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読んでない本の書評29「ボートの三人男 もちろん犬も」

199グラム。読みやすいが徐々に何を読んでるのかよく分らなくなるので頭から順番に読んでいく必要はないようだ。

 缶詰が発明されてから缶切りが発明されるまで半世紀かかってる、という話が好きだ。
 あの素晴らしい食品保存技術の発明のあとで50年も人類は何やっていたのか。家の中に伝説のように缶詰がただあって、人々に見つめられながらいっさい役にも立ったことがない風景を想像すると心が安らぐ。

 事情をわかってしまうと、特別面白いことではない。ほんらい軍用の食糧として開発されたものなので、ナイフなどでガンガンこじ開けるので良かったのだ。それが家庭に入ってきて、最小の力で優雅に開ける必要性が出てくるまで50年かかったということらしい。あちこちの神棚などに先祖伝来の開かずの缶詰が鎮座していたわけではないらしいのは、少し残念。

 とはいえ、歴史はくりかえす。
 昨今の缶詰はほぼワンタッチでプルタブを引けば開く構造に変わっている。したがって缶切りのない家庭が増えているらしい。ところが。
 トマトピュレなど、海外製の缶詰は缶が開く前にプルタブがちぎれてしまうのである。右手にちぎれたタブ、左手にほんの数センチだけ口の開いたトマトの缶を持って呆然とすることになる。鍋にはもうひき肉がちょうどいいところまで火が通っていて、事態は緊急性を帯びつつある。
 しかしめっきり使う機会のなくなった缶切りはしまい込まれていて、すぐ手のとどくところにはない。
 ああいう瞬間の缶詰というのは、はっきりと悪意を感じるものだ。最初からプルタブなどついていなければ、こちらだって缶切りを用意しておくではないか。何の怨みがあってわざわざ目くらましのためのプルタブをくっつけてイタリアくんだりから私の台所まで運ばれてきたのか。
 開かない缶詰の主成分は、トマトではなく人をカッとさせるための何かだ。

 三人男がボートで取り組んだのは、トマトではなくパイナップルの缶詰だ。ナイフで開けようとして手をケガする、鋏であけようとして顔にあたりそうになる、手鉤で開けようとしてボートから落ちそうになる。石で開けようとする、帆柱で開けようとする。缶は気持ちわるいくらいボコボコになるが、穴だけは頑なに開かない。カッとなった男たちは罵声を浴びせた末にそれをテムズ川に放り込むのである。

  なんということをしてくれたのだろう。三人の若者に集団暴行された缶詰は、いまでも川底で悪意を吐きだし続けている可能性がある。 
 我が家に派遣されてくる開かずのトマト缶はその悪意が巡り巡って漂着してきたものかもしれないではないか。

 そもそもがふざけた小説なのだ。ボートに乗る乗ると言っておきながら5章まで乗りやしない。乗ってからも話があちこち行くので気を抜いてると川の上なんだか陸に降りてるんだか迷子になる。
 しかし世界の悪意は100年前にテムズ川に沈んだぼこぼこのパイナップル缶から吐きだされるものだと教えてくれるのは、このとりたてて向上心のない三人男ならではの功績だ。人類の心はいつだって折れやすいから、それほどばら色でもない漫然とした気晴らしは必要なのだ。
 そういうことならトマト缶の件くらいは引き受けてやらないでもない。

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