、クラリスもまたあっという間に大きくなる。次にスコットが孤独の中で抱きしめることができたのは、ドールハウスの中のお人形だ。ベッドの中で固く冷たい人形を後ろから抱きしめ、嗚咽の中で「なんで人形なんだ」となじりながら、眠りにおちる。
 こんなにまでひどい目にあっていながらスコットはまだまだ小さくなり続ける。そしてまさかの、本当に美しいラストである。

「放射能汚染と殺虫剤の相互作用で一日に7分の1インチずつ身長が縮んでいく奇病」なんて荒唐無稽な設定のSF小説がまさかの、なんとなくニーチェ風とも思えるような感動のもとに終わっていく、衝撃。

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